幸せとは | びぃびの暇つぶし

びぃびの暇つぶし

バツ一同士のアラ還再婚夫婦の日常と旅ログ、認知症の母親を巡るエピソードを不定期に綴ります。

次女がこんなものを送ってきた。


お婆ちゃんってやっぱり毒親の気質があったのかもよ!


とのコメント付きで…ニヤニヤ




なんでこんなもの送って来るのか?(笑)


確かに…

9つとも当てはまる💦

特に②と⑨は激しく該当するニヤニヤ



今は亡き母だが生前の母を思うに、これら全てが見栄とプライドから生まれている様な気がする。

度を超える心配症も、私の事が心配と言うより、自分が人からどう見られるかが重要であった様に思う。

だから進学先や就職先、結婚相手なども人に自慢できるものでないとなかなか納得しない。


進学先はとにかく進学校を望んでいた母。

当時(中学)の私の成績は中の上、進学校へいけるかどうかギリギリのラインで、私的にはどちらかと言うと、合格が保証されていて入学後も勉強漬けにならなさそうな商業科への進学を希望していた。

だが見栄っ張りの母はあくまでも進学校(普通科)の受験を推してくる。

その頃はまだ親への反発心が未熟で(笑)、商業科へ行きたいのに強い母に押されて第一希望を決めかねていた為、よく担任に『結局どっちなんだ?』と言われていた。

娘の進学なのに自分の見栄を通そうとする母と、その母に逆らえきれない私。


後年、私の長女が普通科へ進学した際に

『これでやっと我が家から普通科へ行ってくれる子供ができた』(ちなみに兄も商業科)

と言った時、あぁやっぱり母にとって子供や孫という存在は見栄の道具なんだなと思ったことがある。



結局母の望みは絶たれ商業科に進んだ私グラサン

だが案の定と言うか、勉強などは二の次三の次で、高校の3年間を遊びまくったのが仇となって母の望む『堅い職場』への就職希望はことごとく"学校内"で却下された。

許されたのは販売員ぐらい。

でも美容部員をやってみたかった私は、大手の化粧品メーカーの面接を希望していたがこれにも『待った』をかけた母。


周囲にとことん見栄を張る母にとって、自分の娘が駅地下などで化粧品を売るなんて絶対あってはならない事なのだ。

ツテを使って日用品卸問屋の事務員の面接をセッティングしてきた。

元々、是が非でも美容部員になりたいとの強い意志も持っていなかった私はこの面接を素直に受ける。

縁故採用なので当然受かるチーン

(反発心もありながら逆らえ切れなく且つ、優柔不断で楽な方へ逃げる性格は今でも健在な私ですショボーン)



そして結婚。

当時、その後夫(モラオ)となる人と3年も付き合っていたのに、見合いピンクハートの話を持ってきた母ポーン

田舎の地主の次男坊、本人は信用金庫に勤めていたと記憶している。

(その後結局、母が一番避けたい『できちゃった結婚』をしてしまい、夫となった人は実は絶賛モラオで、その後離婚となる)

上差しなので、あの時母の言うとおりにしておけば幸せな結婚生活を送れたかもしれない…


上差しとは絶対思わないが(笑)、

3年も付き合っている人がいるのに何故見合い話を持って来るのだろう?

誰かに頼んでいるからそんな話が舞い込んで来るのであって、それは母の仕業である(父はそんな事しないが母の決めた事に基本逆らわない)。

娘の幸せを望んでいる風を装って実は、地主とかお堅い仕事に就いているとかの材料で周りに自慢しようとする母の魂胆が見え見えで辟易したものだ。


厄介なのは、これらの"口出し"に逆らう事は罪悪だと考えていた私にとって、反発する行為はものすごいエネルギーを使うことであった。

大袈裟かもしれないが会社の社長とか、強いては総理大臣にでも逆らうぐらいに匹敵する(笑)。

これは正に②番だねびっくり



ちなみに兄は見合い結婚である。

勿論、母が誰かに頼んだ相手でこちらは今でも仲睦まじく夫婦生活を送っている。

仲良すぎて妹を敵に回すところまで似ている滝汗

(兄夫婦とは母の死後絶縁している)。




その他にも思い起こせばいっぱい出てくる『毒親』の特徴

心配を装った過干渉

結果、母の晩年は決して幸せとは言えない。

散々口出しや阻止をしてきたツケが回ってきて、娘に嫌われ、心に孤独を持ったまま逝ってしまった。

(毒を吐く相手は私だけだったみたいで、他の人には見栄は張るが常識的で面倒見がよく頼れる存在の"いい人"だった様です。母の死後何十年かぶりで会った"かつてのご近所さん"は『今でも感謝している』と言って泣いてくれました)






母の"妨害"に靡いたり、時には自分を貫いたりしながらぐらぐらし、しっかり自分軸を持てなかった私ですが、

そんな母にもうちょっと優しくしてやれば良かったと今は後悔しています。

何故そんなに人目を気にするのか、そこへ気持ちを寄せてやれば良かったかなと…


人から羨ましがられてなんぼ!の考え方から脱却しないまま人生を終えた母。

亡くなって尚、孫から『毒親じゃね?』と言われるなんて少し同情もします


でも一つ母から学んだ事は正にそれ上差し

幸せとは人に決めてもらう事じゃない!




全ては自分次第なのですニコニコ