少し前になりますが高校時代からの友人と古民家カフェへ🍹
ランチでこのクオリティでデザートまで付いて1800円
若いご夫妻二人で営業されてますが、常に予約でいっぱいでこの日も満席🈵
岡山市街地から1時間かかりますが、行く価値ありあり
いつもなら話に花が咲いて食べるのも忘れるぐらいですが、今回は見るのに食べるのに必死で喋るのを忘れました
とても美味しく楽しく有意義な女子会でした
こうやって友人達と美味しいものに触れ、幸せに浸っている間は完全に忘れていますが
やはり、母の死後に起こった兄夫婦との衝突、断絶は私にとって大きな事件だった様で
今でも思い出しては"モヤる"の繰り返しです。
それが嫌で早く忘れたくて
『嫌なことを早く忘れる方法』を
ネットの記事やYouTube動画や人生相談等で検索しては、じぃ〜っと研究しております💦
そんな事をすること自体、尚更忘れられなくなるんじゃないかと思いながら…
兄夫婦との軋轢についてはこちらをご覧下さい。
いったい私はどうしていつまでも
"何について"モヤモヤしているんだろう?
土地の名義変更などはもうどうでもいいやと思っているし、兄との断絶もかえってスッキリしているのに!
などといろいろ考える内にやっぱりこれかな?と考えるのは…
兄夫婦の協力が得られず4年間、一人でやってきた介護。
兄に対して不満を抱きながらも何処かで
『きっと兄に感謝ぐらいされている』
と思ってやっていたのに、蓋を開けてみると感謝どころか『大した介護じゃないと』と言われたからかな?
いえ、ちょっと違うかも?
実は正直、自分でも"大した介護"ではなかったと自覚していて
やるべき事の6割ぐらいしか発揮していなかったし、残りの4割からは逃げていました。
更に、まだ時期尚早の段階で施設へ入れてしまったのだから当然"大した事"ではなかったのです。
何もしていない兄に見透かされてしまった様で
『何もしていないくせによく言うよ!』と強く言えない自分がいることと
やっぱり逃げていた4割に罪悪感がついてまわっているんだろうなと、そう思うのです。
どうも私は、逃げ介護を自覚しているところに兄の『大した介護じゃない発言』によって図星を刺され、打ちのめされてしまった様です
話もろくに聞いてあげなかったし
歯医者へ連れて行かなければならないと分かっていたのに結局連れて行かなかったし
ご飯も面倒くさいからと作らなかったこともあるし、
泣いている母を放置もしたし
とにかく、見て見ぬふりがとても多かったのです。
それをよりにもよって何もしていない兄に突かれた事に戸惑っているのです。
は〜
やっぱりツケは回ってくるよねー
後悔先に立たずとはこのことだな💦
兄の店(寿司店)開業の年から33年間毎年欠かさず来てくれていた燕🐧
当時、縁起が良いと両親が言っていたのを思い出しますが、何故か今年は姿を現しません。
これって何の意味?
天国の母が私達兄妹を嘆かわしく思って燕を遣さなかったのでしょうか?
ありもしない因果関係をこじ付けては
またモヤモヤしています。