前項からの続きですが、ここからは私説ですのでご注意ください(´・ω・`)ノ

 

 

 イザナギを助けた意富加牟豆美命(桃)が、神武天皇を助けた八咫烏であり、賀茂建角身命であると仮定するならば、物語の一連の区切りからするとこの場合、

 

 伊邪那岐=神武天皇

 

 …ということになり、ここで一つの物語を別の物語として創作し、重ねてトレースさせているように思えます。

 結局のところ、神武天皇からするイザナギはいなかったのかも知れません。

 いわゆる天地開闢からイザナギ・イザナミの代までの話は、普通に読むと国産み・神産みなどは常識的には単純に最も信じ難い内容です。

 

 では、因果性のジレンマといえるいわゆる鶏が先か、卵が先かの議論になるのですが、個人的にはオリジナルはあくまで「三貴子の話」の方であり、その前後にある「神産み」までの話と「神武天皇~開化天皇」までの話にはそれぞれ疑問符が付く点がみられるのです。

 

 ます、イザナギ・イザナミの物語は前項で述べましたように、あくまでダイジェスト版、この時点で普通に事績を詳細に記すと、神の血を継ぐ「天皇」としての意味を失いますので、書けませんでした。

 天皇は神の血脈であることを強調する必要があったのです。

 

 そして人皇時代、「記紀」において初代神武天皇については多くの記述があり、最終的にどのようにして奈良県(大倭國)まで東征し、「天皇」というポジションに即位したのかを詳細に記しています。

 しかしながらその痕跡を調べていくと大きな矛盾点に遭遇し、大筋の物語の内容はわかるのですが、その過程や経路、考古的な遺物や文化圏・その時代の痕跡等々との一致性が見られない事が挙げられるのです。

 そして最大の疑問となる、なぜ筑紫嶋(九州)の日向国(宮崎県)から畿内域の奈良県(大倭國)まで移動しなければならなかったのか、そしてそれがなぜ最終目的地が奈良県だったのか、その根拠が全く理解できないのです。

 更に困窮を極めるのが次代の天皇から第9代開化天皇までの事績がほぼ白紙で、突如目が覚めたように第10代崇神天皇から再び詳細な記述が現れるのです。

 

 この「欠史」の部分についての解釈なのですが、事績をほぼ「三貴子の物語」で描き切ってしまったことにより、同種同様のストーリーを別の話として何度も描いてしまうととさすがに嘘臭くなり天皇の存在自体の真偽を疑われてしまう。

 そこであえて歴史の若い方である「天皇の時代」の事績を抹消することにしました。

 その理由として考えられるのは、往古より引き継がれてきたとする神々の系譜としての歴史の水増しや、700年代当時においての歴史観による諸外国(特に天子の国である中国)との外交に非常に不都合であったと考えられる冊封国(女王時代)の隠蔽工作であると考えられるのです。

 今度はそれが「天皇の時代」であってはまずかったのです。

 あくまで皇祖「神」として天照大御神を描くことで、いわゆる「隠蔽」をオブラートに包みつつマイルドに変換させたのが稗田阿礼と太安万侶の役割だったと考えられます。

 

 その結果、女王時代の痕跡が点在する阿波、そしてそれが最も残る「倭」の地は歴史上大きくすり替えられ、当時の朝廷に完全に消されてしまうのでした。

 

 この女王時代と根拠地の隠蔽に関しましては更に継続調査が必要と思われます。

 ただ一つ言えることは、間違いなく歴史は隠されています。

 

 「道は阿波より始まる」の著者、岩利大閑氏の耳に焼きついている祖母の言葉。
 
  「昔の人はな、阿波で千年、京で千年というんでよ」