昔の日本人の暮らしに憧れる | モジャモジャフジコ

モジャモジャフジコ

ブログの説明を入力します。

長く仕事を休んでウチにいると、母と一緒にいる時間も、自然と会話する時間も、いつもと違ってゆっく〜りになって、長〜くなる。

時間がうんとあるので。


ウチの母は今年で90歳。のんびりと話す。


とりとめもなく色々なことを、お互いに何とな〜く話す。


私も不器用で溜め込みがちなので、ゆっくりだとポツリポツリとこぼし事も言えるし、誰にも言えない悩みを吐露することも出来る。


母も、思いついたことをゆっく〜り話す。


お互いに話している間に、私がとても興味があることもあって、気が付くと母の子供の頃の暮らしぶりについての話題になることが多い。


母から昔の話を聞くといつも、昭和初期の日本の暮らしぶりが想像出来る様な気がして、(主に東北なのかな)

私の聞きかじりの想像だけれど、そんな時代の生活風景の、個人的に魅力を感じるところを、ちょっとあげていきたい。




朝、起床と共に、自然で穏やかな優しい秩序の中で活動が始まり、(つまり朝の支度。ここで私は美しさを感じたのだ)


その時代の家族は大抵大家族で、家の外でも御近所さんとも交流があり、だから周りには沢山の子供や大人がいて、(実際の繋がりいくつもある)


子供も緊張せず、自然に伸び伸びと育ち、愛される心地良さを知っていて、


沢山の信用出来る大人に囲まれて、安心感の中で育つということ。

(心の繋がりも、小さい頃から豊かに存在している)


子供でも、自分で布団をたたみ、身支度を済ませて、両親に朝の挨拶をする。

(強制などしなくとも、自然に大人の真似をして、遊びながら習慣になる)


挨拶の時、ふすまを開ける時、居を正して正座して開けて、入って閉める時も同じ様にする。

(親や、お客さんに対する時)



(ここで解説。 私の母の母は、ある大きなお屋敷の使用人達のトップ?と言うか、責任者の様な仕事をしていました。なので母は、使用人の子供に過ぎないんだけど、母の母が信用が厚かったらしく、そのお屋敷の旦那さんや奥さんに大分大事にされて、自然と礼儀作法を仕込まれて育ったらしい。でも厳しさは一切無かったんだって。だから今でも母は、本当のお金持ちはとてもおおらかで優しいんだよ、といつも言っている。ここで書いているのはそんな上流なお屋敷の風習と、実際の母の実家の、決して上流ではない慎ましやかな暮らしの、両方を体験した母の話を元にしている。)


お互いに綺麗な言葉で話す。


先祖に手を合わせるのは自然なこと。


誰に言われなくとも、大人も子供も、朝から掃き掃除や拭き掃除が当たり前で、


人の分もやってあげる事はお互い様で、


皆、正直、純粋で、


傷つけ合ってもいつまでも恨むこともなく、


ほんの立ち話にもどこかに愛があって、


人に会えば、その人に何かをプレゼント、粗品かな?あげたいと、ごく自然に考える。


人に何かをあげて、相手が喜んでくれると、自分が嬉しい。


ただ自分が嬉しい。


時間がゆっくりと過ぎてゆく。


風や雨や、鳥や虫の声を聞いて、


海の沖の波や空模様を読んで、

準備をしたり、仕事の予定を立てたりして。


そんな、

昭和の初めの頃の日本人の暮らし。


私はどこか憧れているところがあるので、相槌やうなずきにも熱がこもるのか、母の話はどんどん出て来る。


そしてどんどん聞いちゃう。



偏っているなぁ。



高齢の母は、繰り返しも多いし、前後の辻褄が合わなかったり、話の内容が急に飛んだりもするが、


そこはご愛嬌。


いいのいいの。気にせずにどんどん行きましよう。




そして、

聞いた話の内容を、私なりに考察してみる。




昔の人って、

皆どこかで覚悟があったんじゃないのかな。


腹をくくって生きていたんじゃないのかな。


最悪の場合、命がなくなる覚悟。


戦争もあったし。


家族が戦争へ行くのも、戦争で亡くなるのも、当たり前だったし。


命がなくなる覚悟があったから、生きる覚悟もあったんじゃないのか。子供も。大人も。老人も。男も。女も。

 

人生は、自分の思い通りにはいかないところがあるものだ、って。


でもそれは、諦めて自暴自棄になるような気持ちでは決してなくて、


出来ることを精一杯、一生懸命生きる、それで駄目なら仕方がない、なんとかなるかもしれないが、駄目で命が無くなったら運命だ、あきらめる。みたいな。


人が死ぬことも自然。

トラウマも哀しみもあるだろうけれども、


いちいち騒ぎ立てない、ただ黙〜って、


ジ〜ッと、耐える。


それはやみくもに我慢しているんじゃない。


消化しようとしている。


受け止めようとしている。


その出来事は、自分の歩く道の上のことだから、周りに迷惑掛けないように、腹をくくって。


自分の道は、自分で歩く。


哀しみも、痛みも、なるべく自分の中でひっそりと静かに消化しようとする。


一人で静かに涙をこぼそうとする。



動機が奥ゆかしい心配りからの行動、ということ。



マァ〜私の偏った考察だけど。



私はどうやらこういうふうになりたいなあと、


思っているらしい。



こんな人間になれたら良いなと、



どうやら思っているらしい。



完全に正反対だけれども(笑)。


完全に(笑)。



きっと昔ながらの日本人に、憧れているんだ。



本物の日本人に。



お年寄りは、いつまでもゆっくりと話を聞いてあげると嬉しいみたいだな。




っていうことは、


私もお年寄りか?



ヤダー。



なるべく聞く側になる様に心掛けよう。


まだまだ老け込みたくないもんね。



うん。