時分 起床
いいねえ 窓を開ければ 波の音
早速 妻と
陸の 松嶋 象潟
もうすでに 農作業に 精を出しておられる
ところが だんだん 気温上昇
今度は海岸を歩いて 食事へ
あれー 皆のお皿、茶碗は 空っぽ
7時からの 朝食に 間違えて 20分遅れてしまった
ここで サービス部長 村上さんが 象潟について 説明していた
この象潟は 江戸時代までは 東の松嶋、西の象潟 として
潟湖の中に 小さな島が 点々と浮かび 九十九島、八十八潟
1689年 6月16日 その日 酒田から36キロ 同行者 曾良と
歩いてきた 奥の細道で有名な 松尾 芭蕉が訪れ
象潟や 雨に西施が ねぶの花
松嶋は 笑ふが如く 象潟は うらむが 如し
と この風景を見て 詠み 3日間滞在したらしい
ところが
文化元年 1804年 6月4日 午後10時ごろ
M7.1の地震にみまわれ 240cm 隆起
360名の死者 7736棟の家屋倒壊
その倒壊した家屋の ほとんどが 寺社、武家屋敷、豪家
なぜかというと それらの屋根には 分厚い 瓦がのっかって
いたからで、とすると 亡くなった方の多くは お金持ち
それによって 潟湖は干上がり 今では 102の元小島が
水田の中に ぽつん ぽつんと でているのだ
この話しを面白おかしく 話してくれて 聞き入っちゃいました
こんなに 穏やかな 日本海は珍しく でも創業25年だけど
海近だから 傷みが激しくてねえとも
出発前の
時半 出発 高原を昇って行き 象潟病院横の小道に
入り へ ここも 阪急交通の 観光地発掘以来
団体客が増え トイレも完備されたらしい
そこから 30分足らず だんだん涼しくなる中 歩いて 時
に到着 猛暑には 心地よいところだった
また、途中の 小川に小さな へびが泳いでいたのには
この辺りの水は すごーい 冷たくて 水面から もやがあがっている
しかし、酸性ので 飲むと 慣れない人は お腹をこわすらしい
時半 発車して 20分後 次の 訪問地の
の入り口に着き 2班に分かれて 散策開始
木道がきちんと整備されているし ブナ林が迎えてくれる
15分くらいで 赤川を渡る 木橋があり その先の分岐を
左折すると 有名な 奇形ブナのひとつ
ただ話すだけではなく やはり 興味もってもらうように
また 笑いもとりながら しゃべらないと あとでの
アンケート評価にかかわるもんね
そうして、ここの 最大のお目当ての
に 時分 着き 周りをめぐってみた
幹周り 7.7m 樹齢 300年
西表島の サシキマスオウや 屋久島の 縄文杉を思い出す
そこは行き止まりで 引き返し 分岐をまた左折
次の お目当てである
鳥海まりも群生地
阿寒湖の まりも とまったく違って ただ 苔むしているようにしか見えない
なんと 鳥海山 山頂に降った 雨が80年かかって沸いてくるという
正午 に帰り 集合後 また ホテルに 0時50分戻って
目の前の 日本を 目のごちそうに 食事
時分 ホテルを出たが 見送りに並んでいあた あの サービス部長の 村上さんに
と 聞いてみた
常々、スタッフに お客様をあなたの ご両親だと思って
ありがとうございます、大丈夫ですかと お声がけしなさいと
言い聞かせているんです。
とのことで また 全スタッフで お見送りしてくれた
が出たら ガイドさんが 村上さんは数日前に退院したばかりと アナウンス
熱い思いを感じつつ 近くの 道の駅 ねもの丘
ここをでると 最上川沿いを 川上に走り 山形県を抜け 宮城県にはいり
鳴子温泉郷 のひとつ 鬼首温泉
ホテル オニコウベ 327号室
に 時分 はいる
一転 山の中の 美しいリゾートホテル
日本の温泉は 大きく分けて 11種類だが
このうち 8種類の温泉が 鳴子温泉で楽しめるらしい
さて 部屋でくつろいでいると 窓から 乗ってきたが見え
運転手さんと ガイドさんが 1時間15分かけて びっしょりで
洗車しているのが 見えた ありがたいことだよ
時からの 夕食も すっごく おいしかった
今夜も 持ち込んだ 歯科のDVD見て
マッキー3世
横須賀市久里浜の歯医者は マリン歯科