早朝 となりに 妻がいないのに 気づいた
しばらくすると 戻ってきて トイレに行っている間に
隣りの おばさんが 寝返りうって 寝る場所がなくなり
階段に座って 本を読んだり 外でを見ていたらしい
山小屋は 宿泊を断ってはいけないので 仕方ないよね
そこで 朝食開始まで 私も待って
時半 食堂に
まだ 外は真っ暗で寒そう
しかし、また
うまいんだなー これが
3杯も おかわりしちゃったぜー
しかし、隣りのおじさんは 5杯 まじー
窓には ヘッドライトつけて もう 出発する人
はえーっ こんな 真っ暗の中 歩くのー
ここでは まさか自分達が 同じ 経験するとは 思っていなかった
大部屋の様子
部屋戻ると に皆行ったようで 不足妻に付き合って 2度
でも これが この後の ハードさを考えれば よかったよぉ
なんと 3℃
うをぉー きれい 神聖ささえ 感じてしまう
師匠たちとも
あー もう会うこともないんだなあ はかない出会いだよなあ
おいしい コーヒー飲んで
昨日 昇って よかったよという 食事の時の同席していた方の一声で
北穂高岳に 挑戦することとなり 時15分 小屋のすぐ横の 登山道
はじめは やや急な 普通の山道だったが 段々 が ごろごろしてきて
時には 50~100センチくらいの角張った 岩だらけの 道で たまに
すれ違うひとに 『この先も 同じ感じですかー?』と 聞くと
「うーん 鎖場や はしごがあるよー」とのこと
まー でも なんとかなるだろー
とうとう 鎖場がきた
私は 横の岩から 足をかけて 鎖にてを延ばしたが
右手 指先がないので あと少し届かず ふっと体重
が 後ろにかかったときは ひやーっとしたが、なんとか 乗り切った
ところが 妻が鎖場 途中で 動けなくなり
もう無理ー、行きたくないよお
しかし、下で順番待ちしている方に
引き返せないんだよ、がんばれー
と 声が とぶ
気を取り直し やっと あがることができ 先に進むが また帰りが怖い
後ろを振り返ると 前穂高岳の横から富士山が 見えてきて 感動した
11時15分 北穂高岳 3106メートル
頂上は径20メートルの円形の 平面で 岩の先っぽが頂上かと
思いきや 安心して 360度の展望が楽しめた
その右には 先日行った白馬連邦 更にその向こうに 立山
そして 登ってきた方には 富士山 その右に前穂高岳 奥穂高岳
涸沢小屋は 後ろの出っ張ったコブで見えない
小屋に晴れたら このように見えるとあった ポスターより 視界良好
いやーっ なんという すばらしい 眺めなんだ
「自然に ありがとう、本当にありがとう」
山頂でねっ転がっている69歳という 前歯のない おじいちゃんに
「また、ここで会おうな、俺は毎年 登ってるんだ、来年はもっと
きつくなるだろうけど 必ず やってくるから」
と言われ 手を振って別れた
20分ほど 山頂にいて 寒いと先に下山した妻を追いかけた
すぐ追いつき また あの鎖場に
が 思ったほど たいへんではなく 切り抜けたが 快晴の空に
これは あまく みていたね
2時 私が先に涸沢小屋に着き 預かってもらっていたものを取り
荷造りし 15分後に着いた 妻と 小屋の食堂で おでん おはぎ
で腹ごしらえして 2時半 小屋を後にした
今年は涸沢は台風18号の影響や低温で 紅葉が9月末と早かった
らしく 残念だったが またのお楽しみとしよう
とにかく 徳沢に宿泊するとあって 暗くならないうちにと 先を急いだ
途中の道ですでに登山者の姿も少なくなり困っている人がいないか
見回っているみたいな 荷物なく 走って行って戻る 若い女性とも
会い さらに急がねばと あせった
本谷橋 3時45分に着き ここですれ違った方達を最後に 1時間は
他人には 会わなかった
時丁度 横尾に到着したが もう薄暗くなっており 急がねばならなかった
とうとう 横尾と徳沢の半分を少し越したところで ほぼ道が見えなくなり
私は 懐中電灯 妻は ヘッドランプで 歩くことになった
ところが どうも 後方に 灯りもなく 歩いている 女性らしき 影を感じた
しかし、我々も 余裕はなく 妻はかなりの 恐怖感をもち その人を待つ
待たないで この真っ暗闇で ちょっとした 口論になり とんだとばっちり
やっと 建物の灯りが森の木々の隙間から 見えた時は ホッとした
時 氷壁の宿 徳沢園
心配していた 女性も 到着し やれやれ
蝶が岳という 2階の部屋になり 口論の後始末をし、7時までというので
急いで 入浴したが ちょっと狭かったかな
でも 久しぶりの って 感じがした
もう くたくたで 部屋に戻ったら あっという間に 寝た 8時過ぎ
3世 つづく