インドの火葬を全力批判するムスリム達 | 近江人(オミット)しよう。

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YOUTUBEを見ていると、お勧めに出てきたショート動画。インドの火葬だ。

これを視聴すると昭和40年頃の記憶が甦った。父親の父の兄弟。叔父になるのだが、藁葺き屋根の家に年に何度か訪れる。記憶にあるのは葬式だ。死装束の老人を楕円形の桶に、膝を抱えて納めて蓋をする。担架の様な台に載せて、神輿の様に親族が担ぎ上げる。夕方、田んぼの畦道を行列で歩く。田んぼの一角に石板で囲った屋根付きの台がある。薪を敷いて桶を載せた。読経が響く中、点火した藁束を薪に押し込む。記憶はこれで終わりだ。おそらく一部を残して、一旦帰ったと思う。幼少ながら死を少し理解したのだろう。この記憶は鮮明だ。

さて、話を戻す。インドの火葬だ。
インドでは火葬して灰を川に流す。インド人の願いは、聖なるガンジス川に流される事だ。野焼きの火葬場は宗教施設の横だ。インドはカースト制度で身分が厳しいが、上級民でも同様に焼かれる。ただ、違いがある。燃料の薪は自腹購入だ。低所得では充分な薪を買えない。それでも、少ない薪で完全に灰にする為、火葬職人は努力する。半焼け遺体を棒で動かし火元に寄せる。動画を見るとグロテスクだ。しかし、意味を知ると視点が変わって来る。

視聴者の反応を知ろうとコメントを見て驚いた。99%がムスリム(イスラム教徒)だ。全てが否定的だ。いかにイスラム教が優れているか。自分がムスリムで、いかに幸せか。火葬行為がいかに残酷か。
そこには、他国の文化、宗教、に対する理解も、尊敬も無い。理解しようとする姿勢も無い。イスラム教が最高だと信じるのは自由だ。しかし、他国の文化、宗教に批判コメントをする必要は無い。イスラム教は唯一の神を信じる1神教だ。インドの多くはヒンズー教徒だ。ヒンズー教は、仏教との共通点が多く多神教である。私はイスラム教に比べて、圧倒的にヒンズー教に親和性がある。



日本人を離れて俯瞰的に世界を眺めると、多神教民族の方が寛容に感じる。多くの神を信じる事は、多くの価値観を認める事だ。唯一神を信仰すれば、他の価値観は排除する。
八百万の神々が集う国、日本。我々が寛容に受け入れても、相手は異教徒を利用しているだけではないのか?日本人は、お人好しと言われて喜ぶのは大馬鹿者だ。お人好しは善人と解釈されがちだが、全く違う。お人好しとは、狡猾な者に利用され搾取されながらも、気付かないし、反抗もしない愚者の意味だ。