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サラスバティオフィシャルブログ「人生は夢だらけ」

潜在意識デザイナー
サラスバティのブログです。この世は夢だらけ、一度きりの人生を楽しむヒントをお届けします。カウンセリングのお申し込みは専用フォームよりご相談ください。

こんばんは。サラスバティです。

 

コロナウイルスで、今までの当たり前が当たり前にできなくなってきた昨今ですが

いかがお過ごしでしょうか。

 

いろんな不安、不便なことがたくさんあり

私の職場も毎日状況が変わって、精神的な疲れもやっぱり感じます。

 

不安なことって、だいたい未来に対してなので

今に意識を戻すと、不安に飲まれず今をちゃんと生きることができます。

 

もし、未来にもっとしたいことができなくなったとしたら。

 

今を不安たっぷりで生きることって、とても勿体無いですよね。

 

私は幸い、ネット社会でこのウイルスと対峙しているので

家にいながらも、大好きな人たちの顔を見ることができますし、話をすることもできます。

 

これがもし、私が昭和の時代でこのウイルスと対峙していたら。

今のような使い捨てマスクも、除菌ジェルもなく

情報はテレビと新聞のみ。

電話代の請求が怖くて、友達と長電話もできなかったとしたら。

 

今の時代に対峙できることは、ラッキーだと思いました。

 

ただ、あの訃報は辛かった。

 

今日はその訃報に、おそらく日本国民全員がショックを受けた

志村けんさんのお話をしたいと思います。

 

志村けんさん。

どんなバラエティに出て、どんな若手芸人と話していても

いつも楽しく笑ってるんですよね。

 

 

5年くらい前、「6人の村人」という特番がありました。

内村、日村、三村、田村、岡村、志村

村のつく大物芸人が旅をするという番組です。

 

志村さんは、旅館で最後の村人としてサプライズ登場していました。

 

周りは全員後輩です。

一番大御所の志村さんだったのですが、

 

志村さんって、それは違うよって空気出さないんですよ。

へえ、面白いねとか

へえ、そうなんだ俺はこうだなあとか

はははってずっと笑ってたりとか

相手の価値観を大切にできる人だと、あの特番を見て感じました。

 

思えば志村さんが誰かに威圧感を出したり

その場の空気を緊迫させたり、冷やしたり

気を遣わせた場面って見たことがありません。

 

40年近く活躍されているにも関わらずです。

 

加藤ローサさんが、昔志村さんと撮った写真をインスタにあげていました。

芸能界は大変ですか?と聞いた駆け出しのローサさんに

”まあね、でも、人が笑ってる顔っていいじゃない”

と志村さんは返したそうです。

 

人が笑ってる顔、私も大好き。

 

志村さんがコメディアンになったのは

お父さんの影響が強いんですよね。

お父さんはとても厳格な人で、ほとんど笑ったところを見たことがなかったのに

芸人を見て、笑っていた。

志村さんはその光景が目に焼き付いて、なんとすごい仕事なんだろうと思ったそうです。

 

私もあまり家が明るくなかったので

母がテレビを見て笑っているのが好きでした。

私も小さな頃から母を笑わせることに必死だったので

笑いの力の尊さ、素晴らしさに執着しているところもあります。

 

どんなことがあっても、面白いなあと笑ってしまう自分に

時々罪悪感があったのですが

 

志村さんの言葉を聞いて、

私はやっぱり、笑っているのが好きだし

笑っているみんなを見るのが好きだなって思いました。

 

その好きな気持ちや、笑っていることを大事にすること

それって、私がそう思うならいいじゃないかって思えたのは

志村さんのおかげです。

 

早すぎる別れに、なんといっていいか

もっとここにいて欲しかった。

 

みんな同じ気持ちだと思います。

 

あんな人になってみたい。

 

サラスバティでした。

 

 

こんばんは。サラスバティです。

今日はなんだか変な時間に目が覚めて、こんな時間にブログ書いてます。

早く寝なきゃと思いつつ
まー最悪起きっぱなしでもいっか!
なんてのんきにかまえてます。

昨日は宇宙元旦だったみたいですね。
わたし、今年初めて知りました。

エネルギーの流れが変わったり、
わたし、こうなるぞ!と腹を決めると良いそうなので、色々こうなるぞーって宣言しました。

ここにも書いておきますね。

私は、自由とお金、愛と成功を受け取りながら楽しく幸せになるのでよろしく!

大好きな人とたくさん幸せな時間をすごします。
ここには、わたしがいない方がいいんじゃないか。みんなのことを幸せにできないわたしだから。と子供の頃から思ってたことに気づいたので、ここにいていいんだ、みんなを幸せにできなくても、わたしはいたいところにいることにしました。


お金を受け取るのはもちろん、もうお金を使って自分を責めるのをやめます。
お金を自分責めツールに使うの、やめて
豊かに楽しく使って、後悔や反省会しません。

それから、お金を使わないと楽しいことがないと思っていた思い込みにも気づいたので、
お金を使う豊かさ、使わなくてももらえてる豊かさを受け取りながら楽しく過ごします。

どこかで品のない自分を責めていました。
でも、品があろうとなかろうと私は愛されていたことに気づきました。
このままでもいいですが、
私はもっと美しく洗練された品のある自分になることを許します。
そうしないといけないのではなくて
そうなりたいと思いました。

いつもタスクにまみれて苦しかった。
でも気づきました。
タスクをたくさん作ることで自分に楽しんでる場合じゃないと、楽しんだり遊んだりする時間を油断させないようにしていたことに。
わたしはタスクがどうであれ、楽しんだり遊んだり、自分が喜ぶ時間はめいっぱい受け取ります。


こんな感じですね。
宣言は多くの人に伝えだ方がいい気がしたので、昨日自分で決めたことをまた、こうしてお話してみました。

宇宙元旦の前日や前々日、
ふと、自分と対話しようと思い
色んなことを思い耽っていました。

そうしたら前述の、

タスクを作りまくる原因
お金の使い方に罪悪感が拭えない原因
自分より素敵な人がいたら家族であれ友達であれ好きな人であれ、なんとなくまずそちらの人間関係も味わってから私でいいのか決めてほしいと、変なお膳立てばかりしていた原因

そういうのがすっと、わかりました。

私がいない方がいいだろうと遠慮していたのは子供の頃からで、
それは私の行動が発端で、家族がよく喧嘩していたからです。

今思うと、私はただの引き金で
根本は私の行動ではなかったし、
当の本人達もある程度の信頼関係で行っていたことだともわかりました。

それでも私は18まで、なんとかみんなを円満にしよう、幸せにしようと我慢を重ね、涙を流し、それでもうまくいかず
進学を理由に家を出ました。
多分私がいない方が、うまくやるだろうと。
これをやめることにしました。
私はどうしたいのか、が大切ですから。
それから、わたしは本当の原因ではなかったのですから。
そして、みんな実はあれでも幸せだったのですから。

そのような事があったので、
私は自分の居場所に不安を持っていました。
自分はここにいていいんだろうかと。

わたしは子供の時から
先生や上司、その場の権力者に認めてもらおう、愛してもらおうと頑張っていました。
み、その場にいていいか悪いかを判断する人に対して、よく愛情を抱きました。

これはなぜなのかわからなかったのですが、
全ては居場所に不安を感じていたからです。
何かの役に立ち、人を幸せにできている居場所がずっとずっと欲しかった。
だから、わたしを特別だと思って欲しくていつも相手の意向を読み取ったり、
突飛なことをして気を引いたりしていました。

それに気づいた時、ちょっと泣きました。
なんだか自分が愛しくなったんです。
本当はどこにいてもよかったのに。
だから私、自分がいなくなった後の場所がうまくいってるのを聞くと悲しくなって
うまくいかないよ、あなたがいた時が一番楽しかったと聞けば嬉しくなってたんだなと。

好きな人の周りに素敵な女性がいて、
好きな人がその人をいいと思ってそうなら
わたしに好意を感じていても
わたしはいいから、みんなとちゃんと遊んで。それがわたしの愛だよとしてたんだと。
好きな人本人は、いつもなぜわたしがそんなことをするのか怪訝そうで
でも、自分の幸せを願ってくれてるのだと喜ばれる事が多かったです。
本当は、幸せそうな顔を
私は作れない、みんなみたいに作ってあげられないから、色んなところでいろんな人に愛をもらってほしいという心のあらわれでした。

今日は長いです。
ここで自分と向き合うことをお許しください。

わたしは小さな頃、
自分が楽しくて、嬉しいときに油断して、怒られたり責められたりする経験がありました。
そのたびに、こうなってしまうと、
楽しくて嬉しい時間も台無しだ。なくてよかった。これを思い出すから、この結末に結びつくから、あの素敵な思い出もなければよかった。
最後に失敗したら全て台無しだ。
こんな思い込みがありました。

だから、行きたいところがあっても、誰かに反対されそうなら調べもしませんでした。
行きたいと言って、早めに否定されるのを待っていました。
そうでないと、飛行機やホテルを調べてわくわくしているところに、行けるわけないのに、なにしてるの?と言われたら、全て台無しで傷つくからです。

楽しくしていても、やるべきことをやってない罪悪感を常絶えず感じていました。
こんなことしてていいのかな、また台無しになるんじゃないかと。
お金をたくさんもらっても、ちゃんと使えるか怖くて、なくなるたびに怖がって
全部なくなったら、また自分を責めてました。
あんなにあったのに、ダメだねって。

台無しにしないために、いつも後悔と反省ばかりしていました。
失敗したら、また楽しい時間が思い出から消えてしまうからです。うまくやれるよう、ミスのないよう、失敗しないようにやればやるほど
また、台無しになりましたし
自分を責めながら、台無しにならないように警戒しながら遊んでいたので、心から楽しめませんでした。

後悔と反省をやめたのは今年の頭で、思考がクリアになりました。
それから、楽しいとき、嬉しいとき、最後がどうなろうと、その時間の楽しさや嬉しさは消さなくていい、消えないんだということに気づきました。

わたしは、これらの思い込みから
わたしはダメなやつだから、幸せなんか与えたらまた失敗するから、常絶えず責めなければならない。
だからお金を使って楽しく遊んでも、人に好かれても、行きたいところにいっても、これがしたい、あれがしたいと浮かんでも、わたしは罪人であるという部分にフォーカスしていたんだと思います。

罪人じゃないよとしたのも、最近です。
わたしがしていたことは全て、
私が罪人だから、たまたま刑務所を出たからって
それは変わらないんだよといわんばかりの状況でした。

今年はもっとたくさん許してあげたいと思います。
なにより大切な、わたしの人生を生きるために。

長々ごめんなさい、
サラスバティでした。
こんにちは
サラスバティです。


今日は、欲しいものを手に入れる方法
のお話をしますね。



あなたの欲しいものはなんですか?

お金?
愛?
広い家?
時間?
子供?
彼氏?

色々浮かぶと思います。


でね、それがなくて、不安で
欲しいのに、色々してるのに
もらえなくて苦しいことも、ありますよね。


それがもらえる方法をお伝えします。
メモのご準備はよろしいですか?


もらえる方法はね

「それがないと、わたしはダメだから」

を手放すことです。


お金がないと、あれもできないこれもできない。そんな自分はダメ。
お金を無駄遣いしちゃう自分はダメ。
彼氏いない自分はダメ。
彼氏からふられた自分、愛されない自分はダメ。
子供いないわたしダメ、
時間ないわたしダメ、
時間の使い方が悪くて、慌ててる私、ダメ。
広い家に住んでない私ダメ。
住んでないと、惨めでみんなに馬鹿にされちゃうわたし、ダメ。

こんな、
それがないからダメ、を手放すとね

不思議と、するっと手に入ります。


それがないからダメ、を
もう合格、と変換してみてください。

私、お金なくても合格。
合格だから、もっとお金ほしいな!

私無駄遣いしたけど合格。
合格だから、たまに無駄遣いしてもいいよ!

私、彼氏いなくても合格。
合格だから、彼氏いたらもっと楽しいな!

私、子供いなくても合格。
合格だから、子供がいたらさらに最高だね!

みたいな感じです。

それがないとこうなる、を手放すとね
それがなくても大丈夫だった、に気づいて
そしたら、大丈夫な自分に満足した上で

こんなことしたい
こんな幸せな気持ちになりたい
こんな経験してみたい

だから、それがほしいんだ!

にすると、
するーっと手に入りますよ。


これってなんでかというとね

それがないとダメだ
こうでないとダメだは

後悔と、反省大会になりやすくて
次はうまくやろうとしすぎちゃう。

うまくやれてるから、もらえるものではないんです。
大事なのは、本当にほしいのかどうか。
必要なのかどうか。
それがなくても、合格だってことに気づいた後
それが本当にほしいなら
それをもらった時の嬉しさ、豊かさのために
行動するようになって
結果、するーっともらえる。

それがないとだめだから、ない時の恐怖を消すために、必死で手に入れようとすると
手に入れるためにうまくやろうとしすぎて
頭がぱんぱんになっちゃうんです。

ぱんぱんの頭では、それがもらえる隙間がありません。

ほしいものがあったら、

それがなくても自分は合格だけど
これがしたいから、それがあったら最高だな。

こんなふうに考えてみてくださいね。

サラスバティでした。


こんにちは。
サラスバティです。

今日は、たくさんブログを書きたくなったので
だらだら書きますね。

でも、成長するのをやめようっていうお話ですw

そう、今日のブログたちは
誰かの役に立とうとか
成長するためにー!はお休みして
思いついたことを書くつもりです。


成長するのをやめよう、ですが
以前お話しした、穴埋め論に通ずるところで

自分はそのままではダメだから、付加価値をつけよう!と努力したり

成長するために何かしないと!
としたり

そういう行動って、あまり身を結びません。

でも、しちゃいけないというわけじゃなくて

時々、休みましょう。

成長するのや、努力するのをやめてみないと

やめてみたら、どうなるのかを
感じることができません。

もちろん、やめたら私やばい!
やばいことが起きるー!
と思いすぎてると、
だらだらしてたら、やばいことが起こりますw

なので、今日は日曜日ですし

「わたし、今日はなんにも成長しないぞ!
成長ストップ!」

と決めてみて、成長につながりそうなことを全部シャットアウトしてみてください。


「やばい!これはわたしが成長してしまいそうだからやめよう!」

みたいな感じですw



わたしも今日は成長するのをやめてみます。

ブログはなんだか書きたくなっちゃったので
書いてますけど、

過去記事読んでたら

「お話」が「お花」になってる回がたくさんありました。

お花しますねー

なんて書いてました。


でも今日は直さないんだぜ!w

サラスバティでした。

こんばんは、サラスバティです。

今日は、
そんなひどいことを許すな、のお話しです。



私自身、たくさん男性にひどいことをされたことがあります。
でもそれはどこかで、私が悪いと思っていたから
怒りと悲しさを抱きながらも
それを拒絶しながら、決別ができませんでした。

でも、それを許そうと、理解しようと、なかったことにしようとすればするほどに
私の心は壊れていきました
そんなひどいことをされないためには
正しくありたい、言うことを聞いて
間違ったことをしなければいい。
そうして我慢に我慢を重ねて
努力に努力を重ねても
褒められたり、評価されたり、愛されることも感じられませんでした。

感じられないとしたのは
今思えば、褒めたり評価されたり愛されることもあったのです。
でも、我慢しすぎて、そんな事感じられませんでした。

都合のいい私だからこうして褒めてくれる。
言いなりだから、いい子だから。

でも私、そんなんじゃないことに気付いてました。いい子でもないし、ほんとはたくさん我慢してるのだと。
我慢している自分をいくら評価されても、私の心が泣いていました。

そんなので褒められても、嬉しくない。


ひどいことはね、許さないでください。
許さないあなたを、男性は愛したいんです。


ひどいことはね、男性もひどいことかもしれないと気付いてます。
それをあなたが受け止める方が、違和感を感じるんです。
そして、自分が正しくて、あなたが悪いんだと思い込みます。
あなたを正しく変えてあげたいと思います。
そうすることが、自分の平穏につながると、
あなたとのパートナーシップにつながると、信じるからです。


でも本当は、あなたは我慢しているので
うまく笑えなくなります。

男性はそれに気付けずに
うまく笑えてないあなたにイライラして、もっと要求を押し付けます。

そう、男性は、わからないのです。

要求を飲むあなたにイライラすることも、
あなたが言いなりになっても嬉しくないことがなぜなのか。
男性はわからないままに、どんどん要求すれば自分が安心するかもしれないと行動しているだけなのです。

だから、そんなひどいこと許すな。
あの人は、わからずにやったのです。

あなたが許さずに、心から笑えるように自分を動かせば、
相手は不思議と、あなたを大切にします。
そして、大切にすればするほど、自分が幸せになるのがわかるので、大切を続けます。


そんなひどいこと、あなたの本当の笑顔のために許すな。
あなたの本当の笑顔は、そんなこと許すより、よっぽど彼を幸せにします。

サラスバティでした。