その他のキャスト。

単純拾い画像ではありませんので、転載はご遠慮ください。

 

ナレーション リヴ・ウルマン

 

 

ジュリアン・クック少佐 の部下・中尉(ノンクレジット)

ジョン・ラッツェンバーガー

 

クック大佐「ボート漕ぎも職業訓練の一環と思え。。。冗談も通じないのか?」

に対して冷めた顔で返す中尉。

最後はボートの上で撃たれ戦死してしまう。

 

 

お坊ちゃん大尉・グラース大尉(ニコラス・キャンベル)と、エディ・ドーハン軍曹

「俺は死なないと約束してくれ!本当だ。冗談で言ってるんじゃない」

真面目に願う大尉。ドーハン軍曹は約束を守るべく、戦場から彼を助け出し、軍医に銃を突きつけて手術を強要する。

その軍医(アーサー・ヒル)

「診てください。大切な人なんです。でないと撃ちますぜ」

 

手術が終わったあとMPを呼ぶ。

「軍法会議は覚悟だな?お前は銃を抜いて手術を強要した。これは学生のカンニングと同じだ。見逃してやると全体の士気にかかわる」

(MPに対し)

「この軍曹は俺に銃を突きつけて手術を強要した。罰として教室に立たせておけ」

MP「と申しますと?」

「急いで10、勘定するんだ」

MP「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」

軍医「それでけっこう」

このMP役のギャリック・ヘイゴンは、本作の前月に公開され、大ヒットしたSF映画『スター・ウォーズ』で、ルークの親友ビッグス・ダークライターを演じている。

 

 

ケイト・テル・ホルスト夫人 (リヴ・ウルマン)

(当時のご本人)

「軍隊のことはわかりません。病院としてこの家を?」

 

オードリー・ヘプバーンは、戦時中アーネムに住んでいたこともあって、ホルスト夫人役のオファーを受けたが、ギャラや作品の内容等で折り合わず断ったため、代わりにリヴ・ウルマンが出演した。

がーー

実際のホルスト夫人は、リヴ・ウルマンと良く似ている。

 

ケイト・テル・ホルスト夫人の旦那

映画ファンで解説を書いている人が大抵ホルスト夫人の旦那がスパイダー医師と間違えているが、旦那はちゃんと登場しています。

ノンクレジット

「セリフなし」

 

 

デイビス(鶏)伍長(アラン・アームストロング)とドッズ二等兵(アンソニー・ミルナー)

デイビス伍長は戦場に鶏を持参して鶏伍長とあだ名が付いた。

二等兵「よく狙って撃ってください。でないとこっちがやられます....外したじゃないですか!」

伍長「お前が動かしたからだ!敵の火薬庫をやっつけたぞ!」

攻撃の最初の晩、二人が火炎放射器を持って、橋の敵の監視所を狙う。も、ドッズ二等兵が発射寸前、放射器を触ってしまい、監視所には命中しない。

その代わり、監視所の後ろの火薬庫を爆破。

 

 

ハリー・カーライル少佐(クリストファー・グッド)

右。

「ちょっと行ってきます」

「そんな軍隊用語はないぞ」

「任せてください」

 

攻撃指揮にいつも「こうもり傘」を持つ。

負傷し、休んでいるところへフロスト中佐が質問する。

「なぜいつもこうもり傘を持っているんだ?」

カーライル少佐「記憶力が悪くて合い言葉を忘れるのです。ドイツ軍はこうもり傘は持たないでしょう?ですから英兵の証として持っているのです」

と、言いつつ息が絶える。

 

フラー少佐(フランク・グライムス)

作戦を不安視していることを、ブラウニング中将に報告するも、却下され、逆に怒られてしまう。

「偵察写真のたった3枚の写真だけで、これだけの作戦を中止させる気か?」と。

「邪魔者ですか?置いてきぼりにされるのが辛いんです」

実際のフラー少佐とも良く似ている。

 

写真、真ん中の人物

 

 

老婦人(マリー・スミザイセン)

「タクシー!」

映画の評論ではリヴ・ウルマンを「紅一点」と書いているが、この方を忘れてはいけない。

自分の家がめちゃめちゃに壊され、我慢しきれず最後には家を出る。

そして表に出て「タクシー!」と叫ぶ。が、その瞬間、ドイツ軍の攻撃に晒されてしまう。

 

レジスタンス親子

サイエム・ブルーム(親)とエリック・バント・ウット(息子)

 

「モーデルの旗だよ。戦車の数は?」

「モーデルの方が大事だ」

作戦当初から上部に報告している。モーデルが来ていることも挙げるが無視されてしまう。

最後には戦場の手伝いの最中、息子がドイツ軍に狙撃されて。。。

 

 

精神病院から脱走した患者(ノンクレジット)

空挺部隊の降下を見守る患者の一人がアッテンボロー監督。

 

ウェーバー大佐(リチャード・ケーン)

「重傷者をちょっとだけ置かせていただけると助かります」

医務関係の責任者として、ホルスト夫人に家の提供を要請したり、ビットリヒ親衛隊中将に休戦を申し出る大佐。

ホルスト夫人には、夫人がフランス人だからと簡単な英語を使おうとしたところ、英語は堪能と分かり、軍隊用語で説明する。

夫人は歓迎するが、一緒にいたスパンダー医師(ローレンス・オリヴィエ)は「もう少し迷惑かけると思うがね」

大佐の気の使いようにクギを刺す。

 

 

グレーブナー大尉

フレッド・ウィリアムズ

橋の進撃の指揮。

最後にはあっけなく装甲車の上で殉死。

第9SSパンター偵察大隊隊長。

2日目に行われた最初の大規模な戦車攻撃に登場。

まだ弾薬や人員が豊富にあり、高所からの攻撃が出来たフロスト隊に対し一本道であったアーンエム橋での攻防戦はいささか不利であった。燃え盛る炎の中、部下の死を目の当たりにしつつ静かに崩れ落ちる。

 

 

ヴァルター・モーデル元帥 

ヴァルター・コーウト

「なぜみんな橋を爆破したがるのか?まあ、掛けたまえ」

オットー・モーリッツ・ヴァルター・モーデル(Otto Moritz Walter Model, 1891年1月24日 - 1945年4月21日)は、ドイツの軍人。最終階級は元帥。

ゲンティーン(現ザクセン=アンハルト州)生まれ。音楽監督オットー・モーデル(ドイツ語版)とマリア(旧姓デンメア)の長男。ゲンティン、エアフルトおよびナウムブルクの学校に通った。アビトゥーアに合格するも軍人への道を志し、1909年に士官候補生として第52ブランデンブルク歩兵連隊「フォン・アルフェンスレーベン」に入営。ニサの士官学校で学ぶ。翌年少尉任官し、クロッセン・アン・デア・オーデルの第1大隊に配属。第一次世界大戦勃発当初、第52連隊は第1軍傘下の第5師団第10歩兵旅団に編入され大隊副官、連隊副官として西部戦線に従軍。1915年に速成の参謀教育を受け、中隊長として前線で重傷を負った後、陸軍最高司令部に転属となり、作戦課に配属される。1917年に大尉に昇進。翌年後備第36師団の次席参謀に転属となる。

1918年11月11日の停戦後、後備第36師団はアーヘン経由でダンツィヒに戻り、そこで動員解除された。戦後も軍に残り、第17軍団参謀将校、東部国境警備隊、ミュンスターの第14歩兵連隊の第2大隊機関銃中隊長、戦術・戦史教官などを経験する。1929年、少佐に昇進し兵務局教育部に転属。1932年、中佐に昇進して翌年大隊長。1934年、大佐に昇進し第2歩兵連隊長。1935年、陸軍参謀本部技術部長。1938年、少将に昇進し第4軍団参謀長。

ドイツの敗戦直前、B軍集団がルール地方で連合国軍に包囲される(ルール・ポケット)と、一般市民を含む「逃亡兵」や連合軍との停戦交渉を試みた者を、容赦なく即決裁判で処刑する指令を出すなど苛烈な抵抗を続け、アメリカ軍のマシュー・リッジウェイ少将による降伏勧告も拒絶した。連合軍の包囲網が狭まり壊滅が目前となると、指揮下の部隊に解散を命じた上で、「ドイツの元帥は降伏しないものだ」として連合軍の捕虜となることを潔しとせず、デュースブルク近郊の森で拳銃を使って自決した。ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相は、モーデルの軍集団をドイツ敗戦の責任者として非難する放送を行った。

モーデルは自決の地に仮埋葬されていたが、1955年にフォセナックにあるドイツ軍人墓地に改葬されている。

 

 

ギュンター・ブルーメントリット少将(西部方面軍参謀長) 

ハンス・フォン・ボルソディ

「閣下の着任を歓迎いたします」

ギュンター・アロイス・フリードリヒ・ブルーメントリット(Günther Alois Friedrich Blumentritt, 1892年2月10日‐1967年10月12日)は、ドイツの軍人。最終階級はドイツ国防軍大将。

ミュンヘン市参事官ギュンター・ブルーメントリットの息子として、ミュンヘンに生まれる。1911年、士官候補生として第3テューリンゲン第71歩兵連隊に配属される。1912年、ダンツィヒの陸軍大学に学ぶ。同年11月、少尉に昇進し、第一次世界大戦中の1914年12月より第71歩兵連隊第3大隊副官を務める。終戦後テューリンゲンで義勇軍の中隊長を務めたのち、国防軍に採用された。1920年、マールブルク・アン・デア・ラーンで結婚。1926年4月、第6師団作戦参謀に就任し、ついで陸軍大学で士官養成課程教官、1935年から教頭・戦術教官を務める。1935年7月、第7軍管区参謀に転じる。

1939年9月2日、ゲルト・フォン・ルントシュテットの下で南方軍集団参謀となり、ポーランド侵攻に従軍、ルントシュテットの信頼を得る。エーリヒ・フォン・マンシュタインと共にポーランド侵攻作戦を立案。10月23日、南方軍集団主席作戦参謀となり、三日後にA軍集団に転属となる。1940年10月、第4軍参謀長、ついで1942年9月にD軍集団参謀長に就任する。1943年1月、ブルーメントリットは列車事故にあい、ハノーファーの病院に入院した。1944年4月、陸軍大将に昇進。ブルーメントリットはヒトラー暗殺計画に加担しており、7月20日の暗殺未遂事件後に逮捕され西方軍参謀長を更迭されたが、ヒトラーはブルーメントリットを無罪とみなしたため同年11月、西部戦線でハッソ・フォン・マントイフェルの第5装甲軍に属する第12SS軍団の司令官に任命された。翌年4月、軍集団司令官となるが、間もなくドイツは降伏した。

1945年6月、イギリス軍により逮捕され、イギリス軍、次いでアメリカ軍の捕虜となった。1948年に釈放される。ミュンヘンで死去した。

 

 

近衛連隊少佐 

ジョン・ストライド

「待てという命令だ。命令は命令だ」

渡河作戦が成功しながらもアーンエムに進まずクック少佐と問答しあった男。

当然道中にはドイツ軍の強硬な攻撃は予想されるし、歩兵隊を待ってから進撃するのがセオリーではあるが、アーンエムにいる味方を助ける為部下の大半を失ったクックの気持ちも痛いほど分かる。

近衛連隊少佐は理解を示しながらも、命令を忠実に守った。

 

 

ジェラルド・ラズベリー准将 

ドナルド・ダグラス

「行ってください」

英第一空挺師団のアーンエム橋担当の准将。

フロスト先遣隊はアーンエムへと到着できたがいざラズベリー進撃という際にドイツ軍が橋方面に増強しており不可能に。

アーカートと合流しドイツ軍の攻撃から逃れる為、村にある建物に入る。司令部にいち早く戻りたいアーカートに賛成し

ドイツ軍に包囲されながらも援護しつつ歩き出す。しかし銃撃で負傷し、民家で治療して貰い戦線離脱する。

 

 

スチール少佐 

ステファン・ムーア

「問題を起こしたくない。だが心配だ」

完全にやってしまった男。

無線担当だったが、コール中尉の適当さに同調しロクに確認もせず間違った周波を積み、結果第一旅団と司令部、

その他との連絡が出来なくなってしまった。これは現在色んな局面でもあることだが、スチールは作戦当日まで

(果たして判断が正しかったかと)胃の痛い思いをしたのは言うまでもない。

到着時には時既に遅しな状態で、眉が下り「ヤバイ」的な表情に。アーカートと顔を合わせるたびに顔が死んだようになる。何時無線関連で追及されるかビクビクしている様だ。人格にも少々問題があり、ジープを積んだグライダーが犠牲になった際「運が悪く」と言い切りアーカートに睨まれる。

司令部でも肩身の狭い思いをしており補給降下地点変更が無線機の故障で不可能だという話が出るや思いつめた感じで「ダメです」。(ここ一連のシーンでの演技が素晴らしい)

その後も補給機が補給地を押さえたドイツ軍の攻撃で墜落したり近場に落ちた補給品を取りにいこうとした兵士が射殺されたりさらには何時の間にか最愛の部下コール中尉が死んでいたりと不運は続く。最終的に撤退は許されず死んだ顔で遠くを見つめるスチール。

 

 

コール中尉

ピーター・セットレン

「大丈夫ですよ。三日後には橋に到着します」

スチールの部下で、無線周波の確認を問題が起きては困るとなあなあで通してしまった罪な男。それに同意したスチールは怒られるが、示唆したコールは部下なので当然怒られる事はない。上申をするかしないかはスチールにかかっていた訳だから。アーカートに怒られた後スチールと顔を見合すシーンは何とも言えぬ、生死を賭けた連帯感がある。(すごく分かるシーン)無線交信をしばらく続けるが、爆風に巻き込まれ顔が潰れて死亡する。

 

 

マッケンジー中佐

ドナルド・ピカリング

「特に弾薬が足りません」

スチールの上官で、アーカートに情報を伝える役目を持つ。スチールの事をどう思ったかは知らないが、不謹慎発言をした際呆れたような顔をしていたり、結局庇う事をしなかったりとある意味疎ましく感じていたに違いない。最終的にアーカート達と共に撤退した。

 

 

スパンダー医師

ローレンス・オリヴィエ

「もうちょっと迷惑かけると思うがね」

負傷者の治療の為、ホルスト夫人に会いに行った医師。治療に全力を尽くし、さらには休戦の為奔走する。道中数々の悲惨な光景を目にし、悲しむ。休戦は受理されるも、疲れ果てホルスト夫人らと共に家を捨てどこかへ去っていった。

 

 

ハリー・カーライル少佐

クリストファー・グッド

「記憶力が悪いのです」

第1空挺師団第1空挺旅団第2大隊所属。フロスト中佐の副官。3枚目でひょうきん者。常に傘を持つ。フロスト中佐とは良いコンビでしょっちゅう軽口を叩いてはたしなめられていた。勇気もありアーンエムでの最初の橋上戦では自身が先頭に立って戦いに挑み、またドイツ軍が降伏勧告をした際にも毅然とした態度で拒んでフロストに感謝されたりと隊に必要不可欠な存在感を持ちあわせる。激戦の最中重傷を負い、フロスト中佐を呼び顔を合わす。傘を持っている理由を語った後静かに息を引き取る。

 

 

デイビス(鶏)伍長

アラン・アームストロング

「火薬庫をやっちまった!」

鶏を戦争に持ってきて苦笑いされた伍長。本作戦は楽勝だとピクニック気分で参加した兵士を代表する。夜に敵陣地を攻撃しようとドッズ二等兵と共に行動するも失敗。しかし横にずれた火炎放射は弾薬庫に命中し完全に破壊。上記の発言に至った。(吹き替えのみ)しかし部隊は徐々に劣勢に陥り、ドッズ二等兵と移動しようと家から飛び出した所運悪く爆風に吹き飛ばされ死亡。

 

 

ドッズ二等兵 

アンソニー・ミルナー

 

「しっかり狙ってください。出ないとこっちがやばいです」

鶏伍長の鶏を笑った二等兵。伍長と共に弾薬庫を破壊する功績を挙げる。(ドッズのドジのおかげである。)煙草を吸っている最中、フロストに「大丈夫か」と気遣われる。後に伍長と交戦のため家から飛び出したが激しい銃撃を受け伍長の体に折り重なるように死亡する。

 

 

マシアス軍曹

レックス・ヴァン・デルデン

「どうぞ。昨日投下してくれたものです」

ビットリッヒの言伝をフロスト達に伝えに来るがハリー大尉に跳ね返される。これによってビットリッヒの攻撃はさらに過激になり壊滅まで追い込まれる事になる。戦闘終了後、投降したフロストを優しく労わる。

 

 

ハンス

ハンス・クロワゼ

老婦人の息子。

母を気遣い、しかし静かにしてくれとも言えず板ばさみに。母親が家を飛び出すも引き止め様としなかった。いつの間にか負傷しており、その後は不明。

 

 

レジスタンスリーダー

サイエム・ブルーム

「元帥がなぜこんなところに」

レジスタンスのリーダーで息子が発見した事実

モーデル元帥がアーンエムにいた事

ドイツ軍が戦車を隠している

以上をイギリス軍に報告するがその情報を受け持ったフラー少佐がブラウニングに伝えても一喝され、無意味に終わる。

結果作戦は失敗し、ドイツ軍に市街地も破壊しつくされ息子が死んだ後、遺体を抱きかかえたまま自身も射殺される。

 

 

リーダーの息子

エリック・バント・ウット

「お願いです。通してください。誕生日のパーティなんです」

14歳で5年前から活動を手伝っている。

モーデル元帥がアーンエムにいる事とドイツ軍が戦車を隠し持っているという事を父に伝えイギリス軍にも伝わるが、情報は黙殺される。市街地は破壊しつくされ、ドイツ軍の銃弾をくらい死亡する。

 

 

空軍将校

ジェレミー・ケンプ

「私どもとしましても一機も失えないのです」

アーカート、ソサボフスキーの空挺団降下地点を示す役割を持っているが、いかんせん作戦のマズさで橋から何十キロと離れた場所に下りなければならないとアーカート及びソサボフスキー両名を呆れさせる。

 

 

フラー少佐

フランク・グライムス

 

「仲間外れにしないでください」

レジスタンスから受け取った情報をブラウニング中将に伝えるが、結果は黙殺され今更中止が出来るかと一喝される。

その後、疲れているようだと強制的に入院させられた。

 

モーデル元帥 憲兵

ヘルムート・ベッカー

リーダーの息子が父親のところに行くのを阻む憲兵役。

 

 

 

 

 

この方から、各々のキャスティングの写真を拝借しました。心からお礼いたします。