『第十七捕虜収容所』(だいじゅうななほりょしゅうようしょ、原題: Stalag 17)は、ドナルド・ビーヴァンとエドモンド・トルチンスキーによるブロードウェイの舞台劇を原作とする1953年のアメリカ映画。

 

「地獄の英雄」のビリー・ワイルダーが1953年に製作・監督した作品で、ドナルド・ビーヴァン、エドモンド・トルチンスキ共作の舞台劇の映画化。脚色にはワイルダーとエドウィン・ブラムが当たり、撮影は「底抜けびっくり仰天」のアーネスト・ラズロ、音楽は「綱渡りの男」のフランツ・ワックスマンの担当。主演は「月蒼くして」のウィリアム・ホールデンで、「花嫁の父」のドン・テイラー、「月蒼くして」の監督オットー・プレミンジャー、「底抜け落下傘部隊」のロバート・ストラウス、ハーヴェイ・レムベック、ロバート・ショーリー、ロビンソン・ストーン、ウィリアム・ピアスン、それに原作者のエドモンド・トルチンスキらが共演している。

ウィリアム・ホールデンが1953年度アカデミー主演男優賞を受賞。

 

ブロードウェイで1年以上 (1951年5月~52年6月)のロングラン公演となった舞台劇の映画化作品。原作者の1人が捕虜の役として出演している。

 

 

 

監督    ビリー・ワイルダー

脚本    ビリー・ワイルダー  エドウィン・ブラム

原作    ドナルド・ビーヴァン  エドモンド・トルチンスキー

製作    ビリー・ワイルダー

音楽    フランツ・ワックスマン

撮影    アーネスト・ラズロ

編集    ジョージ・トマシーニ

配給    パラマウント

公開    アメリカ 1953年7月1日 日本 1954年2月3日

 

セフトン    ウィリアム・ホールデン    

ダンバー    ドン・テイラー            

シェルバッハ    オットー・プレミンジャー    

アニマル    ロバート・ストラウス       

クッキー ジル・ストラットン・Jr.     

ハリー    ハーヴェイ・レンベック    

デューク    ネヴィル・ブランド        

プライス    ピーター・グレイブス      

シュルツ軍曹    シグ・ルーマン        

ホフィ    リチャード・アードマン    

ブロンディ    ロバート・ショーティ        

トリッツ    エドマンド・トリツィンスキー            

マルコ    ウィリアム・ピアーソン        

バグラディアン    ジェイ・ローレンス        

 

 

第2次大戦末期。スイスとの国境に近いドイツの第17捕虜収容所。ここの第4キャンプには、アメリカ空軍の兵士ばかりが収容されていた。しかもすべて軍曹ばかりで、いろいろの悶着がよく起こるのだった。クリスマスに近いある夜、2人の捕虜がみんなの協力で、脱走することになった。2人が出かけたあと、無事に脱出できるかどうかの賭けが始まった。悲観説をとなえたのはセフトン(ウィリアム・ホールデン)軍曹。まもなく銃声が聞こえ、2人は射殺されたことがわかった。

この計画が発覚したのは捕虜のなかにスパイがいるからにちがいないと、皆の間で問題になる。お人好しのストッシュ(ロバート・ストラウス)、その親方のハリー(ハーヴェイ・レムベック)、いつもオカリナを吹いているジョーイ、自警委員のプライス、一本気のハーフィ、それにセフトンとセフトンの子分のクキーなどのうち、最も疑われたのはセフトンだった。実際セフトンは抜け目ない男で、衛兵を買収してひそかに外出したりするので、疑われる理由は充分だった。だが、一同はセフトンの恩恵もこうむっていた。セフトンの経営する“事業”には、『デパート』『競馬』『酒場』『のぞき』などがあった。『デパート』はセフトンがベッドの下に隠しているトランクで、その中にタバコ、酒から女の靴下まであった。

『競馬』はハツカ鼠を走らせてタバコを賭ける遊び。『酒場』はイモからアルコールを蒸溜し、タバコ2本で1杯飲ませていた。『のぞき』は手製の望遠鏡でソヴェトの女囚が入浴場で順番を待っている様をのぞくことだ。脱走者が射殺された数日後、ダンバー(ドン・テイラー)という中尉と、バグラディアン軍曹が収容された。ダンバー中尉は、ドイツ軍の軍用列車を爆破したことがあり、それを耳にした所長(オットー・プレミンジャー)の厳しい訊問を受けた。こんなことからセフトンへの疑惑は更に深まり、一同は彼を袋叩きにする。

クリスマスが迫っていたある日、輸送列車のトラブルにより将校のダンバー中尉が一時的処置として第十七捕虜収容所に収容される。彼は直前にドイツ軍の軍用列車を爆破した英雄として捕虜たちから歓迎されるが、将校昇進試験に落第した経験があるセフトンは彼に冷淡な態度をとり険悪な雰囲気を作ってしまう。そんな中、収容所長のシェルバッハはダンバーを列車爆破の容疑で拘束する。ダンバーの列車爆破の事実は第4兵舎の捕虜しか知らないため、捕虜たちはスパイがいることを確信し、彼と対立していたセフトンを疑う。さらにラジオが発見・没収されたことで捕虜たちの怒りが限界を越え、セフトンは彼らから袋にされる。翌日、セフトンは溜め込んだ嗜好品をドイツ軍のシュルツ軍曹に渡してスパイの正体を探ろうとするが拒否され、その現場を捕虜仲間に目撃されたため完全に信用を失ってしまう。

数日後、ジュネーヴから派遣された監察官が収容所を訪れ、捕虜たちはダンバーが不当逮捕されたと訴える。監察官はシェルバッハに抗議し、シェルバッハはダンバーの犯行を裏付ける証拠を見付けるようにスパイに指示する。クリスマス・イブの夜、空襲警報が鳴り響き捕虜たちは防空壕に避難するが、無人となった兵舎ではスパイのプライスがシュルツにダンバーの犯行を裏付ける証拠を提示する。しかし、兵舎内に隠れていたセフトンが密会現場を目撃しており、スパイの正体を知る。翌日、ダンバーが親衛隊に連行されると知った捕虜たちは、他の兵舎の捕虜たちと協力してダンバーを奪い返す。シェルバッハは収容所内を捜索するが、ダンバーは発見されなかった。

捕虜たちはダンバーを収容所から脱走させようと計画し、手引き役としてプライスが志願する。しかし、セフトンがプライスの正体を暴露したため彼は拘束され、代わりにセフトンが志願する。プライスは囮役として兵舎の外に放り出されてドイツ兵に射殺され、その隙にセフトンはダンバーを連れて収容所を脱走する。静けさが戻った兵舎では、クッキーがセフトンを想い『ジョニーが凱旋するとき』の口笛を吹いていた。

 

(画像が少ないので、シーンと画像との関連はありません。また方々からお借りし、お礼いたします)

 

ジャッキー・チェンの映画や、「ダイハード3」などで使われたサントラ。

 

「ジョニーが凱旋するとき」

『ジョニーが凱旋するとき』(When Johnny Comes Marching Home)は、アイルランド出身の音楽家パトリック・ギルモアによるアメリカの民謡または行進曲。『ジョニーが帰るとき』ともいわれる。

 

南北戦争の最中の1863年、北軍のバンド指揮者であったパトリック・ギルモアが、北軍で歌われていた酒宴の歌(Johnny Fill Up the Bowl)のメロディに新しい歌詞をつけてバンド曲に編曲したものである。元となった"Johnny Fill Up the Bowl"自体も、17世紀に英国で生まれたバラード曲に適当な替え歌をつけて歌ったもので様々なバージョンが知られているが、南軍兵を擬人化した「ジョニー」(Johnny)に対して杯を満たせと連呼する歌であり、全体として南軍側の政府・大統領・軍隊・人民などを蔑んだ内容となっていた。ギルモアの回想によると、戦場で兵士が口ずさんでいた北軍のはやり歌のメロディーが頭に残り、「ジョニー」の帰還を迎え讃える歌詞をつけたという。

なおメロディーが同じである反戦歌『あのジョニーはもういない』(Johnny I Hardly Knew Ye)は1867年に発表されかつ元は別のメロディが使われており、反戦歌の替え歌とするのは誤りである 。

「ジョニーが凱旋するとき」は南北戦争当時非常に人気があり、北軍のみならず南軍でも歌われた。また英国でもヒット曲となった。

 

ダイハード3について

「ジョニーが〜」は前2作の「レット・イット・スノウ」に替わってエンディングでも登場する。ただし、「ジョニーが〜」はこの『第十七捕虜収容所』の主題曲として登録されているため、当初は版権の問題から『ダイ・ハード3』のサウンドトラック盤には収録されていなかった。2012年12月、4,000枚限定で発売された2枚組サウンドトラックCDにて初収録された。

 

この映画では結構重要なとこ。

 

 

 

 

 

まず。

前のブログでも書きましたけれども。所長のシェルバッハ(オットー・プレミンジャー  )についてーー

「大脱走」のポール・ブリックヒル氏の経験談とも考え合わせると。

大佐ほどのドイツ軍将校が、もう少しインテリであってもおかしくなかろうと。

しかし、あの威張った感じでないとこの映画では成り立たない。

他作品(小説)の記述から考察すると、ドイツ軍の連合軍捕虜に対しては高待遇とのことだった。少ないながらも賃金すら支給され、この賃金で好きなものと交換できた、とのことでる。捕虜は身綺麗なつなぎを支給され、冬にはスキーすら楽しみ、戦争前の経験者の手腕で劇場、図書館まで作り蔵書は何千冊もあった、という。

ポール・ブリックヒル氏いわく、『捕虜たちは案山子同然のボロをまとって、これ以上は骨と皮が邪魔で痩せられない、というほど痩せていた』とのことであるが、この矛盾をどう解釈すべきなのか。

ともあれ、第十七捕虜収容所は少しひどすぎる感がある。

 

ストーリーとほぼ同じ時系列で撮影され、出演者たちは、誰が本当のスパイかを知らされず に撮影に臨んでいたという。コメディでもあり、サスペンスとしても一級品である理由は、こうした撮影方法にもあるのかも知れない。

左から、ウィリアム・ホールデン、ジル・ストラットン・Jr. (クッキー役)、ピーター・グレイブス (プライス役)

 

セフトン役には、チャールトン・ヘストン、カーク・ダグラスの名前が挙がっていた。

 コメディ色を出すため、道化役として奮闘した2人、ベティ・グレイブルの大ファンで あるアニマル役のロバート・ストラウスと、その相棒ハリー役のハーヴェイ・レンベックは、ブロードウェイでも同じ役で出演していた。

左から、ロバート・ストラウス、ウィリアム・ホールデン、ハーヴェイ・レンベック

 

お調子者のアニマル(ロバート・ストラウス)をネットで探すとどうにも出ない。ウィキでは別人がリンクされてましてよくわかりません。

 

 

映画監督としてのキャリアにほぼ専念していたオットー・プレミンジャーの収容所所長役、 ワイルダー監督の師匠エルンスト・ルビッチ監督の 『生きるべきか死ぬべきか』 (1942 年) でもナチス・ドイツの大佐役を演じたシグ・ルーマンの軍曹役など、映画ファンならニヤリとしてしまうキャスティングもビリー・ワイルダー監督ならでは。

シグ・ルーマン(左) と ウィリアム・ホールデン

 

セフトン:ウィリアム・ホールデン

 

「タワーリング・インフェルノ」でのホールデン

William Holden, 1918年4月17日 - 1981年11月12日は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の俳優である。本名はWilliam Franklin Beedle Jr.。

第二次大戦中は陸軍航空隊に所属。4年間の軍務の後、戦後再び映画に出演するが、しばらくは作品に恵まれず復帰間もないころは低迷していた。しかし、1950年、ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』でアカデミー主演男優賞にノミネート、この一作でそれまでのアイドル路線から脱却し演技派スターへと変化を遂げてスターダムを駆け上がる。その後は1950年代を通じて興行的に最も信頼できるスターと称され、数々のヒットを飛ばし、特にビリー・ワイルダーと再び組んだ『第十七捕虜収容所』では念願のアカデミー主演男優賞を受賞。他にもデヴィッド・リーン監督『戦場にかける橋』、キャロル・リード監督『鍵』、ジョン・フォード監督『騎兵隊』、『喝采』、『麗しのサブリナ』、『ピクニック』、『慕情』と、世界映画史を代表する名作・ヒット作に出演し大活躍。常に人気も上位にランクインしていた。来日もしており、黒澤明監督との写真も現存する。『トコリの橋』では淡路恵子、『戦場にかける橋』では早川雪洲、『第七の暁』では丹波哲郎と競演をしている。

 

 

ダンバー役 ドン・テイラー。

ドン・テイラー(Don Taylor, 1920年12月13日 - 1998年12月29日)は、アメリカ合衆国の俳優・映画監督。

「ファイナル・カウント・ダウン」「オーメン2」の監督だったとは。

 

オットー・プレミンジャー

オットー・プレミンジャー(Otto Preminger, 1905年12月5日 - 1986年4月23日)は、オーストリア=ハンガリー帝国生まれの映画監督、映画プロデューサーである。1950年代 - 1960年代のハリウッドで活躍した。

「栄光への脱出」の監督。

 

 

ピーター・グレイブス

ピーター・グレイブス(Peter Graves, 1926年3月18日 - 2010年3月14日)はアメリカ合衆国の俳優である。主に映画やテレビドラマで活躍した。ドラマ『スパイ大作戦』の主人公ジム・フェルプス役で知られる。

 

 

以上、こんなもんでしょうか?

 

参考文献

ウィキペディア

http://cinepara.iinaa.net/Stalag_17.html

https://blog.goo.ne.jp/yanase1975/e/bbbd504a4f7e9282e4b20e4e78d6dcc7

他。ありがとうございました。