12年目の「3.11」
あれからもう12年なんですね。
昨日の事のように思い出されます。
忘れたくても忘れられない日。
忘れてはいけない日。
あの日は雪もチラつく寒い日でしたが、今日は暖かい1日でした。
花粉がやばい・・・車が真っ黄色ですよ
こちらでは地元テレビ局では特番ばかりでした。
2時46分にサイレンがなり黙祷
家が残っているだけでもいいじゃないか
原発避難で帰りたくても帰れない
身内が亡くなった
友人が亡くなった
家が流された
誰が一番辛いとかじゃなくて、
あの日あの時あの経験をした人は何かしらの心の傷を負っているという事。
私にとって一番辛かったのは実家の津波被害。
卒業した小学校、中学校が津波で廃校になり実家周辺の景色も私の思い出の景色とは全く別のものになった事。
伯父と伯母が津波で亡くなった事。
親戚の家も津波の被害にあいました。
それでも私は自宅は無事だったし、家族、両親、姉も無事だった。
身内が亡くなった人、家が流された人、原発の避難をしなければならなかった人に比べれば・・・と
辛い気持ちを吐き出せない時期もありました。
近所の方や子供達の保護者の何気ない一言に傷ついた事もあったなあ・・・
そんな嫌な気持ちはこの12年で少しずつ和らいできたような気もします。
今年も行われた「3.11 検索はチカラになる」
私も検索しました。