「もったいない」
と言う時、少し緊張します。
『まだ使えるのにムダにしてしまった…』
『モノを粗末にあつかってしまい、罪悪感を感じる…』
『私には、分不相応な感じ…』
ただ単にムダ使いを後悔するというより、もっと心の奥深いところで「申し訳無さ」を感じているのです。
もったいない
もったいないの『もったい』とはなんでしょう?
『もったい(勿体)』という言葉は、仏教用語が起源だそうです。
- ものの本質
- 本来あるべき姿
- 重要なもの、ところ
という意味合いだそうです。
ここから、重々しくて荘厳なもの、風格や品格があること、を指すようになりました。
その重要な、本質を持つ、あるべき姿の『もったい』がなくなってしまうのですから、一大事です。
あるべき姿ではない、自然の姿がなくなる、著しく妥当性がない、喪失感。
ここから、『物体が粗末にあつかわれてかわいそう、粗末にあつかった懺悔の心』という意味に展開されていったといいます。
ただ単に節約を心がけるというだけのものでは、ないようです。
「勿体」がなくなってしまう状態とは?
「もったいをつける」「もったいぶる」という表現がありますね。
本来の本質はかくすけど、少し感じさせる行為。
食事を残したり、まだ使えるものを捨てる時、一瞬、心の奥底で『自然、宇宙、摂理、』をチラッと感じます。
自分自身への後悔というより、自然に対する『畏れ』の心持ちを感じるのです。
自然は、わたしにはどうしようもできないものです。
自然なんかコントロールできないので、ただただそれに委ねるしかない。
地球が廻るのを、わたしには止めることができません。
自然は、文字通り常に自然にわたしの周りにあって、包み込んでくれると同時に、時には厳しく突き放したりもします。
自然に対する不貞、自然にあるべき姿を壊す行為、本質を汚すもの、こんな時の感情はひとことでは言い表せません。
なにか、ムダなことをした時、不条理を感じる時、大自然そのものに対するモヤモヤした感情が『もったいない』なのではないでしょうか。
ものの本質が変わってしまったこと、本質を変えてしまうことが、自然に対する『畏れ』として現れたのです。
自然に対する、畏敬の念を感じる瞬間です。
感謝の気持ちを「有り難いこと」と表現する日本らしい、感じかたです。