




風は冷たいけど、天気もいいし、気分もいいので、スロージョギングに。
向かった先は、臨港線。
芦屋公園の南から西宮市との境にある堀切川まで2キロで、正式な道路名は“防潮堤線”というのだそうです。
旧防潮堤に沿って、路側帯と自転車ロードが整備されています。
車が通らないので、安心してランニングやウォーキングできるので、小さなお子様連れでも安心して歩けますよ。
かつて防潮堤より南は海でした。
これは、もしかしたら水門跡かな
父が子どもの頃は、夏になると体育の授業は海で遠泳だったそうです。
私が子どもの頃には、まだシーサイドタウンは建ってなかったけど、もう埋め立ては行われていました。
フェンスを越えたら、だだっ広い草原?が広がっていて、四つ葉のクローバーを探しに行ったなぁ。
臨港線沿いに残る戎社。
昔は芦屋も地曳網漁など漁業が盛んだったそうです。
私が小さな頃は、臨港線の辺りで獲れたじゃこを天日干ししていたけど、いつの頃からか見られなくなりました。
この戎社は、海の安全や大漁祈願のためにつくられたと近所のおばあちゃんから聞きました。
戎社の近くに健康遊具がありました。
ちょっと休憩がてら、健康遊具でストレッチできますね!
歴史の名残を感じたり、父との思い出を振り返りながらのスロージョギング。
とっても気持ち良かったです。また走ろうっと。
今日はママ友達との新年会♪
芦屋市内にある、ナポリで修業したシェフが薪窯で焼き上げるナポリピッツァが評判のお店に行きました。
ナポリピッツァはもちろん、前菜からメイン料理まで、幅広いメニューで人気です。
当日も、ファミリーやカップルが食事を楽しんでいました。
ノンアルビールで乾杯!の後は、それぞれ年末年始の報告を。
愚痴をこぼしつつ、ストレス発散!
まずは生ハムや野菜などの前菜盛り合わせから。
続いてフリッター盛り合わせ。
家庭では再現できないお味に、みんなで大盛り上がり。
タコのパスタです。
シーフードの旨みたっぷり。固めの麺が私好み♪
〆のドルチェは一口サイズの冷凍プリンです。
食べた瞬間は冷たいんだけど、すぐにじわっとカスタードの甘みが口の中に広がります。
これがめちゃくちゃ美味しかった!
ナポリピッツァも絶品でした!
また行きたいな。
今度はランチで利用したいと思ってます。
習い事の帰りやランチ会の後・・・
私達の「ちょっと寄ってく?」行先は、こちら!
「あしや温泉」の足湯です♪
閑静な住宅街にたたずむ芦屋の天然温泉、「あしや温泉」
温度46度の含重曹・食塩泉は、地下1000mから湧出しているそうです。
泉質は、非常に良質なナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉。
天然温泉なのに無料って、嬉しいですね!
ちょっとだけお喋りしたい時に、よく利用しています。
今日は習い事帰りに、友達と足湯につかりながら、お喋りしました。
毎週火曜日及び第1・3水曜日(祝日の場合は営業)、 年末年始(1月1日~1月3日)はお休みです。
「あしや温泉」
芦屋市呉川町14-11 電話0797-32-0204
ほんの30分ほどですが、お喋りしていると、とっても楽しくて、気分が癒され、ホッとできるんですよね。
衣をつけて、串に刺し、それを揚げる。
串カツを家で揚げると、とっても美味しいけど、ちょっと手間・・・
優雅に外食でいただくのがワタシ流♪
というわけで、今日はお友達と串カツランチをすることに。
こちらは芦屋で串カツとワインが手軽にいただけると人気のお店です。
ランチタイムは、串揚げ10本コースが1500円で、サラダ・にゅうめん・食後のコーヒー&デザート付きと、とってもリーズナブル。
目の前で揚げてくれて、アツアツがいただけるのも嬉しいです。
まずはサラダ。
串揚げは季節ごとに変わります。
この日は、エビ、ヘレ、カモ肉、アスパラ等々。
とっても美味しかったです。
〆のにゅうめんも、また良いんですよね。
デザートも豪華でしょう?
芦屋で、これだけ食べて1500円!
主婦にはとってもありがたいです。
また食べに来ようっと。今度は母にご馳走してあげようかな。
毎年、1月17日が来ると、次女に聞かれます。
被災直後は、何が起きたのか分からず、全壊した家を見て、ただ涙が出た。
しばらく泣いた後、幼馴染の友達の無事を確認しに行き、それから様子を見るため、近所を歩き回った。
あちこちで家屋が倒壊していて、マンションの下敷きになっている人を助けたいのに、救急車が来ないと嘆いている人もいた。
しばらく公園に避難していたけど、頭を打ち、半身を打撲して動けない母を寝かせるため、朝8時に近所にある母校の体育館へ。
行くと、まだ私と近所の方の2人だけで、とりあえず柔道用の畳を借りました。
そのうち、だんだん人も増えてきて、すぐにいっぱいになりました。
体育館の床がたかったなぁ。
昼間は母を診察してくれる病院はないかと、探しに行きました。
車も、つぶれていたので動かせなかったから、弟の友達が連れて行ってくれたのですが、大渋滞で、全く動かない!
平常時なら10分で行ける場所も、2時間ぐらいかかって到着する有様で、やっとのことで着いた場所も、その先は進めませんでした。
高速道路が倒壊していたのです。
それを見た時、ただならぬことが起こったな、初めて現実を直視して、身震いしました。
家が全壊し、テレビもラジオもなく、情報が遮断されていたので、何が起きたのか、全く把握できていなかったのです。
結局、病院は3~4軒回り、夜8時に、ようやく診察が受けられたけれど、ケガぐらいではどうにもできないと、帰らされてしまいます。
停電や機器の故障で、検査もできないし、何より重体患者が多くて、その方々が優先でした。
だけど、ろくに治療はできなかったと思う。
病院はどこも、ご遺体と重症の患者さんとで、足の踏み場もないような状態でした。
体育館に戻り、夜遅くなって、ポールウィンナーが届いたけど、全く食べる気になれませんでした。
寒い夜だったけど、寒いとか、お腹がすいたとか、何も感じられなかった。
あるのは、ただ恐怖心と悲しみだけ。
17日は終日、トイレも一度も行かなかった。
余震が来るたびに、恐怖がよみがえり、眠くなることもなく、翌日を迎えたのでした。
以上、簡単ですが、95年1月17日のダイジェストです。
長女は、学校から「命・つながり」という小冊子を持ち帰って来た。
阪神淡路大震災を経験している家族に聞き取り調査を行い、それをまとめたもので、私も、寄稿させていただきました。
読んでみると、百人なら百通りの被災体験があって、同じ被災者として思いを共有できたような気がして、とても勉強になりました。