21年前の今日 | 明日は明日の風が吹く

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芦屋生まれ、芦屋育ち、アラフォー主婦(chie)公式ブログです。
日々感じたこと、お出かけの感想、地元ネタ、時々愚痴も。
思いのままに綴ります。



「21年前の今日、何してた?」

毎年、1月17日が来ると、次女に聞かれます。


被災直後は、何が起きたのか分からず、全壊した家を見て、ただ涙が出た。

しばらく泣いた後、幼馴染の友達の無事を確認しに行き、それから様子を見るため、近所を歩き回った。

あちこちで家屋が倒壊していて、マンションの下敷きになっている人を助けたいのに、救急車が来ないと嘆いている人もいた。


しばらく公園に避難していたけど、頭を打ち、半身を打撲して動けない母を寝かせるため、朝8時に近所にある母校の体育館へ。

行くと、まだ私と近所の方の2人だけで、とりあえず柔道用の畳を借りました。

そのうち、だんだん人も増えてきて、すぐにいっぱいになりました。

体育館の床がたかったなぁ。


昼間は母を診察してくれる病院はないかと、探しに行きました。

車も、つぶれていたので動かせなかったから、弟の友達が連れて行ってくれたのですが、大渋滞で、全く動かない!

平常時なら10分で行ける場所も、2時間ぐらいかかって到着する有様で、やっとのことで着いた場所も、その先は進めませんでした。

高速道路が倒壊していたのです。

それを見た時、ただならぬことが起こったな、初めて現実を直視して、身震いしました。

家が全壊し、テレビもラジオもなく、情報が遮断されていたので、何が起きたのか、全く把握できていなかったのです。


結局、病院は3~4軒回り、夜8時に、ようやく診察が受けられたけれど、ケガぐらいではどうにもできないと、帰らされてしまいます。

停電や機器の故障で、検査もできないし、何より重体患者が多くて、その方々が優先でした。

だけど、ろくに治療はできなかったと思う。

病院はどこも、ご遺体と重症の患者さんとで、足の踏み場もないような状態でした。


体育館に戻り、夜遅くなって、ポールウィンナーが届いたけど、全く食べる気になれませんでした。

寒い夜だったけど、寒いとか、お腹がすいたとか、何も感じられなかった。

あるのは、ただ恐怖心と悲しみだけ。

17日は終日、トイレも一度も行かなかった。

余震が来るたびに、恐怖がよみがえり、眠くなることもなく、翌日を迎えたのでした。


以上、簡単ですが、95年1月17日のダイジェストです。


長女は、学校から「命・つながり」という小冊子を持ち帰って来た。





阪神淡路大震災を経験している家族に聞き取り調査を行い、それをまとめたもので、私も、寄稿させていただきました。

読んでみると、百人なら百通りの被災体験があって、同じ被災者として思いを共有できたような気がして、とても勉強になりました。