今日は、先日ブログに書いた通り叔母さんの法要でした。

通夜や葬式のような哀しみはなく、なんだかんだで
あっさり終わってしまいました。

なんでなんですかね?

多分、自分の中で理解というか納得されているんでしょうね。

もういないだということが。

もしくは慣れというんでしょうか?

1年に2回も。
祖父と叔母という近所に住んでいて、
良く会っていた人達がなくなるということは、
肉親、近親の死について耐性ができているんでしょうね。

ま、そうとう大変でしたがね。

心の中に穴が開いちゃうみたいな。

これからはそんな事がある。

だから耐えなくてはいけないということですか、
なんだか残酷な耐性ですが
乗り越えないとね。

ま、たまに思い出したりしますけど。

忘れなければいいんですよ。

それでいいと思います。