住めば都 !? 近くて遠~い韓国生活

住めば都 !? 近くて遠~い韓国生活

2010年に国際結婚して韓国へ。
日本ではCAと日本語教師、今は韓国で大学教員。
娘(Grade6)の成長や教育を中心に、
日本への帰国や韓国での日常も少しずつ書き留めています。

父が亡くなり、実家が空き家になりましたクローバー

これまで「帰れば親がいてくれる場所」だった実家は、

「自分で管理する場所」へと変わりました。

 

父が亡くなってからも、3回ほど帰りましたが、同じ家なのに、どこか少し違う感じがします。

 

私は現在、海外に住んでおり、これからも変わらず年に4回ほど日本に帰省する予定です。
もし娘が日本の高校に進学できれば、寮生活とはいえ、もう少し帰る頻度は増えるかもしれません。

 

長期間、家を空ける生活の中で、現実的な問題もいくつか見えてきました。

その一つが、郵便物です。

不在時の郵便物の保管は30日まで。
それを過ぎると、通常通り配達されてしまいます。

30日では、足りませんあせる

警備会社には防犯カメラの設置をお願いしていますが、郵便物の回収までは依頼していません。

そこで、鍵付きの大きな鉄製のポストを設置しましたカギ
今回、約2カ月ぶりに帰省してみると、思ったほど郵便物は溜まっていませんでしたびっくり

 

父に関する手続きを一通り終えたこと、
そして生活に関わる郵便が減ったことも、影響しているのだと思います。

 

高齢の父が楽しみにしていたテレビショッピングやカタログ通販。
一つ一つ、停止の連絡をしました。

オペレーターの方に理由を尋ねられるたびに、現実を突きつけられるような気持ちになりました。

 

また、電話やテレビ、電気(オール電化)、水道などは、
いつ帰ってもそのまま使えるように、基本的には止めずに維持しています。
いない間も基本料金はかかりますが、すぐに生活を再開できる安心感には代えられないと感じています。

 

そして今回、もう一つ大きく変わったのは、「制度との向き合い方」でした。

私は2010年に海外転出して以来、住民票はなく、マイナンバーカードも持っていませんでした。
それでも特に困ることはありませんでしたが、父の相続手続きをきっかけに状況が変わりました。

住民票や本人確認書類が必要となり、このタイミングで住民登録を戻すことに。

 

海外在住であること、職場も海外にあること、
今後も定年退職までの18年間(延びれば23年ほどになるかもしれませんが)、長期滞在はしないこと。
すべてを伝えましたが、問題なく受理されました乙女のトキメキ

 

金融面でも変化を感じました。

マイナンバーカードがないことで、海外在住者は、口座の管理や手続きに制限が出る可能性があると言われ、
今まで意識していなかった「制度の壁」を実感しました。

 

一方で、小さな町ならではの安心感もあります。

人口1万人弱の町だからこそ、役場に行けば顔を覚えてくださっていて、事情もよく理解していただいています。

これまで娘は、父と一緒に住んでいる形にしていただいていましたが、
父が亡くなり、未成年の娘は世帯主にはなれないと思っていました。

けれど、状況をくみ取ってくださり、
「娘さんが世帯主でも大丈夫ですよ」と言っていただいたときは、本当にありがたく感じました。

子ども手当については対象外でしたが、それでも制度の中でできる範囲でしていただきました。

 

結局、私が住民票を戻したことで私が世帯主となりましたが、
そこに至るまでのご配慮には、感謝でした。

 

実家が空き家になって気づいたのは、
「家を持つこと」は、単に場所を持つことではないということでした。

管理、手続き、制度、そして責任。

これまで見えていなかったものが、一気に現実として現れました。

 

これからは、自分でその距離を調整しながら、関わっていく必要があるのだと思いました。

娘の春休みに合わせて帰省し、念願だったジブリパークに行ってきました。

 

私は授業のない曜日に有給を取り、娘とひと足先に日本へ。

夫は今回も仕事の都合で、週末に合流するいつものパターンでした。

 

ジブリパークのチケットは、実はこの1年ほどずっと挑戦していて、気づけばいつも売り切れ…。
今年の3月分(1月販売)で、ようやく取ることができました。

とはいえ、すべてのエリアに入れるプレミアムではなく、スタンダード。
少し迷いましたが、「行けるだけでも十分」と思い、今回はこのチケットで行くことにしました。

 

結果としては、娘にとってはこれでよかったのかなと思います。

というのも、出発直前にジブリ作品を見返していた娘が、これまで見ていなかった『魔女の宅急便』にどっぷりはまってしまい…
特にジジがお気に入りにラブラブ

 

ぐーちょきパン屋さんではお目当てのパンを買い、ショップでは事前にチェックしていたマグネットを無事にゲット。

  


さらに「ハウルの動く城」のぬいぐるみまで。
こういうところでは、お財布のひもはゆるゆる。

「ここでしか買えないから買おう」と娘を誘導してましたが、娘が買ったものは、

どんぐり共和国でも手に入るものもありました爆  笑笑

 

 

当日はとにかくよく歩いて、よく並びました。
途中から雨も降り出しましたが、「ジブリっぽいね」と話しながら歩きました。

 

その日は名古屋に一泊。

  


それぞれ行きたいお店を見て回っては、「あとでここでね」と待ち合わせ。
買ったものを見せ合ったり、迷ったときは呼び合って相談したり、母娘で、自由な感じを楽しみました。

 

翌日には夫も日本に来て合流し、その後は家族でゆっくりと過ごしました。

 

最近は、実家のことも少しずつ考えるように。
いわゆる「実家じまい」も頭をよぎりますが、娘の反対もあり、できるところまで維持することにしました。

 

将来、夫婦で定年を迎える頃には日本での生活も視野に入れているので、
その前に早めに実家のこと考えていきたいと思っています。

 

故郷は好きですが、老後を考えると田舎暮らしは簡単ではないとも感じます。
父を見ていても、そう思いました。

 

今は、空き家でも帰る場所があることに感謝ですが・・・
これからのことは、少しずつ計画していこうと思います。

 

父の言葉「40代から90代まではあっという間。今を楽しみなさい」

最近、その意味がよくわかる気がします昇天

 

次の帰省は夏。
今度はゆっくり過ごしたいです。

昨年の秋、父が亡くなりました。
そして晩秋に、納骨を終えました。

 

母が亡くなったのは、私が20代の頃。
それからの20年、父とは離れて暮らしながらも、
なんだかんだで支え合ってきたと思います。

正直、よくぶつかりました。
大ゲンカも何度もしました。

 

それでも父は、80代になってから透析スタート、週3で通いながら、
ちゃんと踏ん張って生きてくれました。

 

私と父は45歳差。
娘(孫)と父は80歳差。

 

娘が生まれて、中学校に上がるまでの成長を、
そばで見てもらえたこと。
それが今になって、すごく有難いなと思います。

92歳まで、ひとりで本当によく頑張ってくれました。

 

母のときに、父と2人で登った399段の階段。

 


あの日は2人だったけれど、今回は3人で。

同じ道なのに、少しだけ違う時間でした。

お花のお寺で、それぞれ選んだお守りは、紅葉と紫陽花。

 

そして先週、娘の春休みに合わせて、少し遅いお彼岸に帰省しました。

父がご近所さんと一緒に植えた桜。開花の時期に会えました。

 

秋から冬を越えて、春。
普段は仕事で気が紛れているけれど、ふと思い出してしまうときがあります。

そんなとき、気づくと夫がそばにいて、娘は背中をさすってくれます。

季節は進んでいくのに、気持ちはゆっくりついていく感じです。

また来年も、この桜を見に帰ろうと思います。