第315話 セラピスト
八代と父は
私の受けるべきセラピーについて
数日間、相談しあっていた。
セラピストの人選は難航している様子だった。
結局、父よりも立場が上でなければ診療しにくいだろうということで
日本屈指の熟練者である中川という人物に決まった。
「中川先生は、素晴らしい博士だよ。
長いこと、アメリカの精神分析の最前線にいた人でね
むこうの大学にも席を置いているし
こっちでは個人診療の他に、精神科のスタッフにティーチングまでしている有名な人だ。
お父さんなんかは恐れ多くて逢えないくらいなんだよ。 おまえは運がいい!」
父は入手した紹介状を見ながら、本当にうれしそうに言った。
中川に対する父の崇拝ぶりにはいささか辟易したものの
八代と父の二人が揃って太鼓判を押すセラピーが、どれほど画期的なものなのかは
私も大いに期待をしていた。
中川の診察は
完全予約制で非保険診療ということだった。
五十分間のセラピーに
二万円の代金を支払うことになっている。
週に一度だとしても、月に八万円かかる計算だ。
これだけ高額な治療を受けるのだから
劇的に私が変貌を遂げるのでなければ割に合わない。
きっと中川は
私の不幸の原因がどこにあるのかをズバリと指摘し
また仙台での出来事についても、見えない敵の正体を暴いてくれることだろう。
生まれ変わった私は、仙台で新スタートをきる。
今度こそ、俊ちゃんと何の不安もない幸せな未来を手に入れるのだ。
精神病院に入院してから二十日がたち
八代はようやく外出許可を出してくれた。
とはいってもそれは、父の付き添いの元
中川の所に初回面接に行くことが決まったからだった。
理由はどうあれ
私は病院から出られることに心を躍らせた。
父がいくつかの書類にサインをして、八代が何箇所にも判子を押し
最後に医院長の許可をもらって、ようやく外の世界に出ることが出来た。
病院の自動ドアを小走りですり抜けると
私はウキウキして、空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「うおー! しゃばの空気はうまいっ!」
私は冗談めかして言った。
「時間厳守だからすぐに行くぞ、ほら」
父はおちゃらける私に構うことなく
待機していたタクシーに乗り込んだ。
外の景色を見ながら
しばらくの間は上機嫌だった私だが
タクシーが高速道路に入ると状況は一変した。
流れる景色が
仙台から帰ってきたあの日の光景と似通っていて
フラッシュバックのように嫌な感覚が蘇り始めたのだ。
タクシーは三車線の真ん中の道路を走っていた。
追い越し車線を走る黒のセルシオがタクシーに並び
助手席に乗っていた男と目が合った。
男は口の端を不自然に引き上げて笑ったように見えた。
私が不信な目で睨むと
セルシオは何事もなかったように加速してタクシーを追い抜いていった。
私は急に疑心暗鬼になり
仙台人の追跡がまだ続いているのではないかと
周りの全てに疑いの眼差しを向け始めた。
当然、タクシーの運転手も怪しいと感じた。
その不愉快で不可解な現実もさることながら
決して取り外すことの出来ないフィルターのような自分の感覚に怯えた。
さすがに、敵に取り囲まれて
様々な暗号で攻撃されるような危機的な世界ではなくなってはいる。
だけど、その世界は随分薄まりながらも根強く継続されていた。
三週間の入院と投薬が、全く無意味に感じられた。
そして、覚醒剤はとっくに抜けているのだから
私の感覚は正しいはずだと思った。
やはり妄想や幻覚などではなかったのだ!
この思考回路こそが
まさしくフラッシュバックそのものだった。
急に無口になった私に異変を感じたのか
父が「どうした? 大丈夫か?」と声をかけてきた。
「ううん、とくに何でもないよ…
久しぶりだから少し緊張してるのかな?」私は適当にはぐらかした。
実際に外の世界は
病院での入院生活とは打って変わって
インプットされる刺激が多く、酷く疲れを感じた。
私はいつのまにか
この世の果てでの生活の方が居心地が良くなってしまったのだろうか。
暗澹たる気持ちになり
「少し寝てるね」と父に言ってから目を閉じた。
視覚を遮断すると、心なしか落ち着きを取り戻すことが出来た。
セラピーさえ受ければ全てが解決する。
そう願うしかなかった。
タクシーが止まった。
高輪の閑静な住宅地にあるマンションの一室が
中川の診療所になっていた。
約束の時間まではまだ十五分あった。
マンションの一階にある広いエントランス部分で
父と時間まで待つことにした。
見るからに高級そうなソファーがあり
腰掛けると正面に小さな中庭が望めた。
父は窓際に立ち、黙って中庭を眺めている。
淡い色彩の風景画がいくつか壁に並んでいる。
私はそれを一つずつ目で追いながら
これから始まるセラピーについて想像を膨らませた。
今まで、精神分析の本は随分と手に取ってきた。
フロイトの著書である『精神分析』はとくにおもしろくて
何度も繰り返し読んだ程だった。
揺り椅子のようなものに座らされ
患者は催眠術をかけられる。
それから自由連想法と呼ばれるものが始まる。
子供の頃によくやった連想ゲームのようなもので
「りんご」「赤い」「郵便ポスト」「手紙」というように
次々と自由に連想される言葉を言うだけでよい。
その中から「不自然な連想」や「個人的なひっかかり」などにセラピストが気が付き
点である言葉を一本の線に繋いでいくことで
段々と抑圧されていたトラウマが浮き彫りになっていく。
無意識に抑圧されていたトラウマが意識化されることで
患者の症状は消滅する。
たしかフロイトの本にはそのように書かれていたと記憶している。
それは自分の想像の範疇を超えるドラマティックな出来事のはずだ。
本当にそんなことが出来るならば
セラピストは魔法使いのような存在だと思い
私は言い知れぬ期待と緊張に包まれていった。
約束の時間ぴったりに
父がオートロックのインターフォンを鳴らした。
「はい」
抑揚のない男の声だった。
何をそんなに恐縮しているのかと思うくらい、父はバカ丁寧に名前を告げ
インターフォンのカメラに向かって何度もお辞儀をした。
「どうぞ、お入りください」
男の返事と同時に自動ドアが開かれ
私は父の後に続いた。
エレベーターで七階まであがり
一室の前でもう一度インターフォンを鳴らすと、中から年配の男が現れた。
年は五十代後半、いや、六十代だろうか
しっかりとした顔立ちにしっかりとした身なりをしている。
灰色の背広にエンジ色のネクタイを締め
白髪まじりの髪は整髪料で丁寧に後ろに撫で付けられている。
優しそうにも厳しそうにも見える不思議な印象を与える人で
ただならぬ威厳を感じさせた。
「どうぞ」
男は無表情で私達を室内に招きいれた。
私と父は玄関で靴を脱いでから
用意されていたスリッパを履き、部屋に上がった。
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三連休、実家に帰ったんだけど、満を持して父に「らぶどろっぷ」を読んでみて!と頼んでみた。
丁度、父に読んでもらいたい所だったのもあるんだけど…。
父は「ん?何だよ」とあまり興味なさそうにパソコンを覗き込み一言!
「なんだこれは? 句読点がないじゃないか…」
結局スクロールもしてもらえず!!!w
まだ父に読んでもらえる物には仕上がっていないということでしょんぼりーw
つーことで、今更だけど、少しだけ句読点つけて書くことにします。
でもネットでは改行ある方が読みやすいよねー
てか、正直…句読点のつけ方よくわかんねぇ
低学歴の限界を感じます![]()