第282話 暗闇
車は私のアパートへ向かって走っている。
少し呼吸が楽になった気がする。
ジイヤと二人になって安心したのだろう。
信号待ちで車が止まるたびに
心配そうに後部座席を振り返るジイヤに
私は「ごめん」と力なく告げる。
アパートの前に車が止められる。
ジイヤに体を支えられながら階段を上る。
「もう大丈夫。 何かあればすぐに電話するから」
私は言い玄関のドアを開ける。
「本当に大丈夫なのか?」
ジイヤは玄関に荷物を運びいれ
私の顔を見つめる。
その顔は決して説教がましいものではないけれど
『よく理解できない』といった意味を含んでいるように見える。
「うん。 随分落ち着いた。 ありがとう」
顔の前で両手を合わせ
口元だけで微笑みを作り
私は家に入る。
キッチンで口をゆすぎ
髪の毛についた嘔吐物をタオルで拭う。
眩暈は幾分落ち着いたけれど
世界全体がユラユラと揺れているような錯覚に陥る。
身体を支えている足場が取り払われていくような感覚がある。
ベッドルームに走り
急いで鏡の中を覗きこむ。
鏡に顔を思い切り近づける。
いつもの自分であることを確認して
深く息を吐く。
大丈夫。 もう大丈夫。
何度も繰り返しそう言い聞かせる。
携帯電話の電源が切れていたのを思い出し
玄関に置きっぱなしにしていた荷物を取りにいく。
ユウからプレゼントされた
金のシャネルのリュックだけを持ち
ベッドルームへ戻る。
携帯電話を取り出して
充電器に差し込む。
留守番電話に接続する。
俊ちゃんからの伝言が3件
桜姉さんからの安否の確認が1件入っている。
メッセージを聞きながら
バックの内ポケットを確かめる。
覚醒剤のパケが4つ出てくる。
ガラスパイプを取り出し
指先で摘んで蛍光灯に透かして見る。
中には吸いかけのスピードがまだ残っている。
溶けて
ガラスの底に薄く固まった白い結晶が
圧倒的な存在感で私を誘い込む。
――やらざるをえない――
次の瞬間
スピードを吸えば元気になる
と思いながらガスライターの火を灯している。
煙を吸い吐き出す。
吐き気がして眩暈が再燃する。
すぐに
やるんじゃなかった
と後悔の念に襲われる。
そのままベッドに倒れこむ。
目の前が暗くなる。
携帯電話が鳴っている。
私は暗闇の中にいて
電話を受けることが出来ない。
目を閉じていて
光が遮断されているのではなく
私は暗闇の中に深く沈みこんでいる。
世界とは隔たれた場所に閉じ込められている。
電話のベルはいつまでも鳴り止まず
海鳴りのように耳に響いている。
本当にもうダメかもしれない。
自分が起きているのか眠りの中にいるのか
あるいは
生きているのか死んでいるのかさえよくわからない。
電話のベルが止まり私の意識もそこで途絶える。
大袈裟でも観念的な表現でもなく、本当にこれがありのままの現状だった。
死にそうな状態にあるのに私はまだ覚醒剤を吸ったの。『やらざるをえない』って感覚。 怖いね。
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