週末大学生~文化・教育への道~【72期秋組 文学部一類】 -57ページ目

週末大学生~文化・教育への道~【72期秋組 文学部一類】

慶應通信三年目、いよいよ卒業が見えてきました。
元図書館司書、専門は図書館・情報学!
文化や教育を仕事にしたい!

特に時短もリモートも在宅もないままいつも通りに出勤する毎日です。

それはさておき、通信ではそろそろ放送授業が始まりますね。私は哲学特殊(ゲーム理論)をとっています。
私の所属は文学部一類なのですが、以前から経済系科目にすごく興味があります。ゲーム理論も楽しみ。

そして、最近のコロナウイルスのパンデミックについて、変わった目線の考察を見たのでメモします。

格差社会を終わらせるコロナ恐慌
有料noteなので、途中までしか読めません。
通常の不況による経済格差は、正社員と派遣、大企業と中小企業といった、強い者と弱い者の分断であるけれども、感染症(ウイルス)による格差は、大企業、中小企業もどんな人間であろうと平等に滅びる。という考察です。かなり不謹慎だ。(書き手が…)

似たような流れで、先月見た映画『21世紀の資本』に「格差をなくすためには戦争が必要だ」といった内容が流れていたことを思い出しました。


1%の富裕層が大半の資本・資産を所有している現状を壊すためには、社会を変えるとてつもない力が必要。それがどうも大恐慌や戦争も一つの要因になるそうで、2度の世界大戦の後に平等化が進んだというのです。他国から奪って富を増やしたからという単純な理由ではなくて、社会保障政策や若い兵士への分配など外部制度が発展したからだそう。

そうすると、一部のネット住民が「希望はコロナ」と唱えている根拠が何かわかる気がします。支持はしませんが。

『21世紀の資本』の映画を見て考えたのは、結局世の中の全てが有限なものなんだなということ。市場に出回るお金、モノ、人材はもちろん、資源・環境、時間、就職、夢実現、もろもろ全部限りがある! 今までは、頭では納得していても、理解はできなかったんです。

誰かが得るということは、誰かが失う、手放したということ。
カネ、モノ、ヒトは特に上限があるところから、奪い合いや分配が行われる訳で…。

そうした意味では、昔の私というか、通信を始める前の私は、すごくふんわりとした、悲しみや同情のような感情で動いていたと思います。
ところが、社会というのは理論構造というものが、どうやらある。少しずつ分かり始めてきました。