と 言っても 水の中のまりもでは ありません。


このひとつ前の記事で 流生命というものを 紹介した。

あたしは 天流生 というものらしく、

基本的性格は 「棚ぼた運に恵まれた 楽天家」


だそう。

先日 お茶した友人ともその話題になって

あたしのところを読みながら 友人は 「当たってるね~~」

と 言っていた。

「物心ともに恵まれた人生といえるでしょう。

その分、「痛み」を知らずに人生を渡っていくので、

周囲の人に対して無神経になりがちです。

悪気がないことほど、手に負えないものはありません。

「無邪気さと無神経さは紙一重」と心得て、

言動には十分注意してください。」

のところが。


離婚や 中絶、流産、友人の自殺、いじめ・・・などを経験し、

それでも 「痛みを知らない」 と言われるならば

みんな もっと大変なのか?と 思いつつも

あたしの言動が 「無神経」 なものならば

それは 反省しなくてはならないよね・・・。


まあ友人も悪気があって言ったのではないだろうけど。

あたしの今までを 振り返ってみた。

サラリーマンと もと小学校教員の夫婦の 長女。
2歳下に 弟がいる。
お姉ちゃんだからと あれこれ世話もやくうちに
近所でも どっちかというと ままごとでは 「お母さん役」。

小学生の時は 通信簿に 「落ち着きがない」 と 必ず書かれるほど
集中力がない子供だった。

ただ 父の仕事の関係で 転校を経験してからは
いきなりのいじめを経験し、「思ったことは 口から出さない」 という
守りの性格が 全面に出始めた。
それ以降も 中学生の終わりまで 2年に1回の転校で 
「意見を言わない子」 だった。
「あたしもそう思うよ」 と 同調しているのが 楽だと思っていた。

イギリスの大学に行って 言葉の壁と、人種の違いから
 「言っても伝わらないのに 言わないともっと伝わらない」
を 経験して、あたしは ちょっとずつ 変わった。
「自分の意見も言ってみる」 ことが 
自分を軽くしてくれる、ということに 気付いたんだ。

でも 自分がいじめられて傷ついた痛みを知っているから
人を傷つけてしまうのは 怖い。
「強い」 自分と 「あんなこと言っちゃって悪かったな」 という、
本来の内気な 自分がごちゃごちゃになって
実際は そうひどくもない人間関係なのに 一人で悩み続けることも
多々ある。
親友や、ピアノの先生で親しくしている友人は あたしの内面を見抜き
「一番傷つきやすいのは 他人ではなくて まりもだよ」
と 言ってくれる。

「ピアノの先生をしているまりも」 と 「バイトをしているまりも」 と
「家族や相方と居るときのまりも」 と 「友人たちと居るまりも」 を
それぞれ 使い分けてもいいんじゃないか?
全部いっぺんに出そうとするから 
強気発言→自己嫌悪→凹み になるんだよ

というアドバイスをもらって 心が 少し軽くなった。

「分かってくれる人がいればいい」

・・・そうなんだよね。

強気なまりもは 実は かなり脆かったりしています。

みなさんは 自分の性格を 分析したこと ありますか?