子供の時から 手が大きかった。
中学生の時には
すでに、ド から ミまで とどいた。
「ピアノ向きの手ね」なんて よく 褒められた・・・けど・・・
男の人より大きい手、大嫌いだったんだ。
苦労なく とどいちゃうから
それに関してのテクニックなんて あまり磨こうとしなかった。
それでも、1日 5時間も 6時間もピアノに向かっていて
受験に向けて 毎日毎日の練習が 結構苦痛で
みんなと遊びたいなあって ずっと思っていた。
先生からは あたしの弾き方や 音楽の考え方は
日本の音大向きじゃないって 言われた。
音の間違いを気にするよりも、
ピアノが作る音の色とか
そこから広がる空気が大好きだから。
自分でも うすうす気付いてはいた。
子供の頃に通っていた音楽教室も主催している、
東京の音大を受験したとき、その会場で
知っている先生が「やっぱり、ここ 受験するの?」と
聞いてきたとき、 自分の中で はっきり分かった。
1曲だけ弾いて 頭を下げて 出てきた。
もちろん 不合格。
当たり前だ。最後まで 弾いていないんだもの。
合格発表の日まで 母には言えなかった。
落ちたと分かった日、
母は 「あんた、海外に行った方が合うんじゃない?」といった。
母も 分かっていたのかも。
そのきっかけがあって
イギリスの音大に行った。
めちゃめちゃ 楽しかった。
弾くことが こんなに面白いと思わなかった。
友達もたくさん出来て ピアノ科の特権で?
いろんなひとの伴奏も頼まれた。
自分の練習の他にも
その人達の練習と、レッスンと、コンクールや演奏会の
本番と・・・
毎日 12時間は弾いていた。
卒業試験の時期には、 子供の頃から鍛えていなかった小指と
薬指が、もう ぼろぼろで
ドクターストップがかかった。
でも 合格しなかったら 退学。
その学校は 王立(日本でいう国立)で
留年という制度が ないから。
痛み止めの注射をして 乗り切った。
それから8年。あるきっかけでピアノを再開するまで
動かない指が悔しくて 悔しくて
蓋すら開けなかった。
今では 「こどものころの 夢」だった、
ピアノの先生になっている。
諦めなければ
夢は 必ず 叶うんだよ。
今では この コンプレックスだった大きな手も
まあ、好きだ。
だから それを飾る指輪も、大好き。
生まれて初めて ピンキーリングを
買ってもらった。
突然のおねだりだったけど
いいよって言ってくれて ありがとう。
実は いろいろ凹んでいて
ピアノの先生も辞めちゃおうかなって
思っていたんだ。
コレは お守りにするね。
せっかく 叶った夢だもんね。
手。ごついけど。

