中之島美術館 ビル
前回は肥後橋駅から地下道で渡辺橋駅方面へ、ダイビルから地上に上がり、中之島四季の丘を経て、北側のSHIP’S CAT(シップスキャット)がいる方から入りましたが、
今回は、肥後橋駅のアパホテル前で地上に上がり、土佐堀通りを西に向かい、筑前橋を渡って、南側から入るルートで行きました ニコニコ上差し
 
NAKANOSHIMA MUSEUM OF ART、OSAKA カラーパレット
テンションが上がります おねがいルンルン
 
楽しみにしていたモネ展です ラブラブ
平日にもかかわらずもの凄い人気です びっくりガーン
チケットをあやちゃんが買ってくれていたので、チケット売り場には並ばなくて済みました 合格
あやちゃん、本当にありがとう ニコニコラブラブ
チケットを持っていても、入場するのに、かなり並びました あせる
チケット売り場の北側にある、5階の会場に行く長いエスカレーター乗り場の前から長い行列が続きます 汗うさぎ
ミュージアムショップの方までグネグネと行列が続き、その後、北東入口前から北西に続きます 西側の入口から外に出て、また、北東方向へ… 北東入口前からUターンして、更に西に向かって行列が続きます 驚き
私たちはUターンして西側入口付近まで来たところぐらいから並び始めました 泣き笑い
お昼ごはんを食べる前は、その西側入口から更に南西角を曲がり、南東方向まで、行列が続いていたので、まだ、マシです 爆笑
さて、長い行列を少しづつ進み、やっとエスカレーターに乗りました ニコニコ
エスカレーターからの風景… ハートのバルーン

 
そして、やっと来ました 笑い
モネ展の会場前 おねがい

 
入口の前には3枚の絵が連なったポスターがありました キョロキョロ音譜
ラ・マンヌポルト(エトルタ) 1883年、メトロポリタン美術館 所蔵
(これは、エントランス前のポスターです)鉛筆
有名なフランス ノルマンディー地方にある エトルタの奇岩です
素敵です イエローハーツ
これから、会場で実物を拝見します ワクワク… 照れハート

 
ルーヴル河岸 1867年頃、デン・ハーグ美術館 所蔵
(これは、エントランス前のポスターです)鉛筆
モネ27歳の作品 とても繊細な細い筆で丁寧に描いた作品です おねがい

 
ジヴェルニーの積みわら 1884年、ポーラ美術館 所蔵
(これは、エントランス前のポスターです)鉛筆
色鮮やかな積みわら よく晴れた日の風景です キラキラ

 
いよいよ会場に入ります ニコニコ飛び出すハート
会場に入ったここの壁は写真 OKOK でした

 
 
この モネ展 の見どころは 気づき
1. モネの「連作」絵画に焦点を当てた展覧会
モネは同じ場所やテーマを異なる天候、異なる時間、異なる季節を通して描き、「連作」という表現手法により発表しました
この「連作」に焦点を当てた展覧会です
2. 100%モネ!!展示作品のすべてがモネ。国内外40館以上から代表作を出品
海外30館以上を含む、国内外40館以上の美術館から集められた 100%モネの贅沢な展覧会です
3. 印象派の誕生(1874年)から150年を迎える節目の展覧会
モネは仲間たちとともに1874年4月に第1回印象派展を開催しました
今回のモネ展は、「印象派」の誕生から150年目を迎えることを記念して開催される展覧会です
 
 
展示構成 キラキラ
第1章 印象派以前のモネ
1840年 パリで生まれた
1845年頃(5歳) ノルマンディー地方に移住する 
 モネは少年のころから絵画に巧みで、10代後半からカリカチュア(戯画)を地元の文具店に置いてもらっていた
1858年(18歳)頃、 モネのカリカチュアが風景画家ウジェーヌ・ブーダンの目に留まり、油絵を勧められ、画家として歩みだす
1859年(19歳) パリで本格的に絵の勉強をしたいと思い、パリに行く
1862年(22歳) アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジール、ルノアールなどの仲間と出会う
1865年(25歳) サロン(パリで開催された公式美術展覧会)に、「オンフルールのセーヌ河口」と「干潮のエーヴ岬」を出展し初入選
1866年(26歳) サロンに出展した 恋人 カミーユをモデルにした「緑衣の女」と「シャイイの道」が入選
1867年(27歳) 長男ジャンが誕生 サロンに出展した「庭の中の女たち」は落選
1868年 のサロンでは入選したが、
1869年、 1870年のサロンで出展した「昼食」は落選 以後、サロンへの出品を取りやめることに…
 宝石紫この、カミーユと息子がモデルになっている「昼食」が今回のモネ展で初来日 とても大きな見ごたえのある絵画でした
1870年(30歳) カミーユと正式に結婚
 普仏戦争が勃発すると、モネは兵役を避けるため、オランダを経て、ロンドンに渡る
 ロンドンでに滞在していたシャルル=フランソワ・ドービニーの紹介で、画商ポール・デュラン=リュエルに出会う
 
第2章 印象派の画家、モネ
1871年(31歳) パリ近郊のアルジャントゥイユにアトリエを構える
1874年(34歳) ピサロ、ドガ、ルノワールらと、サロンとは独立した展覧会を開催して、『印象・日の出』などを出展 これは後に《第1回印象派展》と呼ばれた
 しかし、この第1回印象派展の評価はとても悪く、会費すら回収できないありさまで、モネは、経済的な苦境に陥った
1875年(35歳) 多数の作品を競売にかけざるを得なくなったが、参加者に嘲笑され、無残な結果だった
 そんな中、モネの作品を個人的に購入してくれる愛好家も現れてきた
 そのひとりが実業家エルネスト・オシュデだった
1876年(36歳) 第2回印象派展、カミーユの着物姿「ラ・ジャポネーズ」を出展 この絵は、好評で高値で売れた
 この頃、エルネスト・オシュデの邸宅に滞在している(エルネスト・オシュデの妻アリスは1877年8月に第6子を出産しているが、モネの子ではないかとも言われている)
1877年(37歳) 第3回印象派展 妻カミーユが病気で倒れる
1878年(38歳) 次男ミシェルが誕生 ヴェトゥイユに移住
 モネの愛好家(パトロン)エルネスト・オシュデが破産
 エルネスト・オシュデ一家(妻アリス、4姉妹と2兄弟)がモネの家で同居生活を始める
1879年(39歳) 第4回印象派展、初めて利益が出る 
 カミーユ32歳で逝去
 エルネスト・オシュデは仕事でパリに行くが、妻アリスはモネの家に留まり、モネの子どもたちの面倒を見る(モネとアリスの関係が深まっていく)
1880年(40歳) 初めて、モネの個展が開かれた 好意的評価で英雄的存在になってゆく
1881年(41歳) デュラン=リュエルと定期的に絵を購入する契約を結ぶ
 
第3章 テーマへの集中
1881年(41歳) ポワシーに移り住む
1882年(42歳) ノルマンディー地方に制作旅行 ディエップの断崖や、ヴァランジュヴィル=シュル=メール近くのプールヴィルの断崖を描く
1883年(43歳) 再びノルマンディー地方に制作旅行 エトルタの断崖を描く
1880年代終わりから晩年にかけてのモネの作品は、ひとつのテーマをさまざまな天候や、季節、光線のもとで描く「連作」が中心になっていく
 
第4章 連作の画家、モネ
1883年(43歳) セーヌ川流域のジヴェルニーに定住する
1886年(46歳) まで、たびたびエトルタの海岸を訪れ制作 
 他にもヨーロッパ各地を制作旅行した
1890年(50歳) 借地だったジヴェルニーの家を購入
 自宅付近の積みわらが光を受けて刻々と変化する様子を同時進行で何枚も描く
 「ジヴェルニーの積みわら」連作25点を制作
1891年(51歳) デュラン=リュエル画廊でそれらを「連作」として展示すると大好評になる
 以後、別のテーマでも次々と連作に着手する 「ポプラ並木」連作23点
 この年、アリスの夫エルネスト・オシュデが死去
1892年(52歳) アリスと結婚
 「ルーアン大聖堂」連作30点を制作
1895年(55歳) ノルウェー近郊の村で雪山などの風景画を制作
1896年(56歳) プールヴィルとヴァランジュヴィルの断崖の上の家を描いた10点を制作
1897年(57歳) 長男ジャンとアリスの娘ブランシュが結婚
 モネはセーヌ川支流の風景、早朝の物が色づき始める時間帯に、朝靄の効果をとらえた作品を続けて制作
1898年(58歳) 「睡蓮」第1連作を制作
 自宅の庭にて、日本の橋 太鼓橋を中心に睡蓮の池と枝垂れ柳が光の変化ごとに描かれている作品を多数制作
1899年(59歳) から、ロンドンを訪れ、「テムズ川の霧の効果」「チャリング・クロス橋」や「ウォータールー橋」「国会議事堂」などの連作に取り組む
 
第5章 「睡蓮」とジヴェルニーの庭
1901年(61歳) 自宅の庭を本格的に整備し、「花の庭」と「水の庭」を造り、花壇の草花や、睡蓮のある池を描くようになる
 「睡蓮」第2連作に取り組む 第2連作では太鼓橋は描かれず、水面が大きく描かれ、池の水面に映る色と光の抽象的なハーモニーが次々に誕生する
1908年(68歳) アリスと最後の大旅行ヴェネツィア旅行に行く
1909年(69歳) 老化による視力低下、その後、妻や子を亡くす不幸に見舞われ、制作活動が難しい時期となる
1911年(71歳) アリスが亡くなる
1912年(72歳) ベルネーム=ジューヌ画廊で、『ヴェネツィアの眺め』29点が展示された
1914年(74歳) 長男ジャンが亡くなる
 大画面作品を描くためのアトリエを建て、制作を再開する
1917年(77歳) 第一次世界大戦の中、「睡蓮」大装飾画の制作を続ける
1923年(83歳) 「睡蓮」大装飾画を描き上げる
1924年(84歳) 生存中最大の回顧展が開催される
1926年(86歳) 永眠する
1927年 テュイルリー公園内、オランジュリー美術館で「睡蓮」大装飾画の除幕式が行われる
 
 
中之島美術館の展示を見ていきます ニコニコ音譜
今回の展覧会では、写真撮影 カメラOK の絵が数点ありました 爆笑
下の絵のように、カメラOK の印がある絵は撮影してもいい絵です
世界的に超有名で貴重なモネの作品が自分のカメラで撮影できるとは思ってもみなくてすごくワクワクしました おねがい飛び出すハート

 
 
ウォータールー橋、曇り 1900年(モネ60歳)ロンドン
油彩、カンヴァス
ヒュー・レイン・ガラリー、ダブリン 所蔵
(ウォータールー橋)の連作はロンドンで描かれた連作中最多の41点が残る
 宿泊していたサヴォイ、ホテルからテムズ川の下流方向、南東を向いて朝早くに
描かれたものが多い
これらの作品は、モティーフの橋そのものよりも、光のプリズムが生み出す色彩の微妙なハーモニーが主役となっている
ロンドンの作品の多くはジヴェルニーのアトリエに持ち帰って手を入れ続け、「連作」として展示する際の効果を高めようとした
 
 ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ 1904年(モネ64歳)ロンドン
油彩、カンヴァス
ワシントン・ナショナル・ギャラリー 所蔵
 
 ウオータルー、ロンドン、日没 1904年(モネ64歳)ロンドン
油彩、カンヴァス
ワシントン・ナショナル・ギャラリー 所蔵
 
ウォータールー橋の連作をまとめてみました ニコニコ下差し
同じテーマで条件を変えて描いているのがよくわかります おねがいキラキラ
 
 
 
 睡蓮 1897-98年頃(モネ57-58歳)ジヴェルニー
油彩、カンヴァス
ロサンゼルス・カウンティ美術館 所蔵
モネは自邸に造った池で睡蓮を栽培し、周りには柳やポプラを植えた
本作はモネが最初期に描いた(睡蓮)で、大ぶりなふたつの花とまるい葉が暗い水面に浮かんでいる
空や樹木の水面への映り込みや、光と水が戯れるような表現はまだ見られず、モネの視線は睡蓮だけに集中し、色の組み合わせによる描写の研究に没頭している
 
 睡蓮、柳の反影 1916-19年(モネ76-79歳)ジヴェルニー
油彩、カンヴァス
北九州市立美術館 所蔵
 
 睡蓮の池 1918年頃(モネ78歳)ジヴェルニー
油彩、カンヴァス
ハッソ・プラットナー・コレクション 所蔵
大画面に明るく暖かいのハーモニーがゆったりと広がる
明るい、空の輝きと池を囲む樹木が水面に映り、その映像が池の睡蓮と溶け込むように交じり合う
右奥に柔らかい影を落とすのは、しだれ柳だろう
モネは集大成となる「大装飾画」の構想へと向かい始めており、本作においても観るものを壮大な世界へと誘い、包み込む
 
 睡蓮 1914-17年(モネ74-77歳)ジヴェルニー
油彩、カングァス
群馬県立近代美術館(群馬県企業局寄託作品)
 
 睡蓮の池 1907年(モネ67歳)ジヴェルニー
油彩、カンヴァス
石橋財団アーテイゾン美術館 所蔵
モネは1899年頃から(睡蓮)に本格的に収り組んだ
模索を続けて見出した会心の構図が、この縦長の画面である
大胆に俯噴して池の水面だけを描き、惰円形の睡蓮の葉が手前から奥へリズミカルに配される
しだれ柳を右に、ポプラの樹を左に、樹木の姿が水に映り込んで暗い影を落とす
中央には流れ落ちる滝のような形に明るい空が映る
空も樹々もまるで風景のように見え、虚と実が交錯して観る者を惑わせる
両作品とも1909年にデュランーリュエル画廊で開かれたモネの個展に出品された
 
睡蓮の絵もまとめてみました ニコニコ
モネが自宅の庭園の睡蓮の池をとても気に入って、描き続けた様子が覗えます おねがい気づき
 
 
 芍薬 1887年(モネ47歳)ジヴェルニー
油彩、カンヴァス
ジュネーブ美術歴史博物館 所蔵
 
 
 藤の習作 1919-20年(モネ79-80歳)ジヴェルニー
油彩、カンヴァス
ドゥルー美術歴史博物館 所蔵
 
 
今回のモネ展のパンフレットを載せておきます 鉛筆
 
 
 
今回のモネ展、本当に本当に楽しい美術鑑賞でした おねがいキューン
モネの人生とも合わせて絵画を見ていくのが、とても楽しかったです ニコニコラブラブ
平日にもかかわらず、思った以上の人たちで賑わっていましたが、素晴らしいモネの世界に浸れた素敵な時間でした 照れルンルン
あやちゃん、チケット取っていただいて、
いつこ姉ちゃん、誘っていただいて、
本当にありがとうございました ニコニコ飛び出すハート
 
 
 
モネ展を見終わって、階段を降りると、ヤノベケンジさんの ジャイアント・トらやんに会いました 爆  笑
お腹の扉の中に「トらやん」もいます 立ち上がる
髭が生えたおっさんのような「ちびトらやん」です ニヤニヤ
 
 
ミュージアムショップで、今回のモネ展のグッズをいろいろと購入… 財布
 
絵葉書を3枚買いました メモ
藤の習作と睡蓮の池は、モネ展会場でも写真撮影OKだったので、上の方に撮った写真と説明書きを書いています 鉛筆
積みわらは、「ジヴェルニーの積みわら 夕日 1888-89年 ジヴェルニー 埼玉県立近代美術館所蔵」です 本
どれも素敵で、とっても迷いました キョロキョロあせる
最終的に3枚買おうと決めて、青っぽい藤の習作と、黄色っぽい睡蓮の池を決めたので、最後に積みわらの連作から、赤っぽいものを選びました カラーパレット
素敵なチョイスができたと自己満足 ウインクチョキ
 
モネの庭缶 ダージリンティークッキーが入っています クッキー
キュートなお菓子缶が魅力のスィーツ店「青山デカーボ」さんがモネの名画で可愛い モネの庭缶 を作りました ピンク薔薇

ヘルシースィーツを手掛ける「青山デカーボ」さんのクッキーは、

爽やかな香りのダージリン茶葉を練り込んだ紅茶クッキー マカロン

小⻨粉の代わりに米粉、白砂糖の代わりにてんさい糖、卵の代わりに豆乳クリーム、バターの代わりに豆乳クリームバターを使用した植物素材のみで作ったクッキーです

サクサクのとっても美味しいクッキーでした にっこりハート

 

ふたにはクロード・モネの名画「睡蓮」をイメージしたイラストが描かれています 黄色い花
 
側面には“モネの庭”にある 散歩道、モネの家、太鼓橋と睡蓮の池、バラのアーチと池をイメージしたイラストが描かれています 赤薔薇
とっても可愛い缶でした ハート
 
そして、睡蓮の絵のポチ袋も買いました がま口財布
可愛すぎて、使うのがもったいないけど、ここぞという時に使うのが楽しみです 乙女のトキメキ
 
以上、楽しい楽しい一日でした おねがい飛び出すハート
 
 
 
 
おまけ ニコニコ
以前、あやちゃんからいただいたこちらの可愛い缶 ハート
モネの庭缶と同じ「青山デカーボ」さん のお菓子缶でした ハイヒール
グルテンフリーかつ低糖質のヘルシースィーツは、
ビューティーホワイトショコラ アップルシナモン リンゴ
甘くスパイシーなシナモンと甘酸っぱいリンゴの大豆パフが入ったオリジナル低糖質チョコレートです チョコ
とても、美味しかったです 乙女のトキメキ
あやちゃん、いつもありがとう おねがいルンルン