豊後森機関庫公園(大分県玖珠町)に行きました ニコニコルンルン

現存する扇形機関庫(扇型の蒸気機関車庫)としては九州唯一で、昭和46年に豊後森機関区が廃止となっって以来、玖珠町に保存されてきた豊後森機関庫です ダッシュ

 

公園に入るとまず、目に飛び込んでくる蒸気機関車 🚂 

 
こちらに展示してあるのは、蒸気機関車29612号 フラッグ
キューロクという愛称で親しまれ、1919年(大正8年)に製造されてから、
 1974年(昭和49年)までの 55年間、長崎本線や唐津線で旅客や貨物の輸送に使用されました 笑い
19454年(昭和20年)8月9日、長崎に原子爆弾が投下された時期には、多くの被災された人々を乗せて人命救助を、また、日本文化の交流、経済の発展にと、多大な貢献をしました キョロキョロ気づき
 

廃車後、平成25年までは福岡県志免町の公園で保存されていましたが、老朽化により解体処分が公表されると、多くの救済の声が玖珠町に届きました あんぐり

志免町との協議の結果、玖珠町が譲り受け、2015年(平成27年)豊後森機関庫公園に保存展示されることになりました ふんわり風船ハート

 
蒸気機関車展示の奥には、機関車を車庫に導く転車台と、鉄筋コンクリート造り、陸屋根の扇型機関庫があります 🚂キラキラ
 
中央に直径18.5mの転車台があり、そこから、半径47.84mの放射状に広がる 旧豊後森機関庫 ブルー音符
 
車両は12台収容可能で、両端部に技工長室と工具室が設けられていました レンチ
昭和9年の久大本線開業と同時に稼動し、最盛期は昭和23年ごろで車両25両、乗務員他職員217名の配置があったそうです びっくり笑い

 

終戦間際の昭和20年8月4日には米軍の機銃掃射を受け今もその痕が残ります 爆弾

 

豊後森機関庫は石炭や水等の補給基地として、また急峻な水分峠越えを行うための機関車の交換等で非常に重要な役割を果たしました ニコニコ

いまではのどかな風景に感じる場所ですが、久留米〜大分間の重要なポイントとして役割を担い、玖珠町を大いに栄えさせました ハートのバルーン

 
きれい整備された公園に、廃墟感のある機関庫のギャップが重い歴史を伝えてくれていました にっこり
 
公園の一角には、豊後森機関庫ミュージアムがあります ぽってりフラワー
入館料は中学生以上100円 コインたち
元は作業員詰所だったそうです ニコ
 
水戸岡鋭治氏がデザインした建物で、旧豊後森機関庫や鉄道の歴史に感ずる資料が展示されています 電車
 
また、子どもも楽しめる鉄道の絵本や木のプールなどもあります 本

模型を見たり、車掌さんの帽子をかぶったり、キャップ

模型で遊んだり、電車に関わる折り紙や塗り絵、プラ板でキーホルダーを作ったり…鉄道の歴史にふれながら、鉄道を楽しむミュージアムです 地下鉄

 
伐株山(きりかぶやま)が見えますね ニコニコ
玖珠町の盆地の中に、ずっしりと腰を据える少し不思議な形の「伐株山」
あるべきはずの山頂部分が潔く「バサッ」と切りとられたかのようなユニークな形
なぜ、そんな形の山になったのか… 気づき 
 
「むかしむかし、ここには天にもそびえんばかりの大きなクスの木がありました。大木は周囲を影で覆いつくしていたために、田畑の作物はいっさい育ちません。困った村人たちは木こりの大男に頼み、その大木を切り落としてもらいました。そのときの切株が“伐株山”として残りました」
 
「玖珠」という地名も、このクスの大樹に由来しているのだとか… ニコニコ
 
山頂には、「ハイジのブランコ」と言われる大きなブランコがあるそうです
また、機会があったら、行って、乗ってみたいです スノボ
 
豊後森機関庫駅に入っていくミニ列車 電車 
のどかな自然の風景を眺めながら乗る列車はとても楽しそうでした ニコニコルンルン
 
そろそろ次へというときに、線路際に人だかり びっくり
 

ちょうど ゆふいんの森号 の通過する時間だったよう… 電車 

お花の先生が湯布院に行かれた時はこの ゆふいんの森号 で行かれました 照れむらさき音符

こんなところで、遭遇できるとは… 照れ

 
踏み切り近くをゆっくりと走ってくれました 爆  笑気づき
 

ゆふいんの森号 いつかは乗ってみたいと思いました おねがい

 
春の風景の中、湯布院に向けて走って行きました 電車グリーンハーツ