松山城へ行きます 

松山城への登山口、ロープウエイ駅の近くにある〔加藤嘉明〕の像 

加藤嘉明は松山藩の初代藩主です 

豊臣秀吉に仕えた身でありながら、徳川時代になると伊予松山藩と会津藩の初代藩主になるという、世渡り上手な方だったようです 

騎馬の上にまたがり、合戦の中にいるような臨場感のあるカッコいい銅像です


騎馬の上にまたがり、合戦の中にいるような臨場感のあるカッコいい銅像です

長者ヶ平(8合目付近)へは徒歩でも行く事ができますが
ロープウェイまたはリフト(好きな方)に乗り 長者ヶ平へ行きます 

私たちはリフトで行くことにしました 

長者ヶ平から、さらに約10分歩くと天守入口に到着します 


ロープウェイを降りて、少し歩くと、松山城が見えてきます 

松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明が築き始めたお城です 

門・櫓・塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配し、攻守の機能に優れた連立式天守を構えた平山城と言われています 


筋鉄門
筋鉄門は櫓門で、天守玄関がある中庭を防衛する重要な門です。この門の櫓は小天守と天守のをつなぎ、三ノ門から侵入する敵の正面を射撃する構えとなっています 

ガイドさんがひとつひとつ丁寧に説明してくださって、「ほぉ~
」を連発していた夫でした 




一ノ門・一ノ門南櫓(重要文化財)

一ノ門は天守に通じる本壇入口を守る門で、木割も大きく豪放な構えとなっています
形式は上方からの攻撃が容易な高麗門で、二ノ門との間は枡形という方形空間となっていて小天守・一ノ門南櫓・二ノ門南櫓・三ノ門南櫓の四方から攻撃できます 

立派な石垣の上に太鼓櫓、左手奥に松山城天守を眺めます 


隠門(重要文化財)

この門は筒井門の奥の石垣の陰に隠された、埋門(うずみもん)形式の櫓門で、戸無門から筒井門に迫る敵の背後を急襲する構えとなっています 

脇戸を持たず、扉の横板張りの中に潜戸(くぐりど)を仕組むなど規模は小さいですが、豪放な構えで、続櫓外部の下見板張りや格子窓形式の突揚げ戸などとともに、築城当時の面影を見ることができます 


松山市街が一望できます 


海の向こうに見える島が、TOKIOが開発しているDASH島です 


天守から、乾櫓(重要文化財)が見えます 

乾櫓は築城当初の二重の隅櫓で、本丸の乾(北西)の隅にある鈍角の石垣の上に鈍角の櫓が建っています。乾門・同東続櫓とともに搦手(裏側)を防衛する重要な構えです 



天神櫓 

卯歳櫓、東隅櫓とも呼ばれ具足櫓でありましたが、後に本壇の鬼門(東北隅)にあたるため、城の安泰を祈り久松松平氏の祖先神である天神(菅原道真)を祭ったのでこの名称です 

全国的にあまり例のない寺社建築の正面扉(しとみど)を有する櫓となっています
松山城は見どころがたくさんありました 



たくさんありすぎて、時間が足りないほどでした 



また、ゆっくり訪れたいです 
