この話題は大変ナイーブなので、ご自身がいま悩まれていたり、精神状態がいま不安定だなというかたは、読まれないことをお勧めします。ナイーブな話題だから語らない、という姿勢は私はあまり好きでないので、語りますが、語ったり聞いたりすべきときと、すべきでないタイミングというのは、あると思います。特定の考えのひとを非難したいという意図は全くありません。私の望みは全ての女性がこの問題から解放されること、苦しまなくてすむようになること、であるので、誰も傷つけたくないんです。でも傷つけてしまうことは必ずあるんです。なのでそれらのことをご承知いただいたかただけ読んでほしいです。私も物凄く悩んできたひとりです。
 
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子供を産みたいひとが産めない国は良くない。これは間違いない。しかし、産みたくないひとが産まなくて済む国というのは、良い国だと思う。
 
つまり、個人個人が自分の意思によって、①産みたければ安心して産むことができ、②産みたくなければ産まなくても全く咎められない、というのが理想的な国なのではないか。
この②は、ぼちぼち達成されつつあると思う。①は、たぶん全然達成されていない。そりゃあ、少子化になるわね。
だけど、①も②も達成された結果としてやはり少子化社会なのだったら、それは全く問題ではない、と私は思いますね。
 
でもまぁ…少子化が加速して社会が傾いていくのならば、もともと子供を産みたかったひとも安心して産めなくなる、という問題も起こってくるはずで…①と②が両立する社会も難しいのだろうな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
子供を欲しくないひとが増えているのだとしたら、その理由は私はふたつあると思う。
 
ひとつめ、個人は自分の幸せを追求してよいのだ、という価値観が広まってきたこと。国のためとか親のためとか、家のために子孫を残さなきゃとか、考える若者は減っているのではないか。そしてたぶん、子供がいなくても幸せと思える社会になってきてるんじゃないかね。スマホ1台あれば幸せそうなひとばかりでしょう世の中(これは皮肉)。いや、いまのは皮肉なのだけれど、それだけではなくて、子供がいてこそ幸せなのだ、という固定観念が崩れてきていることは、よいことだと思う。固定観念が崩れるのは、何であれよいことだと思う。ざっくり言ったら、いろんな幸せの形があるよね、という考え方が広まるのは、個人個人にとってはよいことだと思うのだ(もちろんこれは、現代人で無宗教の自分が考える「よい」なのだけれど)。
 
ふたつめ、SNSなどによって、妊娠出産や育児の過酷さが生の声で伝わってくるようになったこと。学校で、妊娠出産の仕組み、メカニズムは詳しく習ったとしても、生々しい部分や汚い部分は習わないし、痛々しい部分も教科書の説明では伝わってこない。SNSの、女性たちの、苦しい生の声を聞いたら、そりゃ怖気付くひともたくさん出てくると思う。その結果産まれてくる赤ちゃんの、かわいさとか愛おしさとかもたくさん上がってもくるけれど、同時にまた育児に参加しない夫の愚痴や子供に冷たい社会への嘆きなども大量に上がってくる。私はSNSで愚痴るお母さんがたは別にいいと思う。そうしなきゃやってられないのだろう。でもそれだけ愚痴が上がってくる世の中はどうなんだと思う。
 
ふにん(漢字で書くと、単語で検索した当事者のかたが読んでもしかしたら傷付くかもしれないので、ひらがなで書く)で悩むかたの話も、よく目や耳にするけれど、これも、①ほんとうに自分自身が産みたいのにできないひとと、②自分としてはほんとうは産みたいと思っていないけれど周りに望まれていて、でもできなくて苦しんでいるひとと、いると思う。①のひとは、医療や国の補助金などで救わなくてはならないと思う。でも②のひとに、頑張って産ませるのはおかしい。②のひとはふにんで悩んでいるのではなく、周りの期待に応えられないことに悩んでいるのだ。①のひとは産めるように救うべきだし、②のひとは産まないように救うべきだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ああ、しんど。この問題。
 
急に大きな文字で驚かせてごめんなさい。
心の声が出てしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 
そしてもっと言うとね、自分が産みたいのか産みたくないのかわからない、という女性もめちゃくちゃいると思うんだよね。ここも辛いとこよね。
ほんで、個人的にはあまり産みたくなかったとしても、愛する夫や大切な親が産んでほしそうだし、できたら期待に応えたいなぁ…って思うのも自然なことだと思いますよ。
 
あとずっと変やなぁ矛盾やなぁと思っているのは、妊娠出産は神秘的なこと、すばらしいこと、あたたかいこと、と言われるのに、妊娠に至る行為はけがらわしいこと恥ずかしいことと言われやすいのはなんで?どっちかにしてくれる?ぜんぶ神秘的か、ぜんぶ恥ずかしいか、どっちかにして!!子供は何人ほしい?とか芸能人に聞くの、完全にセクハラやからやめて!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
もうさ、どっちでもえーやん。
 
産んでも産まんでも。どっちやったとしても、なんぼでも幸せの形はある。望みがかなわんでも、望みがかなわんことなんてこれまでの人生でなんぼでも経験してきたことやろ。それと変わらん。自分が一度決断したことに、あとから後悔することも、人生でなんぼでも経験してきたやろ。それと変わらん。大丈夫。どっちに転んでもひとは、めちゃくちゃ悩むし、自分次第でめちゃくちゃ幸せになり得る。大丈夫大丈夫。あらゆることは、大丈夫。
 

 

 

 

って、全人類が思ってくれ〜!!!

 

 

 

 

 

 

今日書いたような内容でお悩みのかたは、いちど、村田沙耶香さんの小説を爆読みするという手があります。コンビニ人間以外の小説は、かなり、妊娠出産や結婚など、女性の抱え(させられ)る問題を扱ったものが多いです。かなりぶっ飛んでいるので、好みはかなり分かれると思うけれど、そこは自己責任で(読書による心の動きが自己責任なんて、あたりまえ体操〜)。あらすじ読んで考えてね。私がいちばん好きなのは地球星人だけど、万人にお勧めは全くできない〜。自分の凝り固まった価値観をぶっ壊してくれるので、最高と私は思うけど、読んでてしんどい作品(群)であることは、間違いない〜。グロ描写もあったりする〜。消滅世界、殺人出産、生命式、どれも面白かった。村田沙耶香様の回し者ではございません(そんな存在のかたがいたらお会いしてみたい愛飛び出すハート)。(ちなみに私自身の妊娠出産に関する決断の詳細は今日のブログに書いた様々な考え方のどれとも違います。そこまで詳しく書けないのです。よう知らんひとにもし、ツッコまれたらしんどいんだもん。それでも気になるかたは直接聞いてね、でも結局どんな決断になってもええやん、っていうのがいちばん言いたいことで、私個人の決断は貴女にはあんまり関係ないのかなと思うんです。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はあ、しんど。やってられへんわ

って、声に出して言うのオススメよ。にっちもさっちもいかんとき。関西弁の偉大なとこね。大阪人になったつもりで、デカい声で、うんと関西弁のイントネーションで、音読してみてくださいね。それでは飛び出すハート

 

 

 

(追記)

もし私のラブリー家族たち友人たちが出産したとしたら、全力で愛でるし手伝えることは手伝うし、もしラブリー家族たち友人たちが出産しなかったとしたら、いつまでも一緒にお酒(や飲めないかたはお茶)を酌み交わしてお喋りしまくりたいと思います。らぶ。