こんにちは、正富明日香です。

ここでは

わたし自身のことや、レッスンへの想いを紹介したいと思いますニコニコ


【マリンバとの出会い】
マリンバを習い始めたのは、私が小学5年生のときです。
正富家3姉妹の真ん中に生まれたわたしは、4歳からヤマハ音楽教室の幼児科で音楽を習い始めました。そのころから、家には母が学生時代に使っていた4オクターブのマリンバがありましたが、特に習うなどということはなく、部屋の端に置かれたまま…。母によると、当時はマリンバの先生のツテがなく「マリンバを習う」という発想には結び付かなかったとのことです。

小学5年生のときに、ヤマハ音楽教室内でのクラスと担当の先生が変わることになりました。
新しい先生と話をしていくうちに、先生の娘さんが桐朋学園大学でマリンバ専攻生として在籍しておられることを知りました。
「家にマリンバがあるんだったら、一度娘のレッスンを受けてみる?(^^)」と誘っていただき、レッスンを受けたのがきっかけでした。
先生の名前は、内山詠美子先生です🌷

【ピアノも頑張りたい、だけど…。】
マリンバを習い始めるまでは、ピアノを一生懸命頑張っており、小学1年生からは毎年コンクールにも出ていました。
「弾けるようになるのが嬉しい」
今思えば、この気持ちが何よりの原動力で、
当時は弾いていたと思います。

ですが、人口も多く、コンクールの競争も激しいピアノの世界。年齢が上がるにつれ、小学校高学年になる頃にはコンクールで要求されるレベルも高まり、手が小さい私では、楽譜通りに音が押さえられない曲も出てきました。

小学校5年生のときから、これまで通過できていたコンクールの予選も通過できなくなってきて…。「周りにこんなにも上手な人がたくさんいる中で、これからもピアノのコンクールを受け続けて行くのかな?」
『コンクール入賞が1番すごい!』
という思考になっていた当時の私は、
ピアノに行き詰まりかけていました。
そんな時とほぼ同時期に、マリンバに出会ったのです。

【マリンバで音楽の道を進むことに決めたのは中学3年生のとき】
小学5年生の当時、背が低かった私(クラスの背の順はいつも前から3番以内)にとって、マリンバを演奏するには、台に乗らなければなりませんでしたキョロキョロ
自分の身体より大きなマリンバ、そしてピアノよりも遥かに大きな鍵盤。座って演奏することは出来ないし、立った状態で、しかも横移動が必要なマリンバを演奏するのは、まるで軽い運動をしているかのようでした(笑)
叩いただけですぐに大きな音が出るマリンバに、ピアノとはまた違う楽しさを感じました。
ピアノとマリンバは鍵盤の配列が同じで、ドレミの場所がすぐにわかったので、それは苦労しませんでした。

中学校に上がり、吹奏楽部で打楽器パートを担当することになったので、毎日の部活練習で徐々に手が慣れて、マリンバもそれなりに弾けるようになりました。中学1年生の時にマリンバで受けたソロコンクールでは予選落ちしたものの、中学3年生のとにの再チャレンジにて2位に入賞し(1位なし)、そこで自分のマリンバ演奏に自信がつきました。

高校受験は、岡山県下で唯一、公立の普通科で音楽が学べる岡山城東高校へ入学したくて、マリンバで入試を受けることを決めました。
4本マレットで、少しずつ演奏が出来るようになったのもこの頃からです。4本マレットで曲が演奏出来るようになったときは、2本マレットで演奏していたときよりも、もっと達成感がありました。
体をたくさん動かしながら演奏出来るのも楽しくて、何よりも、曲が弾けるようになることが嬉しかったです。当時の自分にとってマリンバは、ピアノよりも練習の成果が目に見えやすい楽器でした。

【音楽家を志して音楽大学へいくも…将来どうしよう?】
内山詠美子先生の紹介で、世界的マリンバ奏者の安倍圭子先生(桐朋学園大学特任教授)との出会いがありました。
安倍先生はマリンバ界のパイオニアであり、
「マリンバの母」とも言われています。
「安倍先生の作曲なさった素敵な曲を学びたい。そして、マリンバの魅力をたくさんの人に知ってもらえるような演奏家になりたい。」
そんな思いから、さらに音楽の深い部分を学ぶために上京し、桐朋学園大学へ入学しました。


授業にレッスンに、学内行事に、都内コンサートホールでのアルバイトもキラキラ
言うまでもなく、大学4年間はとても濃いものでした。レッスンは毎週受けると決め(毎週、受けなくても単位的には影響はなかったのですが)ずっとひたすらに、練習にも励んでいました。
でも将来、自分は何をしたいんだろう…?
この時、自分なりに『音楽家としての成功』は『コンクールでバンバン入賞して、海外に留学とかもして、演奏だけでも食べていける人』ということなのかな?と漠然と考えていました。

大学を卒業して、地元の岡山に帰る?
東京に残る?
海外に留学する?
私は、両親が学校の教員だったので
教育の分野には興味があり、大学時代は中学校・高校の音楽の教員免許はとったけれど…。

とりあえずは大学に研究生として残り、
「将来もしレッスンするとしたら、子どものこと知っておいたほうがいいよね…」という動機で、浅草にある私立幼稚園で保育補佐のアルバイトをしていました。
結果、この経験が私にとってすごく楽しく実りあるものとなり、現在、幼児教育にも力を入れるきっかけの一つともなりました。

【恩師の死をきっかけに地元・岡山に帰る決意】
『正富さん!何度も言います!
音楽は内面が一番大切です。
手先で演奏してはいけません。
内面から発信するのです。』

この言葉は、大学3年生の時、わたしが初めて挑戦した海外での国際コンクール(ドイツ)のホテルにいたとき、打楽器教授の塚田吉幸先生からメールで言われた言葉です。わたしがこの言葉に、どれだけ勇気をもらったことでしょう。
その3年後の研究科2年目の秋、あまりに突然すぎる、塚田先生との永遠の別れを経験しました。
先生はまだ50代前半の年齢でした。

悲しみの中でも、同時に考えないといけない、今後の自分の将来。
私に今、何ができるかな?
私ができることって、何かな?
大好きだった先生がいなくなってしまった東京。
演奏もしたい。レッスンの仕事にとても興味がある。きっとこれらは、人口も機会も多い東京のほうが、仕事がたくさんあるかもしれない。

だけど、大好きな先生方から教えていただいた、たくさんのこと…。まだまだ地方では馴染みの薄いマリンバを、地元・岡山に持ち帰り、広めていけるのは、きっと岡山が地元である私だからこそできることではないかな。

帰ってもすぐには仕事はないかもしれないけど、アルバイトをしながらでも、自分の音楽のあり方を見つけていこう。地域に、いろんな形の音楽の種を蒔いていこう。そんな気持ちで、岡山に帰ることに決めました。


【現在の活動、レッスンへの想い】
2016年春に岡山に帰ってきてから、もうすぐで丸8年になります。
岡山に帰ったばかりのときは、幸い、週2日の保育園での木琴講師のお仕事があったので、そちらと、学童保育のアルバイトをしました🌸
初めてのレッスン生徒さんは、当時小学2年生のかわいい女の子Aちゃん。
生徒さんが1人だったあの時期から、
今では、私の生徒さんだけでも
50人ほどにまで生徒さんが増えました。

今、音楽をしている皆さん。
(お子さんが習い事で音楽をしている場合にはお子さん)
音楽のどんなところが楽しいですか?🎵

・楽器が弾けるようになると楽しいから
・上達による達成感を得られるから
・成長していけるのが嬉しい
・自分が演奏をすることによって周りが喜んでくれる(それがめぐりめぐって自分の喜びになる)
・人前で表現することが好き
・家族で音楽共演したい
・コンクールで入賞したい…などなど

いろんな形があると思います。
私は幼少期からコンクール漬けの日々でしたが、音楽の形は、競争だけではないはず。

『子どもたちの、好きのチカラを伸ばしたい』
コンクール入賞も、もちろんすごいことです!
だけど、いつも周りと比べられる環境に身を置き続けることは、相当な忍耐力や努力が必要です。
みんながみんな将来、音楽を職業にするとも限りません。
ゆくゆくは、音楽でもそれ以外でも、
自分のやりたいことを見つけて、
チャレンジするときがくると思います。
そのときに、幼少期の頃から音楽に触れ合ったその豊かな感性が、普段の生活を充実させてくれ、
いつか自分の「本当に好き」なものが、見えてくるのではないでしょうか。

「失敗ではなく、あるのは学びだよ」
「『幸せかどうか』は他人が決めることではなく、自分が決めること」
この言葉は大切にしています。

【私にとっての『音楽と暮らしの幸せ』】
私は今、様々な人たちの支えがあり、
自営業として音楽教室の講師を運営しながら、
保育園や中学校・高校へ打楽器指導へ行ったり、演奏活動を通して、マリンバの音色を多くの方に届けることができるようになりました。
高校生のとき、人生のパートナーであり、音楽のパートナーでもある現在の夫と出会い、9年の交際を経て結婚、2人の息子を出産しました。
育児通して、さまざまな大変さや苦労はありますが、同時にかけがえのない楽しさや幸せも、経験しています。
自分の新しい家庭を持つことにより、レッスンでは「生徒さん」だけでなく、その背景にある「親御さん・ご家族」にも目が向くようになりました。
生徒さんを大切にするのはもちろんのこと、
ご家族にも寄り添ったレッスンをしていきたいと思っています。


私は人と関わることが好きなので、これからも音楽の活動を通してさまざまな人とコミニュケーションをとっていきたいです。

あなたにとっての「幸せ」はなんですか?🎵
何をしている時が、楽しくワクワクしますか?☺️✨
まだ好きなことが見えてこない人は、私と一緒に探してみましょう😊

マリンバという楽器は、これからの未来にとても可能性があります。マリンバはもともとアフリカの民族楽器ですが、クラシックとして演奏され始めてまだ100年ほどしか経っていません。音楽の歴史がまだまだ浅く、現在注目されている楽器の1つです。

「岡山でマリンバを習うなら正富先生!✨」
「正富先生のところにレッスンに通えてよかった🌸」

こう思っていただけるように、これからも活動を続けて、多くの方と関わっていきたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

【正富明日香プロフィール】(本名: 廣田明日香)


  1991年、岡山県瀬戸内市邑久町出身。
岡山県立岡山城東高等学校を経て、桐朋学園大学音楽学部打楽器専攻を首席で卒業。優秀者として選抜され、同大学卒業演奏会に出演。同大学研究科修了。
  2007年、岡山フィルハーモニック管弦楽団とマリンバコンチェルトを共演。 第15回KOBE国際音楽コンクールにて第1位、および兵庫県知事賞を受賞。
  大学入学後は「安倍圭子国際マリンバアカデミー」(韓国、アメリカ、日本)に参加し、コンサートで安倍圭子氏と共演、またオーディションにより選ばれるプレミアムコンサートに出演。
  第6回世界マリンバコンクール(ドイツ)ファイナリスト。第9回ルーマニア国際音楽コンクール打楽器部門第2位。2015年、ザルツブルクで行われたモーツァルテウム国際サマーアカデミーに参加。2018年東京文化会館にて開催された「世界マリンバ界の巨匠 安倍圭子 傘寿記念演奏会」に出演。
  これまでにマリンバを安倍圭子、上田邦子、内山詠美子、藤井里佳、打楽器を佐野恭一、故・塚田吉幸、日玉裕、加藤訓子、カホン・ジャンベを山本愛香の各氏に師事。

  現在は演奏活動と並行して、さくら学園(岡山市・認可外保育施設)にて3歳〜5歳児クラスへむけての木琴講師を勤める。瀬戸内市にて開講する自営の「とみや音楽教室」ではマリンバ・ピアノ・パーカッション講師として後進の指導にも力をいれている。
マリンバデュオMOMO、パーカッションアンサンブル音工房メンバー。岡山県演奏家協会会員。元ヤマハ音楽教室マリンバ講師。ドラム奏者の夫・廣田健一郎と共にマリンバ&ドラムデュオ7stepsとして演奏活動と自営音楽教室を運営。
現在2人の男の子(5歳・3歳)を子育て中👦


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これまでの活動履歴♪

・2014年5月~2016年3月まで、東京・浅草にある私立幼稚園にて保育補佐を勤める
・淑徳大学(埼玉県)での打楽器講義
・各種イベントでの演奏
(結婚式や記念式典、公開講座、ミラノ万博2015日本館公認イベント、芸術鑑賞会、お施餓鬼行事、幼稚園音楽会など)
・桐朋学園大学オーケストラとしての演奏
・新作初演コンサート
・岡山フィルハーモニック管弦楽団による文化庁スクールコンサート
・天満屋岡山店のイベント出演
・瀬戸内アーツカウンシル事業として岡山県瀬戸内市内の保育園・幼稚園・小学校を巡回しスクールコンサートを行う
{BC171B90-13E6-4AE8-B4A8-39B5BA814937:01}
(幼稚園のお寺での演奏の様子)
{4606E8AC-9973-4760-9328-2D7C4121C889:01}
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夫も同じ教室でドラムレッスンをしていますルンルン
岡山 ドラムレッスン
(&アレクサンダーテクニーク)
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