「ダウン症の娘に文字を読めて、書けるように手伝って欲しい。」
と友人から依頼があった。
「娘が全く文字に興味を持たない。育成学級の国語の時間は『はね』と『はらい』のみひたすら書く練習。『楽しくない、嫌い』と言う。初めて持ち帰り、教えてもらった文字のプリントが『ひ』と『ふ』。本当にこれで読み書きできるようになるの?」
と不安そうに相談された。
私は早速、初回のお稽古を始めることにした。
今回の目的は房仙流。
「自分にも書ける。納得できる。だから楽しい。だからもっと書きたい」
これを目指した。房仙流で大事なのは心の対話。相手が何をどのように感じ、何がわからないのか。をキャッチしなければならないと思った。
汚れても気にならないように、水筆と5メートルの用紙を2枚用意した。
まずは「し」。「はらい」が重要。はらいができると気持ち良い。
最初書けたものが、はらいの部分に力が入り、四角くなってきた。
手を取るのは好まないらしいので、書けるだけ、たくさん書いてもらった。
なぜ、四角くなるのか?
恐らく、頭ではわかっているものの、力加減と意識が”はらい”にあり、曲がる部分が四角くなるのだと判断し、訂正せずに、次の文字にしようと思った。
今回はそれに加えて「も」も。「も」は「し」に横棒二つが生えたもの。書き順もこれで覚えられると踏んだ(低学年の子どもは「も」の書き順をよく間違える。ちなみに主人も書き順を間違えて覚えていた!!)。
本来は「し」と「も」は形も違い、この順番では教えない。しかし、今回はこの順番で教えた方が書き順の混乱がないのと形と発音の認識に繋がると考えた。
筆で「し」と「も」と発音しながら一緒に書くと、すぐに書ける様になり発音も覚えてくれた。何度も何度も書いていた。
最後に、墨と半紙で書いた。
「し」の曲がりが四角くなく、自然に書けた。
分かっていた事と確認した。
作品を1枚づつ選び、『家に貼ってね』とお願いすると、『おばあちゃんにも、見せようね』とお母さんが嬉しそうに言った。
女の子も嬉しそうだった。
今回の目標を達成できたと確信を持てたのが、お稽古の後、その女の子が「し・も・し・も・し」といいながら、公園で土の上に「し」「も」書いて遊んでいる姿を見つけた時だ。本当に嬉しかった。
自分の役割を感じることができた。それを見つけさせてくれた彼女にも感謝の気持ちが湧いてきた。
文字に興味をもってくれた。「書けることは楽しい」と感じてもらえたような気がしている。もっといっぱい好きになって欲しいと思った。
房仙流の指導法の基本は画一的な教え方は絶対にしない。必ず、個々に合わせ、個別に指導、それぞれのレベルに合わせた指導と手本を書き分ける。
一度、房仙先生のお稽古を受けると誰もが先生の圧倒的な技術力に感動するだけでない。こちらが要求しなくとも知りたいことをささやいてくれる。そして添えてもらった手を通じて自然な筆遣いが伝わって来る。作品が劇的に変化するのを誰もが驚き、書ける満足感を経験できる。
この「個々にあわせた指導法」
更にそこに”超極秘の房仙流指導法”がある事に気がついていますか。
手を取ってもらう際、添削してもらう際、房仙先生の自分にだけ向けられた心遣いに気がついていますか。
「手をとる」「添削をする」、その時を先生は1対1のコミニケーションの大事な時だと考えている。
キーワードは『ささやき』
書の技術指導以外に必ず何かを自分だけに聞こえる声で必要な言葉を話しかけてくれる。何らかの言葉、必ずさりげなくかけてくれる。
手をとるというのは1対1の書の技術指導だけではなく、共にいつも心がある。個々の技術に合わせるだけでなく、心にも合わせ、働きかけてくれるのだ。書を通じた人間関係の構築なのだ。
子どもから大人に対してまで、全ての生徒が先生に魅了される一つなのだと思う。
今回の女の子への指導で、「房仙流」をうまく踏襲できているのか?
十分ではないと強く分かっている。
ただ言えるのが、先生からこれまで受けた指導、そして側で見てきた指導法を思い返しながら考え、それを実践しようとした事がこれからに繋がり、自分が今まで学んできた事の意味があるのだと思う。