父と娘の通勤電車 | 通勤日記(快速)

通勤日記(快速)

いざゆかん。日本の中心・東京へ

猫と園芸は似ている。

まずベースがあり
与える栄養や日当たりによって成長が変わる。

話しかけるかどうかによっても変わる。

そして病気になったときも
適切な栄養、看病をしてやれるかで
完治するかが変わる。

そして栄養をやるほどに肥えてゆく。




そんなこんなでした。



ある日
いつも乗っている電車のひとつ前の電車に乗りました。

私がぼんやりとドアの近くで立っていると
次の駅で、親子が乗ってきました。

それはおそらく父親とその娘で
娘は私より少し若い、リクルートスーツのいかにも新卒という感じ。
父親は管理職、という感じのスーツで50代なかば。

娘と出勤できるなんて
なんて幸せな父親なのだろうか!

私とちょうど向かい合うように立った父娘は
娘のスーツを話題にしたり
電車を話題にしたりして
ちょこちょこ喋っていた。

娘はみたところ無垢で
親の愛情を受けて何不自由なく育ったかんじ。
食べ物に困ったことも、住むのに困ったこともないだろう。


私には父親がいない。

いないわけではないが
母と別れたあと、ほとんど会ってもいないし、会いたくもない。

末っ子でマザコンだった私は
姑やその他親戚からの当たりも強く
父親からも煙たがられていた。いい思い出はない。


けれども思ったことがある。

もし私が
両親のいる真っ当な家で育ったのならば
もっと人生はキラキラして楽しく
明日生きるのに困ったり
心を病んだり
しなかったかもしれない。

きちんと学校へ行って就職して
結婚して子供を産んで。
そんな人生を送れたかもしれない。

ちなみに私はマザコンをこじらせたファザコンのため
父親と同じ年くらいの上司には認められたい一身で
仕事をし過ぎることが多々ある。

父親も含めた“オヤジ”とは
私がこの世で最も忌み嫌うものであり
私がこの世で最も認められたい存在なのだ。


そんな歪んだ人格を生み出すこともなかったかもしれない。


けど
全てはたらればであり
歴史に“もしも”は存在しない。

だいいち
もしそんな私が存在したら
今の私は存在しない。
今、私が持っているものは全てない。


人生は登山だ


みんなそれぞれの山を登っている。
あたりまえだが登った高さまでしか景色をみることはできない。
上を、上を目指すが
登るのはとてもつらい。
登ろうとしない人もいれば、登ることを知らない人もいる。

でも登りに登って上までいくと
そこは今までと違う場所。
まわりの人間の高さもよくわかる。
より客観的になるためには
もっと上へ行く必要がある。


だからきっと
私は今の私でいい。



通勤電車の父娘をみただけで
そこまで哲学的になる自分がキモイ。

そんなふうに自問自答していたら
誤って私は持っていたペットボトルを落としてしまった。

それがなんと(でもないけど)その父娘の足元に。

なんとカッコ悪い!
こんな幸せな父娘に優しくされたら
私のトラウマが悪化してしまう…!






拾ってくれなかった。

うん。やっぱり私はこの私がすき。