ゆっくり出来る時でないと
文章が考えられなくてあせる
遅くなったけど‥
年末31日に書いた年賀状だよ
じゃーんカメラ

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毎年送る相手
みんなのおかげで
墨で書く練習をさせてもらえるほっこり
ありがとうラブラブ

ん・・・
本番じゃなくて練習かいっおーっ!ハッ

ごめんね・・・
毎年 上手に書けるようになる前に
全部 書き終えてしまうんだよぼけー



年賀状といえばね

父の転勤で富山県に住んでた1年間
私は保育園へ通ってて
その時お世話になった先生とも
その後 毎年欠かさず
 年賀状のやりとりをしていたのポスト

昨年のお正月も
先生から
達筆な字でお元気そうな年賀状が届いたのに
その1月に先生が亡くなられたと
ご家族から喪中の葉書が届いたんだぐすん

その時 気づいたんだけど
先生は私の両親よりずっと年上で
ご家族の名前も初めて知ったんだよあせる

その葉書には
『毎年 年賀状をありがとうございました 
いつか◯へ行ってみたいねと
話していました』
と書き添えてあったの

私もよく両親と
今度 富山に行ってみようねと
話していたことを思い出した

もう今は
両親も死んじゃって
それも叶わないと思うと
余計に悲しくなった

そして
先生がお元気なうちに
どうしてお菓子のひとつでも
送らなかったのかと
すっごく悔やんだのぐすん


それで
近くの豆子郎のお店から
手紙を添えて お供え物を送ったんだ

そしたら数日後
先生の娘さんから電話がかかってきたのスマホ

初めてお話したんだけど
娘さんは
ずっと先生と一緒に暮らしておられたそうで
私のことも
よく先生から聞いていたそうなの

私は とっても泣き虫だったって笑い泣き
あははは!

両親はとっても教育熱心だったって
そうそう
ママは特に厳しかった!

お話を聞いていると
有難くて
初めてお話する人とは思えなくて
しかも
今 その娘さんと私は全く同じ職業だし
不思議な縁を感じたの

娘さんの優しく温かい声は
私をそっと包んでくれて
電話口で泣いてしまった

私の泣き虫は治ってないみたい・・ねー



娘さんにも話したんだけど
貧乏だったけど
親子4人でスキーやソリをしてる写真もある
富山にいた頃が
両親も1番楽しかったんじゃないかと思うのスキー


「先生とうちの両親が
私達を繋いでくれたんですねラブラブ
と言うと
娘さんは
「ほんとほんと」
と言ってくださったよ

先生は亡くなられてしまったけど
今度 案内したいから
是非こっちに来てほしいと
お願いしておいたの

私も富山へ行きたい
ううん
絶対行くウインク