絶望の福音書

絶望の福音書

絶対的な絶望の中にある温かさを書きたい。

ロボの世界観はロボだけのものであり
他人の世界観を否定するものではなく
また、自分の世界観を押し付けるものでもない。
Amebaでブログを始めよう!

人間は食物連鎖の頂点と思っている人達、結構多いのではないのだろうか。

だが、あえて言おう。

人間は、悲しく、自然から放り出された悲しい動物なのだと。

 

生物は、弱肉強食で、強い者は弱者を食い、生きる。

その強い者は、弱い者、特に幼い命を狙って食う。

 

これは人間という「動物」も同じ法則にのっとっているのだが。

知性を持った人間と、野生動物で決定的に違う事がひとつだけある。

 

人間以外の野生動物は、お腹が満たされれば、それ以上は必要としない。

しかい、人間という、食物連鎖の頂点に立った知恵を持った動物は「必要以上の。必要ないはずの犠牲」を求める。

 

何故、十分に満足出来る生活をしているのに、それ以上を求めるのか。

 

ロシア、何故ウクライナを占領しようとするのか?

中国、何故に台湾を支配したいのか?

 

それだけではない。

俺はロボは聞いてみたい。

 

『ハラスメント』ってなに???

 

例えばだ。

 

『あれ?今日がいつもより綺麗だね?髪型変えた?』

 

ある女性や男性がそう言われたとする。

そのある女性が好意を持っている人から、それを言われたのなら嬉しい。

しかし、その女性が「気持ち悪いと思っている人」から言われたらセクシャルハラスメントになる。

 

それ、おかしくないか??

 

ある女性や男性が嫌いと思っている人に、それを言われたら嬉しいのに、好きじゃない人に言われたらセクハラ。

セクハラの提起は、『言われた本人がセクハラと感じたら、それはセクハラ』らしい。

 

逆に考えてみて欲しい。

 

『今日綺麗だよね?髪型変えた?』

 

その人を褒めようと思って言った言葉が、言われた本人にはセクハラだと感じ、セクハラだと主張する。

けれど。

 

『今日綺麗だよね?髪型変えた?』

と言った人が、本当に綺麗だなと言ったのに、それをセクハラだと言われたら。

そんなつもりではなく、本当に綺麗だなと思って『綺麗だね』と言ったのだとしたら。

 

それを『それはセクハラだ』と言われた事で、傷つく事もあると思う。

せっかく本当に綺麗だと思って『綺麗だね』と言った言葉をセクハラだと言うのなら。

 

『綺麗だね』と言った言葉を『セクハラだ』と言われ、心が傷ついたら、『セクハラだ』と言った人の方が、セクハラ発言だと言える。

 

セクハラの定義は『言われた本人が不快だと思い、セクシャルハラスメントだ』と感じたというもの。

 

だとすれば。

 

褒めたつもりなのに、『セクハラだ』と言われた側が、『セクハラだ』と感じたら、それはセクハラなのだ。

 

セクハラに定義は曖昧だ。

自分が嫌な事を言われたらセクハラだと感じるかも知れないが、褒めたつもりなのに、セクハラだと言われて傷ついた側から言わせたら、それはまた、セクハラなのだ。

 

いつもの事だが。

これはロボの世界観であり、他を否定するものでもなく、自を押し付けるものでもない。