引っ越ししてから20数個の段ボールを出して分別したが、あと2個ある。
それと、一旦預かりっぽく部屋の隅に置きっぱなしになっているものに取り掛かる。
一昨日から始めて、3週間継続。
一度にやると疲れるから少しずつ、少しずつ。
でも、毎日やる。
雑多の袋から懐かしい手帳が顔を出した。
中学生の頃に詩を書いていたことがあり、詩情というタイトルの手帳を買った。
幅が2センチくらいある。
いつの間にか詩を書かなくなり、ノートの半分くらいの厚みを四角にくり抜いて、秘密の入れ物にしていた。
懐かしの「愛と誠」を真似して
わかる人にしかわからない
その中から、父からの手紙と、高校の学費などの積立金の手帳まで出てきた。
私が家出する前から数ヶ月間、学費を使い込んでいたから私の手元にあるわけだ。
かなり黄ばんだ、父の手紙は家出する前にもらったものだと思う。
幸せとか、不幸せとかは、その人の心の持ち方であると同時に幸せを享受することは、努力が必要である。
努力なくしては幸せはない。
自分自身はなんて不幸なのだろうと人はよく考えたがるものなのだ。
この世に自分ほど不幸なものはないだろうという風に。
しかし、それは自己に対する甘えであり、思い上がりでしかない。
不幸せを幸せに転化させる努力が必要であり、楽しみとか、幸せとは苦労や不幸せを知ることによってのみ、それを全身で感ずるものだ。
遊びもしかり、遊びの面白さも、勉強すること、労働することと切り離して考えてはならない。
毎日毎日、一人で遊びが出来ると思うのは全くの間違いであり、遊びが苦痛になる。
あれも嫌い、これも嫌だと言って何もかも避けてこの世の中通れるものではない。
学校が嫌になったから辞めるとか、家庭生活が面白くないから家出する、生きることが苦痛だから死ぬ。
人間は何のために生きているのだろう。
幸せな人生を得るために、不幸と闘って克服する。
そこに本当の喜びがある。
人間、坂を転がり落ちることは誰でも出来ると言うよりも、油断すればすぐ転がり落ちるものなのだ。
気がついた時には不幸のどん底で打ちひしがれて生きている己の姿を見る結果になる。
それも、自ら何の努力もしないで、なるべくしての結果であれば、それなりに諦めれば良い。
しかし、愚かな人間のこと、そこに醜い一面をさらけ出し、足掻き苦しむものである。
人生とは、繰り返すことの出来ない道のりである。
だから、誤りをどれだけ少なくするかを考えねばならない。
今の生活が人生のすべてではなく、ほんの一部だということを知らねばならないし、ともすれば、今現在、自分にとって人生のすべてだと錯覚して、幸せへの努力を怠り、人生そのものをくるしみ多きものにしてしまう。
気をつけねばなるまい。
生き物を愛する者は、自分自身を大切に扱うべきであり、その生命に幸せの灯をともす努力をしなければならない。
人生には起伏がつきもの、いばらの道を勇気を持って進むべきではないだろうか。
父の言う「いばらの道」は私にとってまた別の「いばらの道」だったようだ。
普通の人が選択しない道。
父はとても真面目で厳格な人だった。
父の血を継いできたから文章も似ている。
血だな。
まだ子どもの私はこれを読んだ時、理解力は乏しかった。
言いたいことはわかるけど、
父は石橋を叩いて渡らない人だった。
私は石橋を叩いて壊して突っ走って渡るタイプだった。
だから、父には私の言動が理解を超えていた。
また、男女の感覚も違う。
父の遺伝子が必要だったのは深く理解しているよ。
ありがとう。
けれど、私はこの人生に後悔はひとつもない。
ベストなタイミングでことが起こっている。
起こしていると言った方が正しい。
お父さんとお母さんからもらったこの肉体はこれからも大切にするよ。
何が本当の喜びで何が幸せかもわかってる



そして、そんなに努力をしなくても良いって学んだ。
それとこの手紙はもう少し持ってることにする。

