いよいよ今日はマンモトーム生検の日。

先週のMRIの結果も聞けると思う。両方怖い。

色々とわかってくるまで、これまでの人生を振り返ってみようと思う。


まずは私のこれまでの人生の半分は居座っている

パニック障害について。


この辛い症状から抜けだせたのは(コントロールできる様になったのは)

薬の治療だけでは到底無理だった。


マインドフルネスや、バーチャルシアターで擬似練習などなどありとあらゆる行動療法を試したけれど、あらゆる薬も飲んだけれど。


私にとってターニングポイントとなったのは

森田療法 と言う本だった。

衝撃だった。読み終えた後は怖くて怖くてしかたなかった。

でも、「恐怖突入」というWordが

私の頭の中に無意識に残ったのは確か。


それからというもの、目的思考 と言う考え方

目的を達成する為に、恐怖へ突入する。という

行動療法が、私には実に効いたのだと思う。

もちろん、一進一退、

ゆっくりゆっくり 場数を踏んで、

ダメで戻って、またチャレンジして、慣れていき

いつしか、あれ?出来る様になってる。

できた時は、出来た事 となって頭に刻まれていく。


突入する時に、毎回気づくのは、頭の誤作動が

全ての発作を引き起こす。ということ。

この誤作動ループに入るとやっかいで、恐怖の思考にどんどん呑み込まれてしまう。

そうなってしまう前に、頓服を飲むのも一つ。

そして

そうなる前に自分の逃げ道の思考を常に頭に留めておく様にしていた。


例えば


「ダメだったら辞めていい」といい聞かす。

「ダメだったら電車でも途中で止めてもらう」くらいの図々しい考えで頭を落ち着かせる。


いざとなったら

逃がしてくれる やめていい 逃げていい

こう頭に決めて行動していく。


そして理解してくれる存在が1人でもいてくれることがとても大切。私には姉だった。

よく付き添ってもらって、

よく逃してもらった。

東京へ行く道中引き返した事も。

そうやって寄り添ってくれる1人がいると

本当に心強い。 

そして、ダメな時は辞めていい。

この心持ちが、この病の克服の一つの鍵だと思う

何かあっても 大丈夫。 と思える様になった。


そして当時どうしてもやりたい仕事があって

でも、どう考えても出来ない仕事だった。


当時の私には致命的な責務

ある一定時間の拘束と、絶対許されない失敗

その究極の仕事が婚礼司会だった。

ありがたく、オファー頂いたけれど、

私はパニック障害だから出来ません。

と言えなかった 言いたくなかった


やってみたい。やれるかもしれない。

一度は憧れを持ったブライダル業界。

葛藤を持ちながらも、心は動いていく。


すると、不思議な事が起こった。

ここで失敗し、2人の結婚式をダメにするわけにいかない‼︎という 使命感がアドレナリンとなり

無我夢中で仕事に取り組む。

最悪倒れたら、誰かに読んでもらえるように

台本は必ず毎回、全て作って安心材料に。


そうすると、その使命感と達成感が私の

粗治療となり、場数を踏むことにより自信が生まれ

司会者として10年活動できている。


でも、まだ今も、仕事開始前には頓服薬を飲んでいる。発作止めのツボや、香りのアイテム、

フリスクを準備したり、レスキューアイテムをフルコンボ。

それでいい、コントロールできていれば、

治らなくても、うまく付き合っていけばいい。


そう思う様になったのと

年齢を重ねるにつれて、感覚も鈍くなるのかな?

図太くなるのかな?

随分と発作は起きなくなった。


新幹線も、ひかりからのぞみに乗れる様になった。

次は飛行機✈️

絶望的に無理だった飛行機に乗っていく旅行。

夏には沖縄に子供を連れて行きたい。

これが今の私の目標。


結婚生活、育児ノイローゼからパニック障害を発症し、その後離婚に至りワンオペ育児でこれまでやって来た。大変だったけど なんだかんだやってこれた。


今、絶望の淵にいる人も必ず、よくなる日がくる。

必ず、大丈夫になる時が来る。


そう信じて下さいね🥺