私が住んでいるロドス島は、ギリシャの中でも歴史的変遷の特に多かった地域だと言えると思います。ギリシャ本土とはかなり違う歴史をもっているので、歴史好きの私にはとても興味深く、最近は書籍を読んだり、博物館の方の話を聞いてみたりして、自分なりに歴史的知識を増やしています。
今回はロドス島の歴史の話が多くなってしまうので、ご興味のない方は申し訳ありません![]()
ロドス島では、紀元前3世紀にはギリシャ神話の女神アテナイを祀る神殿が建てられ、さらに遡って紀元前8世紀にはガラスのビーズが作られて宝飾品を作っていたり、金貨なども鋳造していたのだそうです。
キリスト教が布教してからはビザンチン帝国として栄え、その後ギリシャ本土の多くの地域がオスマン帝国に支配されながらも、ロドス島は聖ヨハネ騎士団(十字軍)の本拠地となりました。首都のアテネがオスマン帝国に支配されてから80年後に聖ヨハネ騎士団がオスマン帝国に敗れたことで、とうとうロドスもオスマン帝国の支配下に置かれました。
が、本土が独立を果たしてからも、オスマン帝国のロドス島支配は90年以上続いていました。そこで起こったオスマン帝国とイタリアの戦争でイタリアが勝ったことで、ロドス島は今度はその後35年近くイタリアの統治下に置かれることになったのです。ロドス島がギリシャに返還されたのは、1948年のこと。独立してからまだ100年も経っていないのです。ロドスの町中には、イタリア軍が建てた美しい建物がたくさんありますが、これは当時ファシズムだったイタリア軍が、ロドス島をムッソリーニの保養所にする予定であったためで、町に新しい建物を建てたり、中世に聖ヨハネ騎士団が建てていった旧市街の建物を修復することに尽力したおかげだそうです。
長くなってしまいましたが、先日はそんなイタリア軍が使っていたという建物を訪れました。ロドス島の中心地は島の最北部のロドスの町ですが、当時イタリア軍の将校たちは島の中心部の山の中に住まいを構えていたのだそうです。その住居が現在はホテルとして使われています。
1943年に第二次世界大戦でイタリアが降伏してからは、イギリスがロドス島を支配しようとしたことで、イタリア軍の同盟であったドイツがロドスを爆撃するようになりました。この建物は、イタリア将校たちの宿泊先から、ドイツ軍の病院になったそうです。1948年にロドス島を含むドデカニス諸島がギリシャに返還されてから、ホテルとして新たな役割を果たすようになりました。宿泊客でなくても一階にあるカフェの利用ができるので、コーヒーを飲みに立ち寄ってみました。たくさんのお客さんがいたので、写真は遠慮しましたが、中も重厚な造りでとても美しかったです。
現在のホテルの名前はElafos、ギリシャ語でダマジカという鹿のことだそうです。ダマジカはもともとトルコに生息する鹿の一種で、ギリシャではロドス島のこのホテルのあたりにしか住んでいないとか。残念ながら見ることはできませんでした。
ホテルのすぐ前にある丘を登ったところに、ムッソリーニの別荘なるものがありました。ここはムッソリーニが夏にロドスに来た時に泊れるように作られたそうですが、ムッソリーニがロドス島を訪れることは一度もありませんでした。かわりに、デ・ヴェッキという、エーゲ海の島々のイタリア人行政官が住んでいたそうです。戦争が終わり、イタリア軍のファシストたちはヨーロッパから逃げ、デ・ヴェッキもアルゼンチンに逃げたということです。なんとも壮大な話です。
今は廃墟になっており、外観はおどろおどろしく、近くに立ち寄るのも不気味ですぐに立ち去りました。
私の夫のひいひいおじいちゃん(高祖父という言い方をこの度初めて知りました・・・)は、ロドス島で初めて新聞を作った人だそうで、イタリアの支配下にありながらイタリアのファシズムを新聞で批判したことでデ・ヴェッキの怒りを買い、アテネに送られたそうです。アテネはイタリア支配とは関係なく、すでにギリシャとして100年以上前に独立していたため、イタリアからギリシャに追いやられたというところでしょうか。それにしても、アテネの方がよほどイタリアに近いのに、東方にあるロドス島がイタリアになっていたことも面白いと思います(この理由については、またいつか)。
しかし、この高祖父がイタリア(だったロドス)から追放されたというのに、その娘が後年イタリア人と結婚し、生まれたのが私の義母なのです。ロドスにはそんな話が多く、イタリアの血を引いているギリシャ人が少なくありません。にしても・・・自分のお父さんを生まれ育った島から追いやった国の人と恋に落ちるとは、これもまたなんとも面白い話です。ロドスの人たちと話していても、イタリア人に対する悪い感情はほとんど感じたことがありません。夫に「自分のお父さんを追いやった国の人と、恋に落ちるってすごいね!」と言ってみても、「まぁ、その時にはお父さんもアテネで亡くなっていたからね。」と、淡々とした答えが。そんなものでしょうかね。
と、今回はロドス島の歴史の話ばかりになってしまいました。お付き合いくださり、ありがとうございました。




