人生とハイヒールのエレガンスの軸  

 

先日、ドイツより2泊3日間でレッスンを受けられた生徒さん
から大変丁寧なメールを頂戴いたしました。

一つ、一つの言葉から心を感じ、まさにその方の生き方の軸である

 

エレガンスを感じ心地良いエネルギーに包まれました。

いただいたメールを割愛させていただきながら、今日は、
ブログにてご紹介をさせていただければと思います。






(Asami先生の)
美を追求される姿には、本当に敬服以外の言葉がありません。


ASAMIさんのレッスンを受けた人でなければ、

この緊張感は分からないと思います。

細かい動きをチェックし、助言を与えてくださるASAMIさん。

集中力の仕方が違いますね。
本当に濃厚な時間でした。そして、自分の体と向き合う時間でもありました。

一瞬の気の緩みがバランスを崩します。

ピシッと芯が通り、全く揺るがないASAMIさんの
身体をみるにつけ、当然のことながら、ASAMIさんは
プロ中のプロでいらっしゃるんだと思いました。

合理主義の国ドイツで忘れかけていたエレガンスを、

なんとか自分の生活に蘇らせ、少しでも優雅な人生を送れるように努力するのが、

今後の課題になりました。


私のこれからの人生は、娘ほどチャンスも時間も
残っていませんが、せめて、してみたいことに挑戦していきたいと思います。

そういう意味でも、ASAMIさんのレッスンを受講させていただいた
ことは、ひとつのキッカケになりました。


近い将来、またレッスンに伺えるのを、心から願っております。








私はレッスン中にハイヒールを美しく歩くためのセンス
と感性はありますと、その女性へ言い続けてきました。

それは嘘でもお世辞でもありませんでした。

理由は、日々、丁寧に心で生きているからです。

エレガンスに生きるということは心をこめて、丁寧に
生きることだと思っていますが、歩くことも人生と同じです。

ハイヒールをエレガンスに歩くということは一つ
一つの動作に心をこめて、丁寧に所作することです。

人生を丁寧に心をこめて生きる感性がないと、
ハイヒールでエレガンスに歩ける感性は難しいです


人生をエレガンスに生きる感覚とハイヒールで
エレガンスに歩く感覚は重なります。

表があれば、裏もあります。

ハイヒールでエレガンスに歩けるようになると、
人生をエレガンスに生きれるということです。





人生もハイヒールも、エレガンスの軸は変わらないからです。

 


 

 

直線美と曲線美の世界  

 

私が無条件に好きなものの一つがお花です。

理由はただ、美しいと、感じるからです。

 







心を奪われる美ですが、美の世界にも私は
ルールがあると思っています。

そのルールの一つが、以前にもブログで綴っていますが

直線と曲線の繰り出す世界です。

直線と曲線という相反しながらも、共存出来るこそ
美をクリエイト出来ると信じています。

身近なところで、その世界を感じれるのが女性の身体です。

バストから腰の括れ、ヒップのラインは本当に
美しい芸術そのものです。






同時にハイヒールで歩くことも変わりません。

まずは直線の軸である身体の幹があるからこそ

他の筋肉を動かしても凛としていられる

ぶれない強さがあります。

まずは、直線の美を
クリエイト出来なければ
曲線の美しさを奏でることは出来ません。

バランスは外ではなく内側の芯を捉えることで
ハイヒールは美しく歩けます。

これは生き方と変わりません。

外側(外の世界に依存せず)
内側(自身の芯)で生きれることで、

ハイヒールをようやく美しく
歩くことが出来る一歩となります。


直線の美が確立出来なければ
曲線の美を確立することは、

ハイヒールの世界では出来ません。






これはどの世界においても同じことが云えると思います。

例外なく、美の世界にも同じです。

 

 

信号待ちの女性  

 

 

今朝の交差点での光景です。

赤いジャケットにサングラスをかけ、ジミーチューの
ハイヒールを履いて信号待ちをしていた女性がいました。

すると横にいた20代のフランス人女性に
「貴女は本当に美しいです」と声を掛けられていました。

そして、その女性は声を掛けてくれた女性に
「ありがとうございます。貴女も美しいです。」
と笑顔で挨拶をしていました。






ピンときた方かもいるかもしれませんが、これは今朝の
私の出来事でした。

愛の国フランスなので、男性は素直に言葉で表現しますが

 

女性からは、これまで杖をついたお婆ちゃんや

5、6歳の女の子から声を掛けられることが多く、

 

若い女性から突然、丁寧に言葉を掛けられたことは

無いかもしれません。

 

今朝の私はいつになく急いでいました。

 

 

ブログでは慌ただしい様子はエレガンスから反すると自ら綴っていますが
自分が急いでいるということを客観的に理解していました

 

 

朝のレッスンが始まる前に全てを整えて、完璧な状態
でお迎えするこの瞬間はタイムリミット内に終える
ことが出来るかいつも緊張します。







余談ですが、モデル時代にランウェイで歩いた後に
次の衣装へ着替える時に無事に自分の番が来る前に
制限時間内で終えることが出来るかという緊張感と似ています。

今朝は予定していた時間よりも10分程、遅れてしまって
いたので、気持ちが少し慌ただしい状態でした

 

 

保育園へPeterを無事に届けて、時計を見ながら
家へ到着してから片付けや掃除、準備など頭の中で
パズルのように組み立てて

 

気持ちを落ち着かせているところに

 

冒頭で綴りましたが
信号待ちで横にいる女性から突然、声を掛けられました。

まさに、気持ちをふっと
落ち着かせて深呼吸をした瞬間でした。


何か、これがメッセージのようにも受け取れたのですが、

 

どんなに急いでいても
慌てている姿からはエレガンスには写らないと自分に言い
聞かせ、
スイッチが入った瞬間でもありました。

慌ただしい時は呼吸が確実に浅い状態ですし、

その状態では深いオーラも深いエネルギーも発することは
出来ません。

私たちには日々の生活がありますので、このような
急がなくてはいけない状況の時にどうしたら良いかと
いうことですが、やはり呼吸です。

私も感じましたが、自分が思っている以上に呼吸の
リズムは速くなっていますので、そういう時こそ

深呼吸をする意識だけでも引き寄せる
結果、未来は異なると思います。


自分に言い聞かせていますが、急いでいる姿にエレガンスはありません。

 

それはハイヒールで歩く時も同じですが、

 

一つ、一つの動きを丁寧に心と身体で感じて行うことで、

結果としてエレガンスが雰囲気として現れるからです。

美のヒントも気付きも、そして罠も

私たちの生活にはたくさん潜んでいます。





それを楽しみながら生きるからこそ、人生は楽しいのです。

 

 

 

歩くということは美しい芸術  

 

 




皆さん、多くの方が誤解されていますが、

 

 

美は他力本願では絶対に成り立ちません。

受け身ではなく、自ら掴みにいく姿勢とマインドが必要であり、

それは必ず目に見える結果としてかたちに現れます。

足を前に出す瞬間にどれだけの人が意識をしているでしょうか。

足を前に出す瞬間にどれだけの人が足の甲を返した状態で丁寧に
繊細に出しているでしょうか。

足を前に出す瞬間の延長上にどれだけの人が意識をして甲を
下にして膝、腿、強いてはヒップまで意識をして腹筋を
立てている行動をしているでしょうか。

足を前に出す、ほんの僅かな瞬間に意識をしなくてはいけない
箇所がたくさんあり、それは決して片手間では出来ない程の
労力が必要です。

美しい人には必ず理由がありますが、
美しく歩く人にも必ず理由があります。

だからこそ、凛としたオーラがあり、

その歩きからは女性が
自らの足で立つという凛とした印象を与えます。





ハイヒールで歩くということは
生き様そのものです。

どんなに繊細で複雑な動きでも意識を続けた結果、

それが無意識で出来る日が必ず訪れます。

私は今でも自分の歩きに探求していますが、それほど難しいのが

美しく歩くということです。

私が生徒さんに求めているのは
私と同じような歩きであり、そこには妥協をしません。

私が大切にしていることは、
歩くという動作から生き方のメッセージを表現することです。

そのメッセージを表現することで人は美しも、深く、芸術であると
私は思っています。





歩くということを侮ってはなりません。

歩くということは私たちの
日常の中の素晴らしい芸術なのです。

 

 

美しい環境に身を置く  

 

 

 






美しいものを美しいと感じれる感性は

 

 

天から与えられたものと、自分の生き方次第で感性を
養うことの二つがあります


私は断然、後者の人間ですが、感性を自ら高める方法は、
美しい環境に身を置くことです。

それは、物でもありますし、人でもありますし

 

存在する全てです。

私は美しくないものが好きではないので、

そこは徹底しています。

例えば、どんなに疲れていても体調が悪くとも毎朝、

掃除をして自分の環境を美しく整えてから1日を始めます。

 

ガストロになった時だけは出来ませんが(笑)、

39度の高熱が出ても這ってでも掃除だけは欠かしません。

美しくないものに身を置くことに違和感を感じ、
これが私の最大のストレスです。

 

その分、怠惰なのは料理ですが、これも人のギャップのバランスと

 

楽しんでいます(笑)

美しいものに身を置くと、美しくないものへのセンサー
も同時に鋭くなります。

美しくないものを見て、そのままに放っておけないのです。

すぐに解決策を考えて実行します。

なので、美しくあろうと生きるには以前、ブログにも
綴りましたが、考える脳も感じる心と同時に必要です。

自分の身の回りには美しいもの以外は

要らないと決断する心と行動力。

そこに他者も第三者もおらず、
自分だけの感覚と感性だけです。

例え99%の世の中の人がNoと
言っても、1%の自分がYesと
断固として強い意志を持つこと






これが美しいものに身を置く理論と重なります。
 

 

美しさの光と闇  

 

ここまで正確に細かく筋肉を連携させ美しく歩くことを
考えている人は世の中にいるのでしょうか・・・と考えて
しまうほど

Asami さんは完全なおたくです。

一人一人の癖を瞬時に理解しどこをどう直しどこを矯正
補強したら美しくなるか何を理解させどの意識をもたせるか

美しくしかも体に負担をかけない
ハイヒールウオーキングを頭に体にたたきこむのです。







この言葉は昨日、kokoさん が私のレッスンに対してブログで
綴ってくださった有り難いお言葉です。

このことを伺った瞬間に美しい人というのは、必ず陰で努力
をしているということです。

 

美に対する真摯な姿勢は美だけではなく、仕事もそうですし
生き方もそうです。

全てにこだわりを持って生きているので、美、仕事、生き方が
サイクルとなります。


この素晴らしいサイクルが一流の世界で生きる方の道だと
kokoさんを拝見して感じました。

レッスン以外の僅かな時間にはkokoさんと美について
お話しをすることもありました。

kokoさんは目を潤わせながらはっきりとした強い口調で
「この世に存在するもの、全てが美しいのです。」
と仰いました。

私はその時の光景とお互いに
魂と魂のぶつかり合いのレッスンをした後ということもあり
深く記憶に残りました。





kokoさんがブログでも仰っていることですが、光が
あれば闇があるということです。

光に焦点を当てるか闇に焦点を当てるかは
私たちの選択次第です。






大変有り難いことに、
まりりんさん もkokoさんとのレッスン中に生まれた
オタクの流儀について綴られています。



http://ameblo.jp/marikohk/entry-11791259394.html


kokoさん、まりりんさん、
そして
マリエさん と波動の高いエネルギーで繋がり
合える美しい関係に心から幸せを感じ同時に益々、
精進せねばと思います。






美しいものと愛のエネルギーは崇高なエネルギーです。

そして、それを生み出すのは私たちです。




崇高なエネルギー  



イギリスの作曲家エドワード・
エルガーが作曲した素晴らしい曲
Pomp and Circumstance


https://www.youtube.com/watch?v=moL4MkJ-aLk





こちらの曲は私の大好きなクラシックの一つですが、

この曲の1分50秒後に流れるメインの奏でる音楽が、私の
フィルターを通して感じて、
実際にお会いする
kokoさん の印象です。

 

崇高なエネルギーを持つkokoさんから感じたことは
たくさんありますが、そのエネルギーを生み出す軸というのは、

 

kokoさんの生き方の軸でもある愛と感謝とエネルギー
の循環です。


私はお世辞も言いませんし、嘘は嫌いで、本心をストレートに
表現する性格ですが、kokoさんの存在力とエネルギー
の力はやはり人を超越しています。






明日も魂と魂のぶつかり合いの
レッスンに胸を弾ませながら
深い眠りに就きたいと思います。

 


感性の強い女性は世界で繋がる

少し前からブログで触れさせていただいていましたが、

 

今回のパリ在前は上海にお住まい、パリ
滞在後は拠点を香港へ移される里枝さんです。


 

 

実は私の生徒さんでもある香港
在住のよ~こさんが学生時代からの
大ファンで憧れの存在のブランド
というほど、非常に価値が高いブランドです。

今後は里枝さんが香港で展開していくにあたり
ジョジアンヌ氏が全面的に里枝さんと共に香港の女性の
ために惜しみなく愛を注がれるとのことでした。





70歳近いフランスのマダム、
ジョジアンヌ氏が香港へ駆け
つけて、一人一人の女性と
触れる機会も作られるようです。

これも一重に里枝さんの力で
あり、里枝さんの努力と情熱と愛が全てです。

結局は

 

自分の真髄を持って仕事をすると、

同じ波動で仕事をしている女性と繋がる、

共鳴出来るというのは里枝さんを通して私が感じたことです。

数日前に私がPodcastのラジオ番組で
インタビューを受けさせていただく
お話しをしましたが、それは里枝さんの
ラジオの番組です。

私のレッスンを受けた時に是非、
インタビューをと思ってくださった
そうですが、感性の高い里枝さんは
このようなことを仰ってくれました。

ハイヒールというのは使う筋肉の
細部まで意識を張り巡らせて、
感性が非常に研ぎすまされていない
と美しく歩けないということ。

本気でなければ私の情熱と愛に
負けてレッスンを受けることが
出来ないということ
逆にそれが出来なければ勿体ない。

レッスンを受けて改めて感じる
ことは、Asamiさんの歩きは
まさに芸術だということ




この3つの言葉を放たれた里枝さんが
惚れ込んだJosiane Laureのブランド
がどれほど、素晴らしいものかと
いうのは私の生徒さんであれば

 

里枝さんの言葉から絶対的な信頼を持たれると思います。

世界で繋がる女性は生きる場所が違えど、

 

感性や感覚が高いレベルで繋がっていますので

必然的に出会います。

香港は日本から比べるとパリよりも近いです。

是非、里枝さんとジョジアンヌ氏の
波動の高い美のエッセンスに触れられてみてください。

エネルギーを深いところで感じるはずです。

追伸

私のブログをご覧の方は高い美意識を
お持ちですし、信頼していますので
個別に里枝さんの連絡先をお教えします。

ご興味がある方は、是非、ご連絡を
取られてみてくださいませ。

里枝さんの連絡先です。
riearoma@gmail.com




コンプレックスと個性  






コンプレックスの解決策は自分でしかありません。

ただ、コンプレックスというのは
人と比べるからこそ発生するネガティブな感情でもあります

コンプレックスが時には原動力として

背中を押してくれることもありますが、良いエネルギー
ではないので、すぐにお別れをした方が良いものです


方法は目を反らすことなく向き合い、向き合った中で
改善したいという結論が出れば、そこに努力をすること。
それだけです。

私たちには脳がありますので、現在の状況をいかに好転へと
持って行けるかという考える力があります。

以前、美意識は他力本願では
ないと綴ったことがありますが、

そこには、自分の脳で解決策を生み出すという力も必要です。

美意識には脳が必要です。

そして、美しさにも個性があると
綴られていた果代子さんの言葉ですが、全くその通りです。

美しさは何かと感じる感性は異なります。

美しい女性には各々、自分の軸に沿った表現
をしたい美があります。

音楽やダンス、スポーツという
芸術の世界でも表現したい想いや美は異なります。

それは全くもって、私たち、
一人一人の女性も皆、等しく違うからです。


そこには個性という美の存在が必須です。





個性とは、貴女がコンプレックス
だと思っていたところにヒントがあるかもしれません。

 

身体を美しく魅せてくれるお洋服とは  

 

 

今朝、生徒さんから「Asami先生はいつもそのようなお洋服を着ている
のですか?」という質問を受けました。

その時に生徒さんにお伝えしたことは、過去にブログでも綴った
記憶がありますが、自分のテンションが上がるお洋服しか

着ないということです。

幸いにもフランスのお洋服は女性の身体を美しく魅せてくれる
シルエットなので、自分の身体を美しく魅せてくれる

デザインと色を私は重視しています。

 

そして、これが最も大切ですが、そのお洋服を着た時に

テンションが上がるということです。

テンションが上がらないお洋服というのは鏡を見た時に自分の魅力が
半減しているものです。

お洋服を着て魅力を半減させてしまうくらい
ならば、一層のこと裸で十分です。

テンションが上がらないお洋服は
過去に全て処分し、手元にあるのは数は少なくなってしまいましたが
全て自分を美しく魅せてくれ、テンションが上がるものです。






美しく魅せるテクニックとしては

 

身体が細い、太いは関係なく
自信があってもなくても、しっかりとシルエットが分かる

お洋服を着ることです。

身体のラインを隠すようなものは女性の美意識をどんどん
遠ざけてゆきます。

それは私自身も日々、感じることですが、羽織れば羽織るほど、
デコルテが閉じていき、同時に感性も何かが被さったような感覚
になります。


お洋服も歩くことと一緒で、日々の習慣の一つです。
この小さな習慣を制するものが高い美意識を制します。

男性の身体も芸術ですが
女性の身体は、それだけで芸術です。