家を売る前にしないといけないこと | 老後の日本移住計画

老後の日本移住計画

アメリカ暮らし20年以上。夢は10年後に日本に移住すること!
資金不足で移住はイヤなので、なんとか十分な資金を貯めたいと思っています。うーん。12年後かなあ、、、13年後かな、、、それとも。。。

アメリカでは家は一生住むものではなくて、スターターハウスだか、スターターホームだか忘れましたが、ま、最初の家、から始まって・・・徐々に大きな家に引っ越し・・・子供が巣立てばまた小さいサイズの家に引っ越し、最後の方はアシステッドリビングとかいう、アシスタント付アパートに住んで、動けなくなったら、老人ホーム・・・

 

っていうイメージがあります。わたしの知っている範囲のアメリカですけどね。

 

税金上も損をしないように、一回だけの特典ですが、最後の方に大きな家から小さな家を買ったとき、その利益を課税しないようなものがあると思います。(昔の知識なのですが、たぶんいまも)

 

さて、我が家のスターターハウスというのは、日本でJETプログラムで2年英語教師をやった夫は、嫌で嫌でアメリカに帰りたいといいました。

 

専業主婦っていたわたしは、しょーがないから、ついてきたのですが、もう帰ってきて、嫌で嫌でたまらない。。。

 

そのくせに、反発しなかったんですよねえ。

 

というか、貧乏過ぎて反発すらできなかった?いい加減になった?

 

あれよあれよとコンドミニアムを買う羽目に。。。ああ、ここから逃げられないのかぁ。。。

 

2階建て、地下付きのコンドミニアム。2LDKというサイズですね。室内ガレージは車1台分ですが、外にも駐車スペースあり。$97,000位だったような気がします。うちは2階。

 

夫は無職ですから、義父母がキャッシュで購入してローン返済は義父母に。頭金は日本で貯めてきたんですが。。。。

 

でも、毎月の$100すら払えない貧乏さが続きます。それでも日本には毎年帰国した自分がスゴイ。。。タックスリターンで帰ってました。子供がいて貧乏だといまのボーナスより多い金額が戻ってきたんですよねえ~。なつかしい。(遠い目~)

 

車のない生活は地獄でした~。あまりにみじめで、半年後くらいに$3000の中古車を買うことに。父母が不憫に思って10万円送ってくれました。ありがとう~。

 

そして、二軒目は今の家。3LDK(2つ小さいリビングがある)。$170,000くらいだったかな。安いですよね。庭も広くて、コドモを外で遊ばせることができる。。。でも、この家、わたしが日本に子供と帰っているとき、勝手に4人名義で買われていて、半分くらいは義父母が出してくれて、残りは銀行のローン。

 

でも、ここでは車が2台ないと生活できない。。。義父母の車を$4000で買いました。(オートローン)(その後義弟に車をあげていたが発覚してムカつきました)

 

ただ、築30年超。あちこち壊れてきました。

 

 

 

 

 

 

 

ドアと、ドアの外側についている網戸付きドアが壊れてしまいました~~。

 

週末に義父が来て手伝ってくれる予定です。ドアと網戸のドアと。。。いくらかかるかしら~。困る~~~。

 

さらに壊れている場所があちこちあるので、売るまでにきれいにせねばなりません。

 

次に絶対直さないとまずいというのが、天井のシミです。屋根が凍ってその上に雪が積もり、氷がとけ始めたときに水の行き場所がなくて家に・・・ということらしいです。茶色いシミになっています。

 

キッチンの床にも実は穴があって、入口付近なので今はマットで隠していますが、直さないといけません。

 

1階リビングのカーペットもシミだらけなので、入れ替えるか、プロの掃除屋さんに頼んでみるか。そのためにはリビングを空っぽにしないといけません~~~。

 

できるんでしょうか、そんなこと。。。と思いつつ、昨日から片づけ開始。結構疲れました。

 

次の家はコンドミニアムかタウンハウスで、芝刈りと雪かきから解放される予定ですが、大きな街に引っ越すので、この家より安くは買えないでしょう。。。。。固定資産税も小さいコンドでもここと同じくらいかかるようです。とほほ。

 

 

 

思い出もまだあります。あと数枚。。。

 

 

 

 

1994年8月

 

8/5にNYを出発し、役4時間であのホワイトハウスのあるワシントンDCにつきました。昔キャンプに1回だけ参加したけれど、テントを作ったりするのは初めてで、なんかあと7~8回移動してまた動かすのはメンドウなことだと思ってしまう。シャワーも寒くてまるでプールのシャワーみたいで、まわりに「ガ」が死んでいて気持ちが悪いし、NYでは暑かったのに、ここは秋のようです。ここの方が南なので厚いハズですが。テントは「ぺとら」というオーストリア人の女の子と一緒です。(ドイツ語をしゃべる)日本人は私の他は3人で、イギリス人4人、オランダ人1人、デンマーク人2人、オーストラリア人1人と、キャンプリーダーといって、ドライバーはアメリカ人。ドライバーの他男は一人(オランダ人)で、あとはオール女の子ですのでご安心を!

 

 

この白い四角はワシントンモニュメントで上までエレベーターで昇ったら、夜景がキレイでした。この塔も、美術館も無料です。国会議事堂みたいなのに入った時は、飛行機に乗るみたいに荷物をX線でチェックされたのですよ。この塔の周りには旗が(全部同じアメリカの旗)50本くらいありました。

 

 

トレックアメリカ、というバンでアメリカを旅するツアーに憧れていて、長すぎるのはちょっとなあ、と2週間の東海岸コースを選んだら日本人が3人もいてちょっとがっかり。英語の訓練!と思って参加したのもあったので。

 

でも、この3人のうち2人はちょっおっと曲者で、ある程度は仲良くなったのですが、すこーしだけ会話がマシにできるわたしにジェラシー?って感じがありました。まだアメリカに行って1年ですから、まだまだ普通に会話できない状態だったのに。。。

 

そしてオモシロイことに、残りの1人はまた逆に避けていたというか、英語ができなすぎてハブにしていたんです。見かねてわたしはその子を拾って世話してあげたんです。ずっと日本語ばかりしゃべっていたんだから、その子も仲間に入れたらいいと思うのですが。集合時間とかそういう連絡もわからないから、しょーがないから途中から面倒みていた。その後ずっと文通して、実家に遊びに来たりもしたんですが、いつーのまにーかフェイドアウトしましたねえ。若すぎたのとバカすぎた・・・なんて失礼なわたし。

 

その意地悪二人組は一人ずつ参加していたんですが、わたしだけじゃなくて、なんていうか、他の人に敵対心?があった???なんだったのは意味不明ですが、ある会話を聞いて、わたしはさりげなく距離を置いていきました。

 

意地悪A「ねえ、聞いた?あたしがスケートに行きたくない、って言ったら、MUST GOって言ったの。MUSTって、HAVE TOより強い言い方だよね。」

 

意地悪B「そうだよね。ひどいよね~」

 

アホか!?

 

みんなは、行かなきゃダメだよ~ってニュアンスで言ってたんです。絶対。楽しいよ~行こうよ~って誘ってくれたんですよ~~~。文法ばっか気にしてないで、空気よめ~~~。

 

この二人とは旅行の後、一度写真を手紙で送って(デジタルのない時代です~)オワリ。

 

他の国の人たちとは何度か手紙を送ったりしましたが、だんだんなくなっていきましたね~。

 

そうそう、この旅行、思い切ってアメリカ横断、を選ばなくて後悔。だって、そのグループには日本人は一人もいなかったですから!それに、横断なんて、やる機会ありそうでなかったですからね~。

 

でも、横断はキツかったかも。。。テントで眠ると腰が痛くなりましたから。。。

 

でもでも、たったの2週間の東海岸のツアーでも、意地悪日本人がいても、アホな日本人がいても、やっぱりとってもいい経験がたくさんできて、行ってよかったな~~とつくづく思います。

 

 

さあ、片付け再開しますよ。