先週書いた記事ですが、めちゃくちゃまじめなブログになってしまい、公開しようか迷っていて今日になっちゃいました汗

 

しかも、なんか変なスイッチが入って、文章もかなりシリアスな長文です。

 

なんか、たまっていたのかな。

・シリアス好きではない人。

・長文がいやな人。

・時間がない人。

・病気の事を聞きたくない人。

 

上記の人は、スルーして下さい。

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 

最近、MG(重症筋無力症)について、再度考える事になった。。。

というのも、十何年、息を潜めていたMGさんが、こんちにはとこの世に舞い戻ってきたからだ。

 

高校3年の5月、大好きだったカラオケに行き、歌えない事から始まり、数ヵ月後には、はちきれんばかりだった高校の私も、食べれず10kg減量という思いがけないダイエットとなってしまって、病気が発覚した。

 

もともと、高校三年の3月くらいに、生理が止まり、そこから病院通いが始まった。

まっずい漢方を出され、まずくて飲めないと思いきや、今から考えれば、MGだったのだ。

 

その後、鼻声や声が出にくくなり、喉も痛い(と思い込んでいたので)症状で、耳鼻科を受診。

風邪だと言われ、抗生剤を点滴されるも、痰がからまり、死ぬかも?!と思うくらい息が出来なくなり、耳鼻科には行かなくなった。

 

その頃、母が『目を開けて寝てる』を私を見て言っていたが、本人は、寝ている時の事なので、なんとも考えていなかった。

 

高校は、中途半端な進学校で、準特進と言うクラスに入れられ、とりあえず、宿題付けの毎日。

元々、頭は良くなかったものの、要領だけは良かったので、クラスの下の方でも、何とか親の呼び出しはくらわなかった毎日を過ごしていたけど。

月日が流れるにつれ、一人ずついなくなるクラスメイト。

 

一人は、白血病が再発。

一人は、原因不明の熱が下がらず、不登校に。

一人は、自律神経失調症。

一人は、学校を辞め。

 

そして、私。私は、8月の英語の授業までは参加しているも、先生に当てられるとなぜか話せなくなり、先生もそれを察してくれてか

 

『Mは、話さなくてもいい』と言ってくれることに。

 

実際、この先生は、答えられないと[正座]をさせ、授業を受けるというスタイルだったのだけど、心使いだったのか。。。

 

その後、原因不明のまま、学校は行けなくなり、大学受験を諦めないといけないかも思ったその時、母親といろんな病院にいくことに。

 

こんな受験勉強の大変な学校の入ったので、ストレスでやられたんだと話が出たのか、

 

話が上がってきたのが、『精神科』

 

でも、何をどうやって間違ったのか、『神経内科』を受ける事となり、N医師と出会う。

メガネのかけたのんびりした医師。

 

この時、初めて測ったのが、『アセチルコリンレセプター抗体』。

 

『違うと思うんですけどね…』と何回も言いながら、MGについて説明するN医師

 

これこれ!!!!と叫んでいた私は、何で本人がこれやと言ってるのに、否定をするんだろうと不思議に思った。

 

その後、N医師は、『精神科』『耳鼻科』。挙句の果てには大学病院にはない『心療内科』を薦めてきた。

 

・MRI

・アイソトープ

・胃カメラ

・CT

・血液検査など

 

出来る検査はしたけれど、再度神経内科受診で出た答えは

 

『グレー』だった。

 

抗体は、0.8か1.0だったと思う。

 

3桁の人もいれば、少ない人もいるらしいけど。。。。本人は、この病気だ!!って叫んでるのに、そうだと言ってくれない医師に、私も母も、疲れていた。

 

その後、胃カメラや他の検査の結果を聞くために、大学病院に行き、神経内科を受診した際は、別の美人の女医医師だった。

 

女医先生は、A先生。命の恩人だ。

 

私は、明らかMGの症状が出ていて、

 

話せない。

食べれない。

目をつぶれない。

口を膨らませられない。

 

という症状があった。N先生は、それでもグレーを言うので、A先生は、MGとする為、あらゆる検査をした。髄液も採ったりもした。

 

結局、私は、MGだったのだ。

※ただ、この時点ではまだグレーのまま。

 

その後、母が無理矢理、とりあえず検査入院させてくれとA先生にお願いし、大学病院に入院の予約をして、9月位に入院出来る事になった。

手術の話もあったが、症状が悪すぎたのと、胸腺腫がなかったため、手術はとりあえず見送られた。

 

母は、毎日病院まで通ってくれ、祖母は、家から大学病院が見えて、心配で心配でならないから、手編みのセーターを持って、歩いて病院まで、5時間かけて来てくれた。

 

初めての病院ライフはとても楽しかった。

お姉さんみたいな若い男の子のお母さん(多発性硬化症)と、MGの先輩のMさん。そして、高血圧で入院しているKさんとの4人部屋。

 

MGのMさんは、とてもMGに詳しく、母は難病という事でとてもビビッていた。

医者が、植物人間になるかもしれませんと説明したそうで。そんな事ないのに。

 

ただ、検査はしたものの、私がMGに対して、抗体がそんなに高くないのと、高校の勉強のストレスの話をしたせいか、なかなか、グレーな状態が続いていた。

 

その後、入院中に、クリーゼが2回程起こり、テンシロンテストをしたおかげで私は、MG確定を得た。

クリーゼを起こしたときは、ひどかった。

 

周りがばたばたとし、本人はまったく病人の自覚はないし、同じ部屋の大人も心配してくれる。

その後、高血圧で入院していたKさんが、私を心配してくれ、血圧が上がり、いつもだったら、一番平和な一番奥の病室だった4人部屋に、看護士さんと医者が出たり入ったりの大騒動となった。

 

私は、テンシロンで一瞬良くなったが、その頃、検査入院で、治療もしていなかったため、飲み込みが良くなく、食べれなかったせいで、血管から採血や薬の投与も難しい状態だった。

テンシロンが効いて、ルート(血管)確保するとなった時、ぜんぜん血管がとれず、後日数えてみると、28回失敗されていた。。。。

この時、注射で初めてやめてくれと泣きながら叫んだ。

 

その後、問題児というレッテルを貼られた私は、詰め所に近い部屋に移動することとなり、プレドニン(とマイテラーゼ、メスチノン、胃薬2種、カルシウム)を処方され、治療が始まった。

プレドニンは、マックス12錠ほど、飲んだんだと思う。

副作用もムーンフェイスはあったが、まつ毛が伸びるという素敵な副作用もあった。

ただ、劇的に良くなることに、逆に不安を抱き、改めて自分は病気だったんだなと知ることとなる。

 

その頃、生理が来ない事を、A先生に告げるも、『若いから大丈夫』という答えが返ってくる。

 

真に受けた私は、その言葉を信じ、良くなってから、治療をしたけれど、不妊治療をしても、子供を授かることは出来なかった。

まぁ、私だけの原因ではないのだが。

 

その後、良くなり、話せたり食べれるようになった私は、たまりにたまったものがあり、JKらしく、病院から親友に電話出来るのが楽しくて、電話を頻繁にするようになる。

でも、この頃の親友は、関西の有名大学の入試に向け、猛勉強していた。

 

私は、大学を諦め、とりあえず、怖かった正座をさせる英語の先生に怒られるのが嫌で、英語の勉強だけはしていた。

当時の『即戦』と呼ばれるものである。

2年から、即戦をはじめ、多分何十回したと思う。

 

その後、退院し、地元の友人が、看護士か英語かどちらの道に行くか迷っているとの事で、私も学校見学に付き合うことになる。

そこが、私の通うこととなる府立の貿易の学校だった。

 

私の母は、MGの文献を本やネットで読み漁り、手術をずっと考えていた。

1年以内に手術をしたら、変わらない人もいるけれど、80数パーセントよくなるという結果があるという文献をずっと見ていた。

そこで、母は、MGの名医である、F先生の教えを継いでいるO先生に手術してもらいたい胸を、今通って入院をしていたA先生に言ったのである。

 

A先生のいる大学とO先生のいる大学は、系列が違う。

 

しかし、母は強く、A先生は賢かった。

 

A先生は、すんなり紹介状を書いてくれたのである。

A先生の大学病院でも手術可能なのを知りながら。

 

A先生の大学は、とてもいい大学病院だ。

そして、A先生も名医で、その上にいるT先生も名医だ。

ただ、MGとすれば、当時、F先生やO先生が第一人者とされてるくらい、有名だった。

 

私は、O先生のいる大学病院に紹介状を持参し、受診する事となった。

O先生は、やはりMG患者さんにとっては、神みたいな存在で、受診する時も、色々なMG患者さんに会うことが出来た。

 

・抗体が3ケタだけど、目が落ちてくる症状しかない

・MGの事をとても詳しいお二人(男の方と女の方)。

 - 大人の人で、一人暮らしをするのは、細かい問題が多数あるといった話。

  -  救急車で運ばれた話。

  -  免疫抑制剤(プログラフ)を使ってる話

  -  MG友の会の話

 

この時、私は、A先生のおかげで、ある程度回復し、話せる事に感謝した。

お姉さんの方は、やはり話をしていると、手が疲れてきたり、足を前に出せなくてという話をしたりしていた。

あと、何回も救急車のお世話になっている話を聞いていると、私は、母や叔母、祖母たちに助けられ、事なきを得た事に感謝した。

 

今まで、私は、病気に対して、不幸と思った事もないし、不満だったこともない。

母も毎日病院に来てくれ、幸せだった。

 

ただ、少し不便だったことはある。

 

言葉が話せない。

洗顔する時、目を閉じれないから、目が痛い。

おなかがすいているのに、ご飯が食べれない。

せっかく英検の筆記合格したのに、面接で話せなくて落ちた。

 

そのくらい、平和な子で、そこまでひどくなかったんだなと思った。

 

 

O先生の受診は、とても早かった。

母は、手術の相談しに行くと、すぐに手術は決定した。

有無を言わせず、手術を決定した感じだった。

もちろん、こちらの意見も聞いてくれたけど、先生の意見は『すべき』だったから、そう感じたのだ!

 

私は、その頃、JKだったので、傷も残るし、なんせ胸腺腫もなく手術の必要性について疑問を持っていた。

でも、先生は、その迷いを吹き飛ばすかのように、私に手術を選択させた。

 

ただ、手術の方法は、二種類あって、その頃主流だった胸骨を切って、胸腺とその周りの脂肪を取る手術。

あと、三箇所切って、カメラで切る手術。

 

O先生は、大学病院の趣旨を説明し、傷や退院後の回復スピードの話をしたあと、カメラの手術を押した。

 

しかし、母は聞いた。

 

『先生なら、自分の子供が手術するとなったら、どちらの手術を選びますか?』と。

 

母は、先生が答えたとおり、胸を開く、拡大胸腺摘出術を選んだ。

 

 

 

 

高校3年生の卒業目前の2月16日、私は手術をした。

 

ちなみに、O先生のいる病院は、関西でも有数の病院で、移植やらなんやらで、私の手術など、へのかっぱレベルである。

 

 

ただ、私は、ビビリだった。

 

 

手術直前、手術終わったおっちゃんやおばちゃんに、手術について聞いてまわった。

 

おっちゃんは、手術は、麻酔するから、寝てるだけで怖くないと言ってくれ、おばちゃんは、胸を切るんだったら、胸に鉄板がのってる感じだよと教えてくれた。

 

後から聞いた話だと、このおっちゃんは、心臓移植したおっちゃんだったらしい。

そして、このおばちゃんは、心臓が裏を向いてるおばちゃんだった。

 

手術当日は、筋肉注射が出来ないMG患者の私に、手術台について丁寧に説明してくれるN先生がいた。

 

手術が終わると同時くらいに、人口呼吸器をはずすようなおぇっとした感覚があった後、冷たい台に乗せ換えられ、ICUに来た。

その後、家族が心配する中、O先生に『お母さんの手を握ってあげなさい』と言われ、麻酔で力が入らない中、出来るだけ強く母の手を握った。

 

そして、一言。

 

『眠たいから、寝かせて』と、先生とみんなの前で、切れ気味で言ってしまった。

 

 

人生で一番恥ずかしい事だった。

 

 

 

その後、点滴でパルスをしてるか、高熱が続いたせいか、痰が絡まり、朦朧とする日が続いた。

ただ、O先生は名医だけあり、傷で胸に鉄板がのって、咳でぜんぜんでなかった痰も、簡単に出してしまった。

 

その痰が出たせいか、すぐに熱は引き、パルスも終わり、手術1週間程で私は、退院してしまった。

若い子は、すぐに退院させられるとは聞いていたが、1週間って。

 

退院するまでの、一週間。

あほな研修医が、ご丁寧に『まりちゃんの胸の骨、チェーンソーで切ったんやで』と教えてくれた。

 

ビビリな私は、手術前に聞かなくてほっと肩をなでおろした。

 

退院してすぐ、専門学校の入試があり、私は、マスクしての参加となった。

試験内容は、英語と論文。

英語は問題なく、論文は入院中に一冊本を買ってきてもらい、1週間程、勉強した。

 

結果は、合格。

 

その後、プレドニンを飲むことはなくなり、メスチノン半錠という優等生なMG患者となった。

 

半年、メスチノンを飲んでいたが、メスチノンなしでも大丈夫となった。

その後は、留学する為、先生に英語の診断書を書いてもらい、新しい人生を歩む気持ちで毎日を過ごした。

 

うがいが出来る。

カラオケも行ける。

お茶が飲める。

ビックリしたことに、20歳を超えたら、お酒も飲んだ。

 

留学して、初めての外国人の彼氏が出来、留学が終わってからも、日本と韓国を行ったりきたりし、とても充実していた。

 

その後、運命の出会いがあり、今の旦那と知り合った。

 

その時も、MGに関しては忘れていたが、傷の事や、完治という言葉はなく、完解状態をいうのをいくどとなく伝えた。

あと、早発閉経で、生理が来ない話もしていた。

韓国の人は、くさいものにはふたをしろという人が多く、前の彼氏は、治療したら、私の生理は来ると思い込んでいたようだ。

元彼は、なんでも努力で成してきた人だった。だから、私もいろんな病院を回って努力をすれば、生理は来て、子供は出来ると思っていたのだろう。

 

私と結婚してくれた旦那は、私の今の状態をしり、旦那の家族に、私の状態を伝えてくれた。

今時点の私を、家族に紹介してくれた。

 

その後、義母との攻防や、不妊治療の不安定な私が出たり入ったりしていたが、なんとか結婚も10年目を過ぎ、ここまできてのMGさんの冬眠が終わった。

 

しかも、特別養子縁組を考えている(審査されてる)最中。

 

そして、A先生が退職した今、S先生が主治医となり、N先生と同じような事をもじもじしている。

 

私は、Yくん(養子縁組を考えている子)が来る前に、さっさとMGさんには、冬眠状態にしたかった。

これは、私にとっての都合のいい話かもしれないけれど。

 

実際、プレドニンで劇的によくなった事もあり、プレドニンの効果はわかっている。

ただ、昔ほど悪くなく、症状もより微妙な感じで、プレドニンを使っていいのか、経験のない医者は判断できなかったみたいである。

 

私は、現在の主治医のS先生の先輩である、命の恩人の美人な女医のA先生を再び尋ねた。

A先生は、自分のお父さんの病院を、旦那さんと継いでいた。

 

MGの患者さんが来ることは、0%と言っていうほどなかったが、A先生は私と母を歓迎してくれた。

母にも、S先生の事は言っていたので、A先生に会えるという事で、この日は、親子二人で、A先生に会いに来たのだ。

 

私は、不妊治療を始めるとき、I病院(不妊治療の専門病院)に、MGの診断書を持ってくるように言われ、A先生に会いに行った。

その日が、A先生の大学病院退職の日だった。

それまで、MGさんが冬眠した日から、私の出来事を話し、不妊治療の話をした。

 

A先生にとったら、大勢いるうちの患者だった私だったけど、不妊治療の話をした事は覚えていてくれていた。

A先生も、子供がいなかったのだ。

 

A先生は、私を数年ぶりに診察し、MGの症状が出ていると診断した。

 

その後、S先生との話や、私が、不安になり、とても感情的になっている事。

家族にも、その歯止めがきかなくなっている話をした。

 

そしたら、先生と合わないのも、転院する理由になることや、他にもMG患者にとっていい病院はたくさんあると教えてくれた。

私のMGさんが十数年冬眠している間、医学は確実に進歩していたのだ。

 

O先生の受診する待ち時間で、お兄さんが話していたプログラフ等の免疫抑制剤の使用が一般的になったり、SNSで同じMG患者さんから、QMGスコアが出来た事をしって、10数年MGと関わりがなかった私にはビックリする事ばかりだった。

 

S先生も今月で辞めるらしいが、ネオーラルという免疫抑制剤が、少しずつ効きはじめた。

 

まだ、ガラガラうがいするまでには至っていないにしろ、普通にしゃべれて、普通に食べれる。

不安定な心の不安が消え、笑顔が増えた。

 

Yくんを思って、MGの治療をなんとか早くと思っていた私だったけど、私を昔と同じように心配する母と父。あの頃、やんちゃをしていた弟までが、私を心配してくれていた。

 

MGの頃の私を知らない旦那は、S先生に泣かされた私を見て、一緒に怒ってくれ、一緒に診察にもついてきてくれる。

 

MGという病気で不幸になった事は一度もない。

不便なだけ。

 

他の人のブログを拝見すると私は、ただただラッキーな人かもしれない。

クリーゼを二回起こし、話せず、飲み込めず、位で。

 

腕が上がらなかったり、歩けなかったりの症状は出たことはない。

 

そんな私でも、神様を恨んだ事もあった。

なんで私だけと思った事があった。

 

でも、それは不妊だった時と、普通の事が出来なかった時だ。

あと、人をうらやましく思った時。

 

不妊は、私だけの問題ではなかったけど、大好きな旦那と私の赤ちゃんが抱けないと知った日、決断した日は、辛かった。

 

でも、旦那は言った。

 

原因は、僕にもあって良かったって。

 

彼は、自分の事ばっかり考えているようで、ちゃんと私の事を考えてくれていたのである。

 

 

 

私の周りには、子供が出来なくて、離婚したカップルが数人いる。

 

一人は、旦那さんにその気がなかったYちゃん。

一人は、パートナーを換え、妊娠したSちゃん。

一人は、ただ出来ないからと何もせずに奥さんと別れた同じ年のK先生。

 

 

私は、多分、元彼と結婚したら、このカップルのようになっていたかもしれない。

 

 

今の旦那は、不妊治療の為、メスを二回も入れてくれた人だ。

旦那にとったら、この時は、子供より私の方が大切だったんだと思う。

 

まりちゃんがいうから、僕するよ!ってな感じで。

私は、旦那が痛い思いをするのが嫌で、不妊治療を諦めた。

 

もちろん、MGの事もあり、出産に不安を持っていたのもある。

 

MGだから、子供を産めないわけではないし、子供を産んでる人もいるっていうのも知っている。

 

ただ、不妊治療を諦めましたという本に、原因不明で、不妊治療をしていた人の話があった。

 

その女の人は、

 

・便秘

・コレステロールが高い

 

って体質で、私と少しかぶるところがあった。

 

不妊治療でがんばってる友達やブログに遊びに行かせてもらってる人。

 

ちっぽけな私の病歴かもしれないけど、誰かの役に立ててくれたらなって思う。

 

役に立たなくてもいいから、少し不安だったり、同じ気持ちになった時、寄り添えたらって思う。

 

 

 

久々、本気な文章を書いてしまって、すっきりしました。

私より不便そうな人でも、前向いて行ってるから、私も昔を振り返って、前を向きたかったのかな。とってもスッキリ。

 

まぁ、備忘録的なものという事で。

 

チャンチャン。

 

 

日韓夫婦。

難病持ち。

不妊治療。

男性不妊。

女性不妊。

MG患者。

里親。

会社経営者。

 

本当、普通ってなんだろう。

色々あったし、これからもあるだろうけれど、これが私の普通なんだと思う。

ははは。

最後まで、読んでくださり、ありがとうございます。

 

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