『ちびまる』
私がまだ、小学生だった頃の話。
小学校4年になり選んだ部活は、『マーチングバンド部』。
なるべく目立ちたかったので、楽器はトランペットを希望しました。
私が通っていた小学校は、田んぼの真ん中にポツンと建っていて、運動会なんかやると隣町まで、声が響いてしまうくらい広い空の下にありました。
偶然にも、私の小学校では『マーチングバンド部』が学校あげて積極的な部活で。
市はおろか、県、東北地域でも上位に入るような学校で、入部して、トランペットを持った私は、輝く未来に胸躍らせまくっていました。
そもそもマーチングバンドというものは、曲の雰囲気やテンポに合わせて、作ったフォーメーション通り、焦点を合わせ動きながら、数十人で演奏するもので。体育館の上からみると、みんなが一直線になって静止したり、そこから曲線を描いていく動きが綺麗だったりと、一人では成しえないもので、だからこそ見ていての楽しさがありました。
そんな私の学校では、土日なんか関係なく平日も九時すぎまで毎日毎日、練習に明け暮れました。
めざせ全国大会を掲げたその年の始まりに、隣の県から、マーチングの講師を呼んで練習する事に。
みんながソワソワし始めたのは、ちょうど桜が咲きはじめる頃でした。
『すごい先生が来るらしいよ』
『すごい恐い先生が来るらしいよ』
『すごい色黒らしいよ。顔も濃いらしい』
とか学校中のうわさになり、とうとう来航したある日の土曜日。
カチンコチンに緊張しきった私達の前に現れた、その先生の名は『とぐさ』
無愛想で、無表情。
その日はもちろんの事、以後この先生が、怒ってない日は見た事がないくらい鬼のような先生でした。
私の担当のトランペットには3つのパートがあり、トランペット2だった私は、一つ年上のリーダーと、同い年のモデルさんみたいにスラっとした女の人と男の子の4人がいました。
だいたいパートごとに固まって動くフォーメーションが多いんですが、その年のフォーメーションは、よりにもよって私の両隣の身長が二人とも165センチ。
小学校内でも1位か2位を争う程の長身コンビで。
並んでみると、あからさまに私は小さい訳で。その二人に挟まれている私は、今思い出しても、まるでコントのよう 笑
そんなある日の土曜日、いつものように一曲終わるまでに何回もの罵声が飛んでいるなか
『こら!!!!そこのちっちゃいの!!!』
みんなが萎縮するのに混じって、私もキョロキョロしていると
『お前だ!お前!眼鏡かけたちっちゃいの!動きが遅い!!』
なんとなく自分かもしれないと思いつつも、相当焦っていた私は、またもキョロキョロしていると
『お前だって言ってんだろ!!!眼鏡!!ちびまるこ!!!』
半分ニヤリとしながら、その言葉を発した『とぐさ』
体育館中が笑い声に包まれる中、私は心の中で発狂しました。
『ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーー』
と。
その日以降、何かといえば私は『ちびまる』か『めがね』と呼ばれる羽目に。
そしてその日以降、『とぐさ』を嫌いになりました。
大嫌いな先生になりました。笑
その後も鬼練の日々は続き、何度も怒られ怒鳴られた。
結果的に、全国大会まで勝ち進み、部活をやめる小6の冬に、とぐさに褒められた時、私は『ありがとうございました』といえずに小学校を卒業した。
今でこそ、『とぐさ』に対して感謝の気持ちは生まれてくるものの、当時は内心、『とぐさ』に対しての感謝の気持ちなど生まれてもなかった。
今日まで、特に想い出したこともなかった出来事。
昨日の夜、夢の中に出てきた、『とぐさ』が、また『ちびまる!!!』と怒鳴った表情と声で目が覚めた今日は、妙にマーチングの事が頭から離れないでいる。。
夢が思い出させてくれたのは、何なんだろう?って考えてる。
何か感じてるのは確かなんだけど
うまくまとめられない。
ただ、あの頃の自分は、馬鹿みたいに自信ばかりがあって不安など感じたことがなかった気がする。
やれるだけの事はやって終えたから、マーチングの思い出は今思い出しても、強くてカラフルだ。
これから今日は、曲作りのためスタジオへ入る。
今日の夜は、中途半端になったままの曲たちをちゃんとまとめたいと思う。
その後、ちびまるへ手紙でも書こうかな。なんて思ってる 笑