7年間、飼っていたオスのセキセイインコが死んでしまいました。

 幼少の頃より、犬や猫を飼ってきましたが、鳥を飼ったのは初めてでした。

 

 いつもながら自分の世話は足りていなかったんだろうなと、また私ったら何度も同じ失敗を繰り返し、なんてバカなんだろうと思っています。

 

 そして、たいへん大きな悲しみの波が寄せては返し寄せては返し。とても小さな鳥ですが、その存在感は非常に大きく、カラの鳥小屋を眺めては、涙が出たり、ため息をついたり。

 

 主人のいないカラの鳥小屋を解体しないのも、あのまま扉を開けておけば、魂が戻ってくるんではないかと、バカな思いに駆られます。愛鳥の成仏を願う一方で、まだそばにいてほしいと思ってしまう自分勝手な私がいるんです。

 

 そして、悲しみの中で今思うことは、朝起きると、鳥の鳴き声が聞こえていた7年間はなんて幸せな日々だったのだろうと。失って初めてわかるというけど、この言葉はそのものずばりを言い当てています。

 

 愛鳥は簡単な言葉を覚えていて、自分の名前や、「おはよう」「日向ぼっこ」「ゾーさん」「また明日」など言えるようになっていました。

 もう死んでしまっているのに、その言葉を心の中で唱えて愛鳥に話しかけては、「あぁ、もういないんだ」と悲しんだり。

 

 もっと若い頃に遊んであげればよかった、病気にもっと早く気がついてあげればよかった、もっと日光浴をさせてあげればよかったと・・・キリがないほどの後悔の念が襲ってきます。

 

 現在、「ごめんね」と「ありがとう」を心の中で交互に繰り返しています。もう少し時が経ったら、完璧ではなかったけど、あの時分の私の中でやれることはやったんだからという気持ちになるんだろうなとは思いますが、今はどっぷりと悲しみと後悔に浸っているところです。

 

                        続く