ありがとうを たくさんお返ししてるの。 | 國府田マリ子official blog 「天晴!日替わり定食」 Powered by Ameba

ありがとうを たくさんお返ししてるの。

夏の思い出と言えば。


私が、子供の頃は

大きなお祭りじゃなくて

地区の

盆踊りだったな


子供たちのために

いろんな企画してくれてたなぁ

ありがたいなぁ。

夏のラジオ体操もハンコもらうの並んだなぁ

首から

紙のカードかけて

毎日1個ハンコもらうの


全部埋まると

ジャポニカ学習帳とか

( ´ ▽ ` )

うふふ


空き地に小さなヤグラを組んで

地区のみんなの盆踊り。


炭坑節や

東京音頭

永遠とくるくる

数曲をリピートして

踊ってた

わからないから

この人の踊り素敵

と、子供心に思った人の後ろにくっついて

同じことするの笑。

夏の終わり秋の始まり。


めちゃくちゃ楽しかった



隣の杉戸町には

大きなお祭りがあって

両親はよく

子供3人を連れて行ってくれた

私はそれがとても好きだった


杉戸のお祭りは

何故かいつも

空にわかにかき曇り

雷鳴轟き

鋭い稲光りとともに

シャワーみたいに

汗だくの私たちを

これでもかと

びしょ濡れにする

夕立にあっていた。笑!



そこまでがひとくくり。 

そんなイメージが

強烈に残ってる夏の思い出。

夏のお祭り。



ある年の杉戸お祭りで

屋台に残っていた

ひよこ7羽を

弟がもらってきた

(売れ残ったひよこ、

弟が

必死で守ろうとして

お店のおじさんに

きっと食い下がったに違いない。


その子たちは、どうなるのかと。


昔からそういう奴なのだ

(>_<)

うちの弟。



お店のおじさんが

きっと、根負けして

弟に持たせたのかな。

(その場にいなかったので

詳しくは知らないんだー。)


姉、私、弟

3人で

どうやって親に見つからずに←コラ

ひよこを育てよう



父は、命に関しての教育には

1歩も譲らない人だった

2人は多分、私たちが

こそこそと

その子たちを守ろうとしているのを

見守ってくれていたのだろう



私たちは

どこからか持ってきた

段ボールに

タオルを敷いて

押し入れの奥に、

そっと

その子たちをかくまった

夜中に聞こえてくる

押し入れの奥のピヨピヨ

小さな鳴き声に

心踊らせた。



あんまり鳴くので

寂しいのかなあ

眠れないのかなあ

何をあげていいのかわからないから

とりあえず、お水。

朝になったら考えよう。

朝になったらご飯をあげよう。

何を食べるかわからないけど





朝になったら。





眠れるように寂しくないように

ひよことおんなじ位の大きさの?

小さな目覚まし時計を置いて。


秒針の時を刻む音が

お母さんの心臓の音に聞こえて

赤ちゃんが

落ち着くって聞いたから。




次の日の朝








6羽は、もう鳴かなかった。





あの時の

自分の無力さと申し訳なさと

やり場のない気持ちを

昨日のことのように思い出す



たくましく

生き残った1羽は


私たち3人に

それはそれは可愛がられながら

一緒にテレビを見たり

畳の上を走り回ったり


お膝の上に乗ってきては

くったりと寝ている。

頭の上で寝てる。

実はこれはちょっと痛い



お膝で眠る

その姿は

愛しくてたまらない存在だった


彼なりに

すくすくと育って


こけこっ、っ、っ?こーっ



って


中途半端な

おはようの鳴き声を

響かせる位大きくなった



鶏ってめちゃくちゃなつくのよ

わんこもびっくりなの

私もすごいびっくりした 


デレだけ!

ツン要素皆無。



柔らかい温かい小さなその鶏冠。

そっと、そっと

うりうりすると


はぁぁあ-ドキドキ

うっとりして

まぶたを閉じるの


鶏のまぶたは

下から上に閉じるの

面白かった


可愛くって

頬ずりしまくって。

じーっと見ると

すごく瞳が透き通ってて、


ほんとに形があるのか?


と、思った。

いつもめちゃ近距離でガン見してた。

(^◇^;)


ちっちゃなちっちゃな

くちばしをそっと

触ると

よくわからないけど

甘えてるのか

不思議な声を出してた


自分の膝の上で

安心しきって


ビヨンビヨン、

私に首を遊ばれても←ヒドイ



くったりと

身をまかせて

寝てる姿は

その信頼に応えたい

と言う思いと

絶対守ってあげたい

と言う思いが

子供ながらに

わんさか湧いてた。





ある日

町内会のキャンプみたいなのがあって

秩父に1泊したの

引率の大人と、子供たち。



わたしは

トッツィー(名前)が恋しくて

とてもひどいホームシックになった

多分、一晩すんすん泣いてた

飯盒炊飯で

カレー食べたことしか覚えてない

アルミの食器を洗いながら

早く帰りたいと思ってた


次の日!

みんなとバイバイして

全力疾走

急いでおうちに帰って

玄関のドアを勢いよく開けて

ただいまもそこそこに

駆け込んで

靴を脱ぐのももどかしく

彼の名を呼んだ




嬉しそうに

飛べないのに、飛びそうに

飛び跳ねて走ってくる

トッツィーをそっと抱きしめる



いつもなら。





私が帰ってきた気配に急いで手を拭きながら

台所から母が出てきた


何か口籠りながら


あのね、まりちゃん、

あのね、、


、、、、



私に何かを伝えようと

いや伝えたくない

でも言わなきゃ

けどなんて、、、?

葛藤するあの時初めて見た母の表情を

40年以上経ったのに

まだ言葉で表すことができない。

あんな表情をしていたのは

あの時の1度きりだ



私がキャンプに行っている間に

鶏小屋をにゃんこたちに壊されてたって。

  


にゃんこたちには

鶏さんは

狩りの対象だったから。


 

彼は庭の片隅に

私の目に触れることなく

既に埋葬されていた。



ひどく飛び散っていたであろう白い羽根も

きれいに

何事もなかったようないつもの庭だった

ぼんやりと掃き出し窓に座り

彼が埋葬されたその場所を

ぼんやり眺めていた

考えた責めた

悲しくて寂しくて

どうしていいのかわからなった。



何が悪かったのか?

誰が悪かったのか?

何を間違えたのか?

どうすればよかったのか?



猫も悪くない

友人も悪くない

私がいない間

彼のお世話をしてくれていた

両親も悪くない


その猫は、友人が外飼いしている猫たちだった




それから、しばらく

家族みんな

卵さえ

口にするのをちょっとためらうくらいになった

痛い位静かな食卓。



いま思えば

その時初めて私たち子供は

父から

いまなら『食育』と言われる

それを受けた。



ちょうど小学校の道徳で

可愛がっていた食用動物が

食卓に並んだ

その子の物語を

教科書で読んだばかりだった。


国語もそうだけど

大造じいさんとがん

とか

ごんぎつね

とか


なんであんなに

心の逃げ場所がなくなるような

悲しい話を

子供の頃から学ぶんだろう

( ;  ; )。

思い出すといまだに泣きそうだよ





父の食育に

まだ子供だったけど

生きると言うのは

他の命をいただいて

紡いでいくのだと

思い知った


まぁ

心の中で整理することなんて

噛み砕くことなんて

到底できなかったけど。

心はそんなに

理路整然とはいかないんだ


そんな

小学校低学年の夏の思い出。



かわいかったな

トッツィー


いつかまた

首をくたくたして

鶏冠をうりうりして

くちばしなでてあげたい


頭よかったのに

おトイレだけは

いつも失敗しちゃう


そんなかわいい

コケコッコーって最後まで

まだ鳴けなかった、


最高に可愛い家族\(//∇//)\

可愛かったな



ありがと、トッツィー。


それから、ごめん

守ってあげられなくて。

怖かったね痛かったねごめんね 

ごめんなさい。




あの頃は

好きとか

愛してるとか

言葉で伝えられなかったけど

体温で伝わったらいいな

もし次会えたら

ありがとう

愛してるよ

って言ってあげたいなー!!

たくさんたくさん言ってあげたいなぁ!!

(*´∇`*)





だから、時々

『世界まる見えテレビ特捜部』


まる見え名物!

倒れる鶏!



を見ると

愛しくて可笑しくて

たまらないんだ



そんなことを思いながら

ナレーションを入れています





ほんとに、動物園みたいに

たくさんの

命たちに

きっと愛してもらって

守ってもらって

私たち3人

育ってきたんだなぁって

つくづく思う。


両親に感謝する。



だからね

今ね


ありがとうを

たくさんお返ししてるの。



ゆいとちー。




 かわいいジャージちゃん





最後まで読んでくれてありがとう