我慢強いことで、海外にまで名を轟かせた父。
1960年代、出張先のアフリカで、紅茶に入れたミルクに当たり、死んでもおかしくない食中毒、
10年後、出張先のブラジルのホテルで、荷作り中にベッドの金枠か何かで脛を削って化膿して命の危険、
1970年代、極めつけの、全身の血液の半分を失った後の胃の三分の二と十二指腸摘出手術。
そのいずれでも、本人は最後の最後まで何も痛みを訴えず、医者にも行かず、
ぎりぎりの「あなた死にますよ」と言われるレベルまで、我慢して苦痛を訴えなかったのです。
そんな父を尊敬してきた私。我慢強いことをかっこいいと思った私。
二回の出産で、陣痛の間、一声も上げず、赤ちゃんの頭が見えてしまうまで、誰も気づかれなかった逸話あり。
そんな私が人前で、大声上げて泣きました。
今日。
ヒーリングを受けたんです。
数年前にマッサージ中にいためた右肩。
その痛みは程度を変えつつ、常にそこにあった。
マッサージや整骨にかかってきたけれど、完治せず。
そしてこの1ヶ月ほどは、キーボードタイピングでも
瓶の蓋を開けるのでも、髪を洗うのでも、痛みが走って、
たまらずううっと言ってしまう状態でした。
生活上の不便がどんどん増してきて、野菜もまともに切れず、
普段いそいそやる皿洗いも料理も苦痛でしかない・・・
思い切って、Chris-Tian RAのヒーリングを受けました。
始まってすぐに、それまでそんなに痛くなかった腕と肩が
ずきずきと痛み始めました。
その痛みがどんどん増して、声をあげないでいるのに努力が必要に。
これまでのヒーリングでは、だいたい途中はいい気持ち~♪♪と
夢見心地だったのですが、今日は違った!
「次のセンテンスを言ってみて」と言われて
I let go of trying to control life.
(人生をコントロールしようとするのはやめる)
と言っているうちに、痛みは最高潮に・・・
なんだか腕と肩の中に何かが入ってきて
ぐいんぐいんとかき混ぜられているような感じ。
そして
とうとう我慢できずに、声をあげて泣いてしまいました
「うんうん、それでいい」と頷き、働きかけながら、なおも
「じゃあ、もう一つ。I let go of feeling responsible.」
(責任を感じるのはやめる)と言ってみて。」
という言葉を受けて、瞬間的にもっと泣きました。
2分ほど、わんわん泣いて、鼻ぐじゅぐじゅで、
もはや、口でしか息できない~
というところで急にクリスティアン・ラーが笑い出し、
それと同時に、私もなんだかケタケタ笑いたくなってしまって、
しばらく笑いました。
すると、あんなに痛かった肩も腕も
あたたかな感じになっており、痛みが消えていました
泣き笑いしながら、気づきました。
小さい頃から、おねえちゃんとして(弟と小さい従姉妹のお世話してました)、
年長ならがんばるものだと思いこみ、体のあれこれも、
同時に心の痛みもずっと我慢してしまいこんできて、
その上に、我慢強い父のようになりたいと頑張りまくった私・・・
そんな私も還暦をとうに過ぎ、
コロナ時代に両親を相次いで失っても渡航制限で葬儀も出られず、
そして最近は、各方面からSOSが舞い込み、
(クライアントさんたちのみならず親族たちの体調不良も相次ぎ、
そのうえ、スペシャルニーズの人たちのケアもあり、)
私が気づかないうちに、私の体も心も相当な「我慢」をしていたようでした。
我慢に慣れすぎ・・・
みなさんには、ご自身の心の声に忠実に、とお話ししているのに、です・・・
今日の気づきは大きかった~!
人がいる空間で (いや、一人の空間でさえ)
こんなにわんわんえんえんおいおい泣いたことはそうそうないですが、
そのあと、気持ちがとっても軽く明るくなりました。
まだ数時間しか経っていませんが、今のところ腕肩の痛みもほとんどない!
(だからこそ、こんなにたくさんタイピングしていられる)
あ、そうそう。心理面だけでなく身体面のこと。
クリスティアンの見たところ、
右上腕の筋肉に炎症が起きているので、
その対処もするように、ということでした。
今日から、カンファーオイル(希釈して)を塗ったり、