他人にはわからない神経 | 是日々神経衰弱なり
私は屈託なく時を過ごすということが出来ない。いつでも緊張しているし、絶えず気兼ねをしている。それで疲れてしまうし、すぐに肩が凝ってしまう。
 
昼食時のレストランで、客がたてこんでくると、腰が浮いてしまう。こういうときに、悠々と食後のコーヒーを飲んでいる人を見ると、つくづく羨ましいと思う。彼は悪い人なのではなく、気がつかないだけなのである。一度ぐらい、そうやってみたいと思うけれど、やれるものではないということがわかってきた。デパートの食堂で、隣の客に赤ん坊がいると、あやさずにはいられない。こういうことは優しさとは無関係である。女房が私を嫌うのは、この点である。外へ出て、楽しい思いをしたことがないと言う。

行きつけの寿司屋で、若主人のスポーツ・シャツが汚れているのを見ると、自分のシャツを脱いでしまう。その細君に余所行きのドレスを買うことを考える。自分の財布の中身を頭のなかで計算し、店をどこにするかを考え、それを女房にどう言いだすかということを考える。

それで対人関係がうまくゆくかというと、決してそうはならない。先方は誤解するのである。ある人はそれをうるさいと思い、ある人は過剰に愛されていると思い、甘えたり、狎れ狎れしくなってきたりする。そんなことで喧嘩わかれになった知人が何人もいる。


                       山口 瞳 著「血族」より抜粋