伊藤万理華応援してるはずの墓地ブログ

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なぜ、悩んだり考えたりするのは脳なのに胸が苦しくなるのだろうね?、
そんな事って誰も知る由も無いけど、それでも知りたいなって思うよね?。

好きなのに一緒にいるのに嫌いじゃないのに、、でも先が見えないってなって溜息をつくのはなんでだろう。
わからない。。でも、それは現実に満足しているからだよとある人は言った。

私は天使で悪魔だ。
良くも悪くも優しいと耳にタコが出来るくらい言われてきた。人が言い放つ優しいの定義はなんだ?と疑問に思う。
そうなのであれば悪い優しさと良い優しさとは何か。
それは自己犠牲の優しさであっても苦しむ優しさの選択か、心のそこから自己犠牲でも立ち向かえる向かっていける優しさなのかなと思う。
天使であり悪魔だと言った。
私は天使であるとは思わない。しかし、悪魔だと言い放つのは自分が心苦しいので両方を持つ物として考える。
だとしてもだ、私の中の悪魔である側を見ている人間はそれが天使に見えたとしても私の心だ。
私は悪魔の導きをしていたのかもしれない。私は次の手がわかっていたのかもしれない。縛っているのかもしれない。いや、縛っているのだ。
だから、私は相手からは天使に見えるが心の中では悪魔な自分を逆転しようと思っている。
それは相手側からしたら悪魔に見えるだろう。それでも私は最大限の天使でいたいと思えば思うほど悪魔な見え方をされてしまうのだと思う。
私は、悪魔な面と戦うのか、天使としているべきなのか。はたまた天使と悪魔を結びつけるのか。私に答えが今出せないし、それは答えられない物なのかもしれない。

それでも、私の脳がポイズンベリーしている間に、自分への猶予とわがままを通したいと思っている。
それがカウントダウンだと思っている。
私は一つずつ階段を登って行くだろう。
そして、たどり着く先は、、あなたが悪魔に見える私だろう。
少しずつ、私はこの猶予を噛みしめたいと思っている。
勝てない、負けてしまいそうな戦いに挑む事が無意味だと言われたらそれまでだ。

しかし、私は私の意思で動く事も忘れない事。私にも魂はあるのだなと、感じさせてくれ

ではまたした!