今、私たちの間で流行っている言葉。

「セレンディピティー」というのは、
「あることを研究していたら、
 もともと向かっていた目的とは別の
 重大な発見を偶然してしまう。」

というような意味だそう。

いいでしょう。
この言葉。

日本語の説明→⭐︎

この間、パリでセレンディピティーについての芸術専門家、
哲学者などが集まって討論会のようなものが行われて、
仕事でmは参加していて。

(そんなことを真面目に討論しあう場があるなんて、素敵っ!)

セレンディピティー(仏語は、セレンディピテ)っていう言葉知っている?ということになり。
知らない。なに、その言葉。日本語もセレンディピティーとカタカナらしい。

と、盛り上がり、例えばどんなスチュエーションかなあ。
「散歩していて偶然、何かいいことに出会うのは?」
いや、もっとこう、物理学者や数学者がある研究をしていて、
偶然別の数式を発見ってしまうとか。そういうことなんじゃない?

「アガサクリスティーの小説のように犯人を見つけていくのは?」
それは、穴埋め的に、理論的な推理をしていて、
抜けているところを探していくわけだから偶発性がないんじゃない?

「ペニシリンは、ブドウ球菌の研究をしていて、
 偶然生えているカビの作用で、細菌を溶かしたのを
 見つけたことから発見されたらしいから。(あってる?)
 あれこそ、セレンディピティー?」

とか。
いろいろ話して面白かったです。

芸術家や作家は、毎日ひたすら奇跡的な偶然や気づきを
探し続けているようなものだから。
日常にセレンディピティーがあるのは
当たり前と思っているけれど。

もう少しこの言葉とスチュエーションについて、考えてみよう。

パスツールの言葉にこんなのがあるそうです。
「研究観察の分野では、「偶然」は準備されている人(エスプリ)にしか起こらない」
(Dans les champs de l'observation le hasard ne favorise que les esprits préparés.)

毎日観察し続けていないと
偶然に気づきもしないものね。







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