2024/11/24


我が家の3階に上る階段のところに小さな小窓があります。

隣がコインパーキングだということもあり、うちは四差路の角地になっていて、この小窓から子どもたちが小さい頃「行ってらっしゃいパー」をしたり、帰ってくる時間には「おかえり」をしたりしました。





うちは小学校が歩いて1分くらいなこともあり、子どもたちの帰り道、ちょうどうちの前の交差点で友達バイバイをして、今から遊ぼう〜とか、また後でね〜とか会話して別れる場所でもありました。


我が家の長男は、小学校のときお友達を作るのが少し苦手で、でも頑固なところもあり友達に揶揄われたり仲間外れにされる事があった時期がありました。


私はいつもいつも心配で、帰ってくる時間になるとその小窓から長男が帰ってくるのを待っていました。仲良く友達と帰ってくるときは安堵し、1人で寂しそうに帰ってきた時は胸が潰されたそうな思いをしました。

時には、お友達にお前はきちゃダメとか言われてるのを見た時は、走り寄ってその子たちに一緒に仲良く遊んであげてって頼んであげたくて、もどかしい気持ちになったときも多々ありました。


子どもが生まれてお母さんになって、小さい頃はほとんどのことはお母さんの私が解決して、慰めてあげられたのに、大きくなればなるほど、本人がそれを乗り越えるのを見届けるしか出来ないことに気づきました。


子供の前にある石ころはどんな小さなものでも、取り払ってあげたい。子どもが悲しくて泣いてる時は、涙を拭ってあげて一緒に解決策を考えてあげたい。


それが世の中のお母さんの気持ちだと思ってちます。(時には口も聞きたくないときもあるし、出ていけばいいのにと思うけれど)





先日のCTの結果、肺に転移していることがわかりました。




いつも悪い結果が、伝えられる瞬間、子どもの悲しむ顔が浮かぶと涙がでてきてしまいます。



子どもが悲しむことを全部排除してあげたいって親バカなことを思っている私が、一番子どもの心にトラウマを作ってしまうかもしれないと思うと、それが一番辛いです。


だからまだまだ諦めない。

諦めきれないです。