2024/10/30
表題の通り、先日盛岡に住む次男の16歳の誕生日でした。
去年15歳の誕生日の時は、来年の誕生日もお祝いできるかななんて、心のどこかで思っていましたが、弾丸で東京から盛岡へ行き、2人でご飯を食べて、一緒にホテルに泊まることもできました。
病気しているからだけでなく、人間明日、来月、来年も元気に生きてる保証なんてどこにもありません。
だからこそ、毎日が本当は奇跡だしスペシャルなんです。
話戻って、16歳のスポーツ男子、焼肉!!と言うのかと思いきや、寮生活ではなかなか食べれないお鮨が食べたいと言うリクエスト!
駅ビルにある美味しいお鮨屋さんで無心になって食べていました。
そんな姿をとても愛おしく見てる自分を、当たり前だけど、私も一丁前にお母さんやってるんななんて思ったのでした。
寮の友達は、「誕生日にわざわざ東京から来るなんて過保護だな」なんてからかわれたみたいだけど、
そこはやっぱり病気だからこそ誕生日がより特別な日だから、過保護でいいの
ホテルも泊まるはずじゃなかったけれど、まさかのツインの部屋を割り当てられたので泊まれるよ!となり、朝6時に帰るけど泊まるとなりました。
これも神様の粋な計らいだと思ってしまいました
なんとなく将来の話をしていた息子との会話、、
私「もし神様がきてなんでも一個だけ夢が叶うとしたら何お願いする?サッカー選手になりたい?」
(少しだけ間をおいて)
次男「ママの病気が治ることかな」
不意打ちに来た言葉に心臓がグッと掴まれるような気持ちとともに一気に涙がでてきました。
悟られるのが嫌だったから
「そんな50近くまで好き勝手生きてきたママの命よりレオの夢を考えてよ。
せっかくドラゴンボール集めたのに、パンティが欲しいって言うくらい無駄だよ」とわけのわからない返しをする自分。
でも本当にほんとに嬉しかったよ。
でもそれと同時に、私が何かあったら、、と思う責任感と恐怖がうまれたよ。
今まで、ささやかなことだけど子どもの願いはなるべく叶えてきたつもり。
沖縄に行きたいとか、プロのサッカーの試合がみたいとか、◯が食べてみたいとかだけど、、
でも彼が一番望んでる
「ママ病気治ったよ」を言ってあげられないのが何よりも辛い。
まだまだ彼らには私が必要。そう心から感じた1日でした。
神様どうか来年も再来年も、彼らのお誕生日をお祝いさせてください。
私の身長をとっくに抜いた2人だけど、来年も再来年も頭を撫でて生まれてきてくれてありがとうと
言ってあげたいです。
いや、言うぞ!!
お誕生日おめでとうれお。
誰よりも優しくて、少し天然で、どんな時も私の味方でくれるレオがだいすきだよ。
あと2年、楽しくもあり辛くもある、サッカー生活頑張れ!