2024/4/16
今日は私の母について。
と言っても1歳ごろに離婚して父方に引き取られた私に記憶はほぼないので、私の中の母について書こうと思います。
子どもの頃とか、今もたまに本当のお母さんに会いたくないの?と聞かれることがあります。
途中まで(例えば5歳とかそれ以上の年齢)まだ一緒に生活をしていて、愛された記憶があれば会いたいと思うのかもしれないけど、私の物心が着く以前からいないと私の人生に母親枠がそもそも存在しないので、寂しいとか会いたいとか母に思いを馳せるということがなかったのです。
しかし子どもの頃は、以前のブログにも書いたけど、母の日にお母さんの似顔絵を描かなきゃいけないとか親子参加のイベントがあると、それがとても嫌でした。
惨めな気持ちになるとかではなく、みんなが自分のことを可哀想と思ってる気がしたからです。
だから私は今も可哀想という言葉が嫌いです。
もちろん使うこともあるけど、口にした時にいつも頭の中で引っかかります。
でも今考えると、私は明らかに可哀想な子だった。父親も一緒にすんでなかったし、普通の人からみたら両親のいない子どもなんだからそりゃ可哀想なのである。
でも、可哀想って言葉って自分をとても弱くするよね。私はやっぱり意地っ張りだからもうそれでいいと思っています。
子どもを産んでお母さんになった時、母の日やカーネーションが一瞬で好きになりました
私が人生でママと誰かを呼んだ記憶がないから、子どもが初めてママと私を呼んだ時の複雑な気持ちはうまく表現することができないけど一生忘れないと思います。
話があちこちだけど、、
先日、痛みが強くて寝室に1人で寝ている時に、
生きてるのってこんなしんどいんだっけ?
私つい最近まで割と楽しく生きてたのに。
なんでこんな東京の片隅で半分棺桶に足突っ込んで状況になんでなってるわけ?
なんて事を鬱々と考えてしまったのだけど、
私を産んでくれたお母さんは一応自分の娘がこんなことになってるの知らないんだなぁってふと思ったのです。
いや待てよ、年齢的にお母さんだって生きてるかわからないよね??
もし病気なんかしてすでに亡くなっていたとしたら、今の私と同じことを思ったかもしれない。
子どもたち(兄と私)が知ることもなく、もうこの世を去ったかもしれないと思ったら、
私は冷たい人間なんだと心から思ったのでした。
私47年間生きてきて、お母さんがどんな風に思って生きているかちゃんと考えることさえもしなかった。
👆若い頃の母
一度だけでも会えたら、
私のこの人生を与えてくれたことだけでも
お礼を言いたいな。
これも病気が教えてくれたことの一つです。