2024/4/5


4/5は27年前旦那と付き合った日で、たぶん、、19年目の結婚記念日でした。

※もう数年前から記念日なんてお祝いしていなかったし、ブログ読んでいただいてる方はご存知のとおり完全に別居しております。


でも人生の大半の時間を過ごしていたので

、この先何年経ってもきっと今日結婚記念日だったなぁと思うんでしょうねぇ。


そんな事をふと考えていた今日、私はどんな男の人が好きでどんな男の人が嫌いなんだろうと考えていました。どんな人だったらこうならなくて、どんな人だったらうまくいったんだろうなんて事も考えてみましたてへぺろ


結果どんな人だったらこうならなかったのだろうの問いの答えはきっと出るのはもっと先なんだろうとおもいました。


少し話は逸れますが

私は父親が苦手で、親だから嫌いにはなれない事もありますが他人だったら絶対に近付かないと思います。でも私は父親を好きになりたかったし、愛されたかったという思いはずっと残っていて、ある意味ファザーコンプレックスとも言えるのかもしれません。


父は女性関係にだらしなくて、機嫌が悪いと(基本いつも機嫌が悪い笑い泣き)いつも怒鳴っていて、手もあげるし、怒るとちゃぶ台こそなかったけれどテーブルをひっくり返してグラスや食べ物が飛び散り泣きながらそれを片付けることも高校生の時に多々ありました。唯一の娘だから愛を感じる事もありましたが、父は絶対に自分より弱い女の人にしか手を上げなかったことにふと気づいた時になんてずるいんだと思い、高校を卒業してから少しづつ距離を取るようになりました。


父と暮らしたのは4年でしたが、いつもハラハラした生活で早く家を出たい、、早く大人になりたいと願っていました。 


つまり私の嫌いな男性は父のような人です。


旦那は別に父のように女癖が悪くて機嫌がいつも悪い人ではなかったです。


でも気づいたらいつかここから解放される日がくるかなと思っている自分に気づいたとき、私もうダメなんだなと思いました。


私は悪くなくて旦那が悪くてという話ではなく、

世の中の90%の人が私が悪いと言ったとしても人間関係にそんな事はどうでも良くて、片方が嫌いになってしまったらもう夫婦の関係は破綻してしまうんだと思います。うちの場合は互いにもう無理となったと思います。


父への想いと一緒で本当は好きでいたかったんだけど、私には彼がどんなことを言ったらもっと私を傷つけられるだろうと思っているようにさえ感じるようになっていました。



人は幸せでいなければ心がカサカサになって、自分の失敗や過去を振り返られないものです。


だから私も旦那もこれから幸せにならなければいけません。これから離れた別々の人生を明るいものにしてほしいと願っているし、自分もそうありたいと思っています。


なーんてことを考えた4/5でした。


先日私がお勧めしたスーパービーバー(カタカナ笑)の儚くないという曲にこんなフレーズがあります。



後悔が悪いわけじゃないんだ

その理由がいつもはじめてならいい


何度聞いても心にグッときます。


言葉は「あ」から「ん」まで最初にみんな同じように学ぶのだけど、そのブロックをつかって武器を作ってはいけなくて、この歌詞のように誰かを救う形にしてまた誰かにパスする事できたらそれが一番素晴らしいと思います。


私がブログを書いていている理由の一つは、それができたら嬉しいしそういう自分でありたいと思うからです。


今日は少しナーバスな気持ちの夜でした。


明日も頑張ろー!