2024/2/19
私は病気が発覚してから今日まで毎日子どもたちのことを考えています。
私が動けなくなってしまったら、、私がいなくなったら、、をどうしても考えてしまいます。
そして私はあの子たちに何を残してあげれるのかを考えています。
ジブリの映画の「千と千尋の神隠し」をみなさん覚えてますか?
主人公の千尋はあの世界で働く時に本当の名前を取られてしまうところからスタートします。
私はあの物語が大好きで、俗世に出ると人は生まれた時に与えてもらった名前(個性?)を捨てさせられていつの間にか思い出すことができなくなり、そこから抜け出せなくなってしまうという解釈をしています。
私が子どもたちに人生ではじめてあげたギフトは名前だと思っています。
名前の由来は割愛しますが、2人の子どもたちが豊かで幸せな人生を送れるようにと名付けました。
そして今私は病気になり、普通の人よりも少しだけ命の期限について考えなくてはならない状況にあります。
そうなった今、今まで子どもたちに誕生日やクリスマスなどなどいろんなプレゼントをあげてきたけど、私が人生最後にあの子たちに与えられるギフトはなんだろうと考えてきました。
私には大した蓄えもないし、有形の将来助けになるようなものは残せません。
ずーっとずーっと考えて
私が残したいと思ったのはやっぱり愛されていた記憶です。
愛は十分に伝わっていると思うけれど、
これから人生どうにもこうにもならないと思うことや、投げ出したくなる時、生きることがわからなくなったとき、愛されて育ったことを思い出して欲しい。
人間はどんな人間もそれぞれが唯一無二の存在であり、それそれが尊い存在であることを忘れないで欲しい。
千と千尋の神隠しでも、千尋とハクの愛で元に戻ることができたように、愛された記憶は必ず人生を支えてくれると信じています。
ギフトは何も有形のものでなくてもいい。
むしろ無形のものだからこそ、劣化することなく誰にも取られることなくずっと残せるものかもしれませんね。
書いててふと思ったけど、ミスチルのギフトという歌も似たような解釈なのかな。