2024/2/18


いつかブログでも書き残しておきたいと思っていたことの一つが東日本大震災のことです。


13年前の3月11日の14:46みなさんはなにをしていましたか?

私は上の子どもの公文の体験のため地域の公民館の前で子どもを待っていました。


人間は本当に衝撃的なものを見たり体験したりすると、何年経ってもその時自分が何していたのか

その衝撃とともにセットで記憶に残るそうです。

確かに911(アメリカ同時多発テロ)を知った瞬間のこともハッキリと記憶が残っています。


私の地元は福島県の南相馬市というところです。

相馬野馬追祭🐎くらいしか注目されることもない人口5万人ほどの田舎町です。

しかし311がきっかけとなり、南相馬というと今では被災地として有名になりました。

地震津波、そして原発事故の三重苦となった町だからです。


311の時、私は東京で住んでいたので、まぁ東京もだいぶ揺れましたがあのとんでもない揺れと津波の被害を受けてはいません。





でも私は、連日のテレビから見せつけられる、変わり果てた海沿いの景色、母校がご遺体安置所になったこと、そしてもう二度と帰ることができないかも不安。。そんな時にわかった祖母の肺がん余命半年(その通り半年で亡くなってしまった)が重なり、

ある日何をしても楽しくない美味しくない、そして誰かと話していても幽体離脱するように意識が遠のく症状がでて心療内科に通うことになりました。


あの時上の子が5歳下の子が3歳。

鬱になるわけにはいかないという気持ちと、風邪のようにそのうち治るさと楽観視できない恐怖でどうしていいかわからない一年を過ごした事を覚えています。


結果一年ほど心療内科でカウンセリングをうけつつ、家族や友人たちの支えがあり治す事ができました。


大切な人が支えてくれて、土台を作ってくれたから、少しづつ自分の中の触れたくないこわい部分に目を向けて受け止めることができたのです。


思い返すといつも私はみんなに支えられてきたのだと思います。


そして私があの時出した出口となったのは答えは

震災で亡くなった人が生きれなかった今日を私は生きている。

ただ悲しんで生きるのではなく、大切に毎日を生きよう

という事でした。


間違っているかもしれない。

でも正解もない。


ただ命ってこうして繋がっていくんじゃないかなって思っています。

今も311を迎える瞬間必ず強く生きる事を誓っています。

昨年の311だけは時間が止まったような中にいて、

勝手ながら思いを馳せる事ができませんでした。


でも今年は、病気がわかってからの311はまた少し変わった意味で、生きる事を諦めないと心に強く誓おうと思います。


生きようとする事に本当は意味なんてないんです。

生きる事をやめようとするのは地球上で人間だけです。


死ぬまで生きるだけです。