2023/10/25


昨日は私も育ててくれた祖母の13回忌でした。

なかなか体調も万全ではなかったけれど、来年とか今度とか、病気をしてから今できるかだけを考えるようにしたので、直前まで考え行くことにしました。

(東京在住で実家は福島県南相馬市)


コロナもありなかなかゆっくり帰省もできなかったし、病気のこともあるからか、見慣れた街並みも田園風景も「おかえりー」と言ってくれているようで着いた瞬間涙がふわっと出てきました。




生まれ育った場所に帰ってきて、やはりしつこいけど病気だから、自分の幼少期の事をたくさん思い出していました。


なんだか昔の事を書くと暗いネタばかりになってしまうのだけど、冷静に振り返れるのは私が大人になってたくさん愛をもらって幸せだからなので、どうか不幸自慢ですかと思わないでね口笛


子どもの頃私はきっと大人からみてとても扱いにくい子どもだったと思います。

先生にはよく怒られたし、だらしなかったしw

だけど気は強いし、本音を話さないし、、

(うちの長男と似てるw)


前にもブログで書いたけど、子どものころ家族みんなで旅行をしたことがありません。

だから私は結婚してから家族旅行をとても大切にしてきました^_^

私が小学生のころ世の中はバブルで、田舎ではあったけど商売をやっていた我が家はみんなかなり忙しかったのです。


父方の祖父母と暮らしていましたが、年に数回だけ隣の街に住んでいた父が会いにきていました。

かなりアナーキーな父ですが、子どもの私はやはり父が来るのがとても嬉しかったのをよく覚えてます。

でも普段育ててくれている祖母がとてもやきもちを焼いて父が帰った後とても機嫌が悪くなっていたので、私は父が来てもしれっとした態度をとったり、何しに来たのー?とか言っていたのです。


ある日父が私と兄を北海道旅行に連れて行くといいました。私は内心飛び上がるくらい嬉しかったのに、絶対に行かないし行きたくないしとすごい嫌な態度をとったのです。その時父が私の顔を思いっきり平手打ちをして鼻血がでたのを覚えています。祖母は可哀想に可哀想にと優しくしてくれて、子どもながら私はこれでみんなが丸く収まると思ったのです。

そしてまたアホな子どもだから、こんなこと言っても父親は私の分の旅行も予約しているはずと思っていたのです。


旅行の日、父は本当に兄だけを連れて行こうとして、私はその場で大泣きをしたのです。

なんてめんどくさい子どもなんだ、、、ショボーンショボーンショボーン

自分でも思いますw


良く言えば、私は生きるためにいろんな大人の目線を気にしなければならなかった。

でもそれに気づいてくれる大人もいなかったから、ただめんどくせー子どもだったのです。


世の中それに気づいてもらえる人は幸せで、

普通は気づいてもらう事はないのかもしれません。

自分が変わっていく努力をするしかないのです。


今も偏屈な性格なところもあるけれど、

先日友人がマリエは素直だよねと言われて

とても嬉しかったのを思い出しました。


嬉しかったのは、きっとただ思ったことを素直に言えない自分から変われてるよと言われた気がしたからです。


築40年の実家はリフォームもされ、私の机や私物もほぼないけれど、至る所に幼少期の自分を見かけました。


この先病気しちゃうけど、でもなりたかった自分になれてるから大丈夫だよと、あの頃の自分に声をかけたいなって心から思いました。


病気はしたくなかったけどね。


ただ今の自分になるまで出会ってくれた人全てに感謝した帰省となりました。


ありがとう。


おばあちゃんこれからも見守ってね!